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No.1047 髭男の思い出

ひさびさに、連想してしまいました。

先日、実家の兄から新米(玄米)を頂いてきました。帰り道にある簡易コイン精米所で米を搗き、きれいな白米になりました。
 
自宅に帰り、早速、新米を研いで電気釜に移し、目安の線ぎりぎりに水を注ぎ、30分ほど浸してから炊き上げました。しゃっきりと立ち上がった新米は、歯ごたえも粘り気もあり、噛むごとに甘みや味わいが感じられて、良いできばえです。
「これぞ、おらが村の新米!」
と胸を張りたくなりました。
 
今は、簡易精米所(コイン精米所)が、県内のいたるところにあります。10㎏を100円で精米します。「標準」精米なら、数分で仕上がる便利なお助けマシンです。
 
私が子供の頃は、自転車やリヤカーに積んだ籾を1km下った精米所に持っていきました。その「瀬口」地区には、たった1軒しか精米所はありませんでした。近隣近在の農家は、少しくらい遠くても、みんなここで精米をしてもらっていたと思います。
 
その精米所の名も、経営者の名前もすっかり忘れてしまいましたが、忘れられないことが1つだけあります。それは、50歳代の精米所の主人が、顔中が髭だらけで腕の毛も濃く、強面で不愛想で無口であったということです。「人間嫌い」と顔に書いてあるようです。
 
声を交わした記憶もなければ、ニコリと笑ったのを見た記憶もありません。苦虫を何匹も口の中に放り込んで噛み潰したような表情で、「何しに来た?」と言わんばかりの目でこちらを見るのです。すごく威圧感がありました。だから、母からの一言が苦痛でした。
「仁!瀬口じ、精米しちもろうちょいで!」
(仁、瀬口で、精米をしてもらっておいで!)
 
髭男は、籾の入った袋を見ると、おもむろにモーターの電気を入れました。
「ウィ、ウィ、ウィーン!」
一気に電気を入れて負荷がかかりすぎないように、2・3回アイドリング(?)させてから徐々に機械を動かします。小さな工場のような建物の中で、発動機から繋がった幅広のベルトが精米機の歯車を眠りから覚まします。髭熊が、そのベルトに固形の油のようなものを添わせて塗ると、籾すり精米機が息を吹き返したような音を響かせ、受け口に投入された籾は脱穀され、玄米を精米してゆきました。
 
ザアーッと音がして白米が編み目の坂道を転がり落ちて来ます。髭の熊五郎は、時折り新米の研ぎ具合と米の出来具合を確かめるように掌に掬って右手の親指の肚を使って混ぜ、じっと見つめました。その真剣な目は、プロフェッショナルのそれを感じさせました。
 
精米が終わってから、彼は新米を袋に詰め込み、無造作に私の前に並べました。彼がマシンの電気を切ると、再び精米所に静けさが戻りました。男は、代価を受け取ると、「ありがとう」もなく、何事もなかったように控えの部屋に入って行きました。そんな男でしたが、仕事は丁寧でした。
 
ところが、個人の精米所は農協が持っている精米施設にその場を奪われたらしく、瀬口の精米所は、半世紀近くも前にその主と共に姿を消しました。

既に亡き人でしょうが、その面影は今も思い出せるほど強い印象を残しました。怖かったくせに懐かしんでいるのです。新米のおかげで…。


※画像はクリエイター・大阪心斎橋・きもの青龍(レンタル・着付け・レッスン)さんの1葉で、説明に「山形のお米『雪若丸』の新米を炊きました♪」とありました。色白の美味そうなお米ですね!お礼申し上げます。
我が家の新米は、「ひのひかり」でした。