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No.1526 歴史を背負う

二度にわたる寒波の襲来に「湯たんぽ」の有り難みを知る1週間でしたが、昨日の昼間の温度は15℃前後、さらに3月2日(日曜日)には20℃を超える気温が予想されています。一気に春に加速してゆくのでしょうか。
 
「観てってよ!撮ってってよ!」
と勝手に女性名詞にしてしまいましたが、団地内のKさん宅のみごとな「枝垂れ梅」から声を掛けられたので、遠慮なくパチリ!

その画像は、チコちゃんのおかっぱ頭の形にも見えるし、照明器具の半円形のシェードのようにも見えるし、花をまとった雪のかまくらのようにも見えるし、17世紀半ばのスペイン王女『青いドレスのマルガリータ王女』のパニエスカートの様にも見えます。淡いピンクが、美しすぎます!暫し足を止めました。

「しだれ梅」の花言葉は、「忍耐」です。寒い冬のうちから花芽を付け、寒さの残る早春のころに咲き始めることから、「忍耐」「忠実」「高潔」という立派な花言葉があるそうです。私に足りないものばかり持っています。

白梅は、万葉の時代から既にあったようです。一方、紅梅は平安時代に入ってから中国から渡来したようです。そして、枝垂れ梅は、江戸時代も中期の頃の品種改良によって生まれたと言われます。この頃、庭園の景観にプラスすることから、庭師によって積極的に植えられたそうです。
 
1710年(宝永7年)の文献『増補地錦抄』(ぞうほじきんしょう)は、
「江戸時代に独自の発展を遂げた園芸植物を中心に、その主な園芸品種約2900種を克明に記録した、園芸史に残る記念碑的著作」
だそうです。その中に、
「白八重ひとへ有木は、よくしだれて柳のごとし。」
と記述が見られるそうです。Kさん宅の枝垂れ梅(画像)は、300年の歴史を有する子孫木なのだと知りました。
 
「ソメイヨシノ」は、江戸後期の嘉永年間(1850年頃)に、染井村(現在の東京駒込辺り)に住んでいた植木職人が、野生のエドヒガンとオオシマザクラを人工的に掛け合わせて作り出したものだとは有名な話です。しかも、種から育たないし、ソメイヨシノ同士で交配できないことから、ソメイヨシノは、「接ぎ木(挿し木)」を繰り返して子孫を残してきたそうです。

「人間の手による「接ぎ木」で増やさない限り、ソメイヨシノは子孫を残せない訳ですから、人間がこの世からいなくなったらソメイヨシノも滅びてしまうのです。」 

一般財団法人バイオインダストリー協会「⑥江戸時代スペシャル 4.バイオテクノロジーの賜物」

とあり、「ソメイヨシノよ永遠なれ!」の思いを強くしました。
 
このソメイヨシノ誕生よりも100年以上も前に「枝垂れ梅」は植木職人たちによって改良されていたということを知りました。時代を超えた職人たちの心意気や魂に、今更ながら圧倒される思いです。

Kさん宅の枝垂れ梅も、そんな長い歴史を背負って咲いていました。