身体の異変
アタイは他者の異変には大変素早く行動可能な方だと思う。
残念ながら、親の顔色を死ぬほど伺って生きて来た人生の後遺症みたいな物なのだけれども。
(父はアタイに今俺は何をしようとした、考えたでしょうか?みたいなアタイの反応でよく実験みたいな遊びを酔っ払いながらして居た。お陰様で父に関しては目の動き出しである程度は察知可能な必要外の害なる感覚をアタイは持ちえてしまった。)
今日と言っても日をまたいでしまったけれど、アタイの身体に軽く異変が起きている。
脚先が氷みたいに冷たくて、お腹には蕁麻疹、手の指先に痺れに近い強ばり、頭痛は無いが首と肩に筋緊張みたいな重さが分かる。
後は、いつもならこの量迄服薬すれば、後は寝ちゃう、そこまで服薬したのに思考力が保たれてしまった状態なのだ。
今迄とは違う身体の異変にアタイは只今大変戸惑っております事をご報告申し上げます。
室温は外とも比べましたが、湿度面も含めていい塩梅、昨日の午前中に部屋を掃除したのでアレルギー系で体調不良とかでも無いと信じたい。
(今日は食欲無くて、お粥さんを人参をすりおろしたのとコンソメを少し入れて炊いたのをちびちび食べたのみ。1日かけて1合分食べたからエネルギーでの問題は無いと思う。偏りは否めないが。)
水分も御手洗に行く度プラス、お粥さんを食べる度にかなりの量を飲んだ。
熱も血圧も含め、バイタルは安定している。
咳等も無い、下痢も無いからウイルス性でも無いだろう。
便秘だけどおにゃらは出てるから腸閉塞でも無い。
昨夜しっかり入浴して、昨晩は本当に良く眠れた。
今朝はお陰様で起きたの昼の11時近くで、気力と体力と夢によって起きるのに苦労した。
気分の落ち込みに完璧に不味いな、と、思ったのはおやつ時間を過ぎた16時位。
noteには散々ぶちまけて、読まれた方に申し訳無さを感じる勢いの精神状態だ。
昨日の疲れ過ぎに精神状態が引っ張られて、最終的には身体の変調迄起こしたって所だろうか。
本当に人間として生きている事に向いてない人間だ。
アタイは街中の騒音も人間の密集にも最近は恐怖感と音と人の香りで目眩を起こしやすくて、都会には住めないと自負しております。
かといって、アレルギーが多めで外に洗濯物すら干せない、薬ありきの生活を送る人間でもあるので田舎ではとても生活困難となるであろう面倒臭い極まり無い人間だとも自己理解しております。
アタイは人間が好きだし信じたいのですが、些か疲れ過ぎてしまい、もう人様に不意に触れられるのすら人身事故の勢いで苦手と成りました。
アタイは最近、自分の身体が自分の理解の範疇を越えてしまう事が多発し過ぎて、本当についていけません。
38歳では無く、83歳ならめっちゃ納得いくのですが、如何せん未だアタイは38歳なのです。
医師は自律神経失調症でみんな大抵のアタイの訴えを総合的な最終判断として終了します。
昨日の整形でも、痛みが増したらまたその時に予約日以外でも来て下さい。
悪化が診られる様でしたらMRIで精密検査をして、また方針を考えましょう。
負担が掛からないように、関節周りののストレッチを行って下さいね。
と、仰って下さった。
病院横のチェーン店の薬局の薬剤師さんに、状態等を聞かれた際に、今以上の痛み緩和になる薬剤について質問をしてみた。
結論は、現時点で麻薬成分入の強い痛み止めをほぼMAXで使っているので、これ以上となると、座薬か麻薬成分オンリーな精神障害者の場合は使用時にちょっと真面目に様子見が必要なタイプしかもうアタイには残された痛み緩和の道は無い事が明白となった事である。
アタイは安楽死を求めて居て、ある程度調べ上げた中での現時点の結論は、日本で安楽死制度を待つなら、オランダに渡って安楽死を求める方が手っ取り早く、自身の最期をきちんとお布団の上で迎えられて、荼毘にもきちんと意志を貫き付して貰えて、遺骨も自然に返して貰えるのを知っている。
しかし、それにはアタイはフランス語をマスターして渡航費含めて日本円で300万円は軽く用意しなければならない。
とても今の言語面でODの繰り返しと自殺未遂の繰り返しで高次機能障害に似た状態のアタイにはフランス語マスターは厳しい。
とても今の心身状態で働いて300万円以上を稼ぎ出す力は厳しい。
故にアタイがオランダで安楽死を受けれるのは現実的では無い。
そうなってくると、アタイは安楽死制度の活用より、やはり自死が頭をチラついてしまうのが現状なのだ。
客観的に見ても、どう考えても、今のアタイは生理前でも無いし、ホルモン補助は安定しているのに明らかな精神状態の悪化を起こしている。
でも、理由もよくアタイにはわからんちんだ。
身体の症状はよくあると言えば、よくある蕁麻疹さんと、痺れや強ばり、筋緊張からの突っ張った感覚と冷えてしまう末端の状態。
異変が既に異変ともまともに取り合う必要も無いような、おかしな心身状態。
お手上げにございます。
あ~家の周りには笑ってしまう位に入り込めるビルの足場が沢山ある。
(最近、家の周りのビルの建て直しが盛んなのです。そっこら中でトンテンカンテンやってます。)
アタイのビルの外階段を数えてしまうのが、足場を眺めてしまう方向にシフトチェンジしてしまったのは、一体いつからだったのだろう?
記憶を掘り起こすと、大好きな想い出深いライヴハウスがビルのオーナーが変わってビルの建て直しが決まってCLOSEした時か、それよりも前の大好きな美容師さんの居る美容室がビルの老朽化でCLOSEとなったのは5月末日。
今、そのビルの場所はほぼほぼ更地となって、ビルとビルの間にぽっかりと青空が見える状態だ。
…アタイは自分の心の悲鳴を、5月から無視していたから、今、こんなに苦しむ事になったのか?
5月は本当に色々あり過ぎて、noteを始めて居なければ、もっとずっと状態は悪かった。
この場所に胸の内をこぼせる事で、アタイは救われている。
アタイにはアタイの心の悲鳴が分からない。
何が苦しいのか聞き取れない。
何が辛いのかをキャッチ出来ない。
だから自身の状態を察知した行動が不可能だ。
ある意味、それ故にアタイは精神障害者なのだ。
アタイはアタイを生活はさせられるがケアを完璧には行えないし、ましてや救えない。
アタイがお布団の上で最期を迎えるのは夢物語のお話なのかもしれない。
それが分かって居たから、18の夏、高校を卒業したその年の初夏、アタイは生きる事へ抵抗を真面目に行動した。
日本の高い技術でアタイは蘇生されて、今、生かされている。
あれからの20年間。
アタイは苦楽がチョモランマどころじゃない標高と温泉湧き出る深海を行ったり来たりをジェットコースターに乗車して繰り返した。
我ながら、よく生きてるもんだな~と、思う。
なので、そろそろ終わりにしても無問題じゃない?
と、なんだか今夜は無性に考えてしまう。
(勿論、今夜行動には移しません。
下準備無いので、アタイの遺骨問題をスッキリさせるまでは未だあの世に行けない不自由な日本です。)
今、アタイは荼毘に付されても、下手すりゃ遺骨の受け取りを親にされてしまい、最悪な場合、性被害を加えた人間と同じ墓石の下に収められる可能性がある。
最悪の場合を脱しても、未だ母と共に籍の残された教会の共同墓地に埋葬されてしまい、母と一緒に眠る日が来てしまうのだ。
真っ平御免のそんな事を避けるには、アタイは何としてもアタイの遺骨を市の無縁仏の共同墓地に入れて頂ける手筈を整えねばならぬのだ。
アタイは親と分籍はしているし、生活保護で住基ブロックもしているのに、日本には法制度で血の繋がりある家族との完全なる縁を切る方法が無い為、アタイは遺言書をきちんと弁護士さんと制作しなければ上記の無念さを味わう羽目になるのだ。
死んでも死にきれない。
そう思うと、よっこらしょ、もうちょい頑張って生きねばならぬと、工事現場を見上げながらも、前を向くアタイが居る。
確かに、数ヶ月前なら今夜は身なりを整え、既に頭に入って居る工事現場に歩みを進めていてもおかしくはなかった。
それを想えば、アタイは落ち込みの割には落ち着き払って居るのかも知れない。
生きるのも死ぬのもよいじゃないねぇ。
ちょっぴり83歳気味のアタイはそんな事を想いました。
あぁ、丑三つ時にて失礼致します。
雨降りでもないので、夜風だけ玄関を開けて身体に当てて参ります。
気持ちいい風が吹くと嬉しいな。