あたりのツマ、はずれのワサビ

「今日は肉の気分だな。」

「今日はアジアンテイストで。」

「今日は何が何でもイタリアンだな。」

飲みに行きたいとき、食べたいもので店を決めることがわたしは多い。

となると「魚でしか酒を飲みたくない!!!!!」という日もあるわけだ。


「魚で飲むなら刺身は必須!!!!!!!!!!!!!!」


呑兵衛の皆様ならわかっていただけるだろう。

刺身をつまみながら日本酒をチビチビやるあの至福の時を……!!!


わたしはお察しの通りいわゆる食通、グルメといわれるような人間ではないので、どこどこの海で今朝とれた○○です、とか、築地直送の特別に仕入れた○○です、とかそういったことに強いこだわりがあるわけではない。(もちろんうまい魚、新鮮で貴重な魚に越したことはない。うまければうまいほどこちらとしてはありがたい。)


ただ、ツマとワサビ、お前らには一言申したい。


幼いころから両親には口酸っぱく

「食べ物を粗末にしてはいけません!」

と刷り込まれてきたためか、昔から揚げ物の下でしなしなになっているレタスとか、彩でしかないパフェのミントとか、同じく色味のバランスをとるためとりあえずつけときました!みたいなサンドウィッチのパセリとかも残さず、なんなら同席している人の残した分まできれいに平らげてきた。


刺身の下敷きになっているツマだって、もちろんその対象だ。


レフ版のように真っ白で、均一なツマ。

あれはあたりかはずれかで言えば、はずれだ。


わたしの中であたりとカウントしているツマは、真っ白だとしても不均一、つまりそのお店でカットしたものだったり、もはやカイワレとかミョウガが混ざっているツマらしからぬツマだ。


スーパーの刺身の下でもよく見かける真っ白で均一な大根のツマがものすごいまずいとか、そういうことでは決してない。いつも全部食べてるからそこは信じていただきたいのだが、いかんせん量が多い。

大抵、卓上に用意されているしょうゆと、ついてきたワサビをつけてやり過ごすのだが、刺身よりも断然量が多いので、口直しとかいうレベルではなくなってしまうのだ。ツマが少ないと少ないでさみしいし、ちょっと多いなくらいがヴィジュアル的に適切な量であることは間違いないのだが、残さず食べる人には少し多い。


一方あたりのツマは、レフ版効果よりも、その1皿としての味のバランスを重視しているように思う。刺身で巻いて食べてもおいしいし、サラダ感覚でもいける。つまり最後まで飽きずにおいしく頂けるのである。


では、ワサビに関してはどうか。

 

ワサビにもわたしの中ではあたりはずれがある。


あたりは何といっても生ワサビだろう。鼻にツンとしすぎず、ほのかに甘みがあり、かすかに繊維を感じる。主張が強すぎないので上品に刺身の味を引き立ててくれる。

一番のメリットは、単体で肴になってしまうことだ。

辛すぎないので、少ししょうゆや塩をつければワサビそのものがつまみになるという、呑兵衛にはうれしすぎるポイントだ。

反対に人工的なワサビはツンとしすぎるので、わたしは単体で食べられない。まあ、本来単体で食べるものではないが。


こうして書いていると、自分がいかにいやしい人間かが明らかになってしまい、恥を通り超してむしろ一種のすがすがしさすら感じている。


余談だが、新潟駅にあるぽんしゅ館というところには「唎酒番所」というスペースがあり、ワンコインでおちょこ5杯分、好きな日本酒をテイスティングできる。なんとそこでは全国各地の珍しい「塩」を舐めながら楽しむことができるのだ。

 

よく考えてみてほしい。塩である。塩。 

呑兵衛は塩ですら肴にしてしまうのだから、ツマやワサビは立派な肴だと思わないか?

 

今まで残してきたという人がいたら、まずは注目してみるところから始めてみてほしい。注目されれば、今後ツマとワサビの地位が向上し、ツマとワサビのレベルも少しずつ上がっていくかもしれない。



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