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私、来世は蚊になります🦟

私は経済的には何の不自由もなく育ってきました。
ただそれだけで、十分“足りている”と言ってもいいと思います。
でも、でもですよ。
末っ子ということもあり、家族の人間関係の中では最下層。
何も決定権がなく、ストレスの最終処分地であり、泥水をすすって生きてきた部分もあると思っています。
もちろん、だいぶ甘やかされたところもあるので、特に自分にも他人にも厳しい長女にはそうは見えないだろうけども。
今も、自分は経済的には何ひとつ困っていないが、やはり人間関係の課題がある。
でもそれは全て自分の責任。

なにが言いたいのか。
要はみんなそれぞれの立場で、苦労して、我慢して、何かしら背負って生きているということ。
自分だけが正しいと思いがちだけれど、そうじゃない。
みんな一生懸命生きてる。
人はみな明日死ぬかどうかも分からない。
だからこそ伝えたいことは伝える、やりたいことはやる、そうやって自分に素直に、正直に生きることはとても大事だと最近思います。

正しさってほんといっぱいあるのだと思います。
自分の定規で見たら正しくないことでも、人には人それぞれの正しさやその表現方法がある。
「そんなこと冗談でも言うなよ」って腹が立つ一方で、でもその言葉の裏には自分がまだ知らない、その人なりの経験や愛情とかいろんな感情がある。
だからやっぱり、一言で否定はできないなぁと私はよく悩みます。

人間を生きるのって心底めんどくさいとよく思います。
喧嘩することは悪いことじゃないと思うけど、いいかげん仲よくしろよっていつも思う。
喧嘩されると私が間に挟まれてめんどいんじゃ、と思う。
それぞれの言い分とか想いは分かるけど、そうやって攻撃的に対峙するから攻撃が返ってくるんだろっていつも思う。めんどくさい。
普通は、そんなことまで考える必要はきっとないのでしょう。

心底“普通”を拒絶しながら、また“普通”に憧れて生きてきた。
でもやっぱり自分って“普通”だなと痛感することが最近よくあります。
常識とか、当たり前とか、世間体とか、自意識とか、そんなしょうもないことを気にしない、フラットに物事をみれるようになりたい。
何も考えず、生きて、死にたい。

だから私は、来世は蚊になりたい。
お後がよろしいようで。(謎)

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