映画 どうすればよかったか?を観て 障害当事者としての感想
衝撃的な話だった。
お姉さんが壊れてしまってから家族が翻弄されていく。
ずっと家族のことで悩んでいた弟はカメラを回す。
全ては病気がもたらしたこと。両親がお姉さんを大切にしようとすればするほど、お姉さんは治療から遠ざかってしまう。お姉さんが第三者に会うチャンスも2度くらいあったが、両親によって阻止される。
最初の発症から25年、やっとお姉さんは入院した。3ヶ月の入院で合う薬がみつかって少し落ち着く。
その後、母親が亡くなり、2021年お姉さんはがんを患い亡くなる。
お姉さんが癌を患う辺りで私は泣いた。
お姉さんにも、体調が悪いながらも送りたい生活や夢やプライドもあったよな、とか。自分に置き換えて考えると涙が出た。
両親に大切にされていたはずなのに。お姉さんは心が壊れて何もできなかったよな。苦しくても逃げることもできず、酷く暴れるしか術がなかったよな。良くなる可能性さえもつぶれてはいなかったか。狂気するお姉さんの映像からはお姉さんの辛い心情が感じ取れた。
年老いた父親に弟がインタビューした。
最初に統合失調症だとわかって治療させなかったんだな、と。また、治療しても虐待があるんじゃないかという考えから入院させずに連れ帰ったんだな、と問いただすシーンがある。弟は父親にどうすればよかったか?と尋ねるが、父親は答えられなかった。
両親に期待されていたお姉さんなんだろうなと思った。それがどれだけ辛いのかって、自分にも思い当たることがある。
私が治療を最初に受けたのは今から23年前、2002年のことだ。当時、新卒で定時制高校の栄養士をしていて、そこの人間関係でとても疲れていた。食べられない、寝られない日が続いたため、精神科で自ら診察を受けた。鬱病という診断だった。仕事は辞め、自宅療養となった。
その3年後、父親が癌で他界し、私はアルバイトを転々としていた。鬱病を発症して10年経ったころ、再び体調を崩しオーバードーズをして通院先だった精神科に入院した。病名は統合失調症に変わり、薬も変わった。受け入れ難い現実だったが、その後、医療、福祉の力を借りて、40歳過ぎて障害者開示就労をして社会復帰をして、現在、寛解している。
私自身、精神障害当事者であり、続いて妹に精神障害が現れ、妹は大学を中退した。
妹が利用している地活(地域活動センター)や作業所で苦労してないか、とか、余計なことを心配しては胸が苦しくなることがあり、さらに母親に、妹がまた今日も寝ていた、みたいな愚痴を聞かされ堂々巡りになることが多くて嫌になっていた。それを言い訳にタバコを吸っていたこともあった。今は辞めたが。家の中でいつまでも動けない妹が悪い、みたいな図になってしまっていた。その昔は私が動けなくて私が悪いみたいな図だったんだろう。
就労したタイミングで、私は実家を離れて一人暮らしを始めた。
その頃から、妹を心配するのを少しずつ辞めていった。距離を置くために冷たいことも言った。自分の生活をやらなきゃならなかったのと、心配という名目で彼女を下に置くのではなく、対等に扱いたい気持ちがあったからだ。妹はまだ寛解には至らないが少しずつ彼女のペースで良くなってきてはいる。
知らぬ間に共依存してしまう家族。それぞれの家族のうまくいってなさを障害や病気になすりつけたりもする。私の家族もそう。
好きや愛してるや守りたいの感情があればあるほど、当事者と線引きするのが難しくなるのかもしれない。時に家族は循環が止まった閉鎖的なものになってしまうことがこの映画からもわかる。
だからこそ、第三者が介入してほしいと思っている。
今、妹は訪問看護が入ってサポートしてもらっている。家族以外の他人の力をお借りしているところである。支援の方々には本当に感謝している。
自分の体験や家族のことが長くなったが、映画では、弟が家族から少し距離をとって長年に渡り、客観的な目で家族を捉えているところが鋭いと思った。