人は無意識のうちに『fair』を求める
⚖そう思った経緯
数か月前のあるとき、お風呂上りに夜道を散歩していたら野良猫がいた。そいつは食べ物を求めるように寄ってきた。何もあげられなかったんだけど、寒い中必死に生きて、「世界ってアンフェアだなー」とおもった。
それ以降、人は無意識にフェアを求めているんじゃないか、と思い、人と関わる中でそんな節があったらメモに記していた
そしてそれが、コロナ自粛で顕著になってきたので、文字にしてみることにした
⚖結論
人が無意識のうちにフェアを求めるのは不安要素を取り除くため
と言うのが一番大きいのではないか
とかんがえる
⚖人がfairを求めるとき
例えば
「ずるい~」とか
「なんで僕にはやってくれないの~?」とか
約束を破ったら、破られた側が怒るのも
フェアを求めている
⚖そもそもfairってなんだろう
fair→
「自分もやってるんだからあなたも~」とか
「あなたがもらったんだから僕も~」みたいな
直訳すると『公平』
自分も含めて何か対象があって、はじめて生じる
「ズルい」っていう感情だったり、妬みが根元にある
そして、
フェアはギャップを嫌い、無くそうとする
さらには、
フェアを求めてギャップを埋めることで、合理的に得ができる(※)
ともいえるとおもう
(※ 例えば、弟がスーパーでお菓子を買ってもらっていて、「ずるいー」と言って自分も買ってもらえたら、ギャップを埋めつつも、お菓子を買ってもらえたという得を得られる)
⚖現在で顕著なのは
『コロナ分断』
ある人は
「このくらい大丈夫かな」と健康のためなのか、公園などに外出する
ある人は
「自分は言われたことを守って家に引きこもっているのに、あの人は平気な顔して外出しているのはおかしい(ズルい)」
と怒り出す
さらにその人がマスクをしていなかったり、3密を破っていたらさらにおこ(もちろん人それぞれ要請に対する意識は違うわけである)
この後者の方が、自粛警察と呼ばれているのか
「自分は外出も自粛していて、こんなに辛いのにこいつはのんきだ」
と叩く
内容的には正論だが、やっていることは妬みから公平を求めているだけ
小学校の頃の学級委員に似てる。自分がしっかりするように育てられたからって、ふざけているやつに「ちょっと男子~」とあきれた表情で諭そうとする
この行動の根本は自粛警察と等しいとおもう
⚖運とfair
【双子のA君とB君】
A君が「お菓子ちょーだい」と言ったとき、お母さんのポケットにお菓子があったから、A君にあげた。
それを見て、B君が「ずるいー僕もお菓子ちょ-だい!」と言った。しかし近くにお菓子がなかったので、B君にはあげられなかった
A君もB君もどちらももらえるチャンスはあった(⇒フェア)
先に声をかけたのがA君だったというだけ
機会→フェア
結果→アンフェア
↑アンフェアの方にばかり目が行ってしまう
Bくんは「ずるいー」と言い自分もお菓子をもらうことで、ギャップを無くしてふたりのお得度をフラットにしようとした
【掃除】
みんなで掃除をしているとき、一向にやろうとしないC君という子がいた。声をかけると、「だって、一人やらない人(D君)いるじゃん」と言う。つまりC君の言い分は、やらない人がいるなかで自分がやるのは不公平だということ
この環境で掃除をするということ自体がその子にとっては不公平(アンフェア)で、掃除をしないという方法をとることでバランスを取った(公平に)
機会→アンフェア
結果→フェア
他にも掃除をしている人はいっぱいいたのに、やっぱりアンフェアの方にばかり目が行ってしまう
Cくんは掃除をしないという選択をし、Fくんとのギャップを無くしてフラットになろうとした
⚖なんで無意識に公平を求めてしまうのか
フェア=合理的
という正義の元と言うのもあるとおもうが
大抵フェアを求めるときは自分が下(損、不遇)で、そのギャップを埋めることで安心するんだとおもう
安心→「ああ、私の自粛は間違ってなかったんだ」「お菓子もらえた!お母さんは僕を嫌ってはいなかったんだ」
要するに
ギャップと言いうのは1つの不安要素で、その不安要素を取り除くためにフェアを求める
ということではないか
そう考えると、フェアを求めるって何も不自然なことはないね