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#コミュニケーション
他人への期待と個々人のOSアップデートについての話
もうすぐ僕は30歳になる。
20代ラストの年ということで、何か思うことがあるかと言われると、1月が誕生日でまだ猶予があるせいか、これといった感慨深さみたいなものはそれほど覚えていない。
今年の夏、30歳を記念して、地元で同窓会があると同級生の巨大LINEグループで連絡があった。実際は例のウイルスの影響で開催されるかどうかはわからないのだけど。
ずばり、これに参加するか悩んでいる。
というの
ジョジョのスタンドよろしく、脳内に他人を憑依させるライフハックについて
写真はハンガリーで撮ったシルバーチャリオッツ感のある鎧です。
「人類みな師匠」。
そんな感じの言葉を言ったのは孟子だっけ?孔子だっけ?老子?エシディシ?と思ってヤフーでググってみた。
「人類みな師匠」じゃなくて「我以外皆我師」だったし、全然孟子でも孔子でもなく、めっちゃ「吉川英治氏」だった。無念。
それはともかく、そんな感じのスタンスで生きるのはすごく大事だと思う。
人は人との関わりの中で成
ひとりぼっちを作らないためには「線引き」をしないことが大事だよなという話
「コミュニティ」という言葉をはっきりと認識したのは2011年のことだった。
友達の「ランボー」という屈強なあだ名の割にひょろっとした体格の青年が、「コミュニティデザイン」という言葉が表紙に書かれた本を持っていたのを見たのがきっかけだ。
当時はいわゆるアーリーアダプター的なカタカナが好きそうな人たちが好んで使っていたが、8年経って飛騨に住んでる実家の母が日常的に使うほど、かなり浸透した言葉となった
「何者であるか」より「何が好きか」で繋がれることの尊さについて
人と人との繋がり方の話をする。
社会人になってからいつの間にか5年が経った。
あの頃はただの画像加工用アプリだったインスタグラムは立派なコミュニケーションインフラと化し、かつてmixiの掲示板だったWeb上のコミュニティはある領域に特化したオンラインサロンが主流となりつつある。
思えば「コミュニケーション」とか「コミュニティ」みたいな「コミュコミュ」した言葉が急速に浸透したのもここ5年くら