小泉進次郎構文セラピー開発日記③:小泉進次郎構文セラピー的スピリット

セラピーにおける技法とセラピストの姿勢

世の中にはさまざまなセラピーがある。その中でもよいセラピーというのは技法だけではなく、そのセラピーに臨む上でのセラピストの姿勢にもそれが影響しているものである。

エランベルジュによればフロイト派もユング派もその創始者の「創造の病」を部分的にでも追体験することが、その専門性のトレーニングであるという。大なり小なり、そのセラピーは技法だけを取得するのではなく、そのセラピーのスピリット(精神)も学ぶことを要請している。それはセラピストがクライアントのモデルとなる必要があるからであろう。

あるいは、教祖が信仰を持たない宗教を信じる人はいないのと似たようなものかもしれない。関係ないかもしれないが、ツイッター上でHSP専門カウンセラー自身が「私自身もHSPです!」とプロフィールに書いている率は100%である。

というわけで、小泉進次郎構文セラピーにおいても、その技法とセラピストの姿勢はリンクすると考えられる。小泉進次郎構文セラピーとは、筆者が開発した与太話心理療法である。今まではその技法論について論じてきたが、ここではそのスピリットについて論じたい。

小泉進次郎構文セラピー的スピリット

トートロジーによってこそ我々は事実を確認しうる

小泉進次郎構文セラピーのスピリットとは何か。それは「AとはAである」というトートロジーによってこそ我々は事実を確認しうるということである。もし小泉進次郎構文を使うことができないのであれば、私たちは簡単に現実から遊離した認識を持つことになってしまう。

たとえば、ダイエットである。筆者もアラフォー圏内に差し掛かったこと、そして日頃の不摂生が祟っていることから、明らかにお腹周りに肉がついてきた。そういうわけで、職場の食堂で使うお茶碗を一回り小さくした。

これにより摂取カロリーが少なくなり、お腹周りもだんだんと少なくなっていくに違いない。これにより支配的価値観であるルッキズムに迎合することに成功し、イケメン臨床心理士として取材を受け、やがてホンマでっかTVに出演して、明石家さんまにいじられ、ダイヤモンド社から本を出版し、一回10万円のセミナーを開催して、純白のメルセデスにプール付きのマンション、最高の女とベットでドンペリニヨン。

しかし小泉進次郎構文セラピーを導入し「お茶碗によそう白米の量を減らしたということは、昼食時に食べる白米が減ったということだ」と述べるのであれば、実際にそこにいるのは、白米を食べる量がちょっと少なくなったアラフォー男性であることを私は確認することができるのである。

これが小泉進次郎構文セラピー的スピリットである。トートロジーによって事実そのものを直観することによって、私は自嘲を込めて等身大の自分を受容することができた。お茶碗一杯のご飯を減らしたところで、人生は大きくは変わらないのである。

しかし人生は大きく変わらないが、小さくは変化する。腹八分で満足したことにより、午後のカウンセリングのパフォーマンスはちょっとは向上することになったかもしれない。あるいはこれくらいで満腹になるんだと発見して、明日からの食事量も同じ量を続けるきっかけになるかもしれない。

トートロジーによって事実を確認することによって、ほんの少ししかない前進や進歩に対して、肯定的な目を向けることが可能になるのである。

架空事例

他の例を見てみよう。完全な架空事例である。

幼少期より親から「○○大に進学せねば人に非らず」というような教育を受け、必死になって勉強して、ようやく志望校に合格した。これで自分はようやく親から認められるような立派な人間になったのだ!

そうではない。あなたが○○大学に合格したということは、4月から○○大に通う権利を得たということでしかないのである。それはあなたの人間性を決めるようなものではない。また、ありのままの自分を愛してほしいというあなたの希望が叶うことを約束するものではない。

ただ、あなたはあなたが望んだ大学で学ぶことはできるのだ。その作業をするのは他の誰でもない、あなたなのである。それは親が望むような人間になるのではなく、あなたがあなたという人間になっていくということである。

「◯◯大学に合格した」というところに、ありとあらゆるものを代入することが可能である。会社に就職した、彼女or彼氏ができた、結婚した、年収1000万円を達成した、公認心理師の資格を取った、などなどである。

これらは全て、事実としてはそれ以上のことはないのである。時に、それは「自己実現」「夢の達成」「本当の自分を見つけた!」という名で語られるような甘美な体験をもたらすことはあるだろう。ですが、そうとも限らないのである。あるいは、一時的にそう感じたとしても、やがてその体験は色褪せてしまうかもしれない。

確かなことは、一定の範囲の事実だけなのである。本当の意味で人生を変えるような大きな体験など滅多にない。しかしそれに気づいたところで、失望する必要はない。あなたが達成したことは、確かにそこにあるのである。

小泉進次郎構文セラピー的スピリットの応用

スピリットは普遍化できる

さて、良いセラピーの持つスピリットは、その技法を超えて普遍化することが出来るという特徴を持っている。マインドフルネス的態度やメンタライゼーション的態度は、他の技法を用いるセラピーでもセラピストを助けてくれるだろう。

それでは、小泉進次郎構文セラピー的スピリットの場合はどうだろうか?トートロジーによってこそ我々は事実を確認しうるというスピリットは、他の技法を用いる際にどのような効果を持つだろうか?

小泉進次郎構文セラピー的スピリットによって臨床を見直す

繰り返すが、小泉進次郎構文セラピー的スピリットとは「トートロジーによってこそ我々は事実を確認しうる」ということである。このスピリットを持って自分の臨床を見直すことで、私たちは事実を確認しうるのである。

例えば、認知行動療法である。認知行動療法は、エビデンスを重視したセラピーである。認知行動療法を正しい手順で実施すれば、効果は上がることが期待できる。しかしそれはその介入がターゲットとするところのみである。うつに対するCBTを実施すれば、それがターゲットとする症状は改善することが期待できるし、PTSD症状に対するCBTを実施すれば、それがターゲットとする症状することは期待できる。

しかし、それだけなのである。小泉進次郎構文セラピー的スピリットとは、「あるCBTによって改善することができるのは、そのCBTによって改善することが期待できる部分である」という事実を明確にすることである。逆に言えば「CBTを受けることで生きづらさが改善します!」というロジックは、反小泉進次郎構文セラピー的スピリットによって記述されている。

もちろんこの構文には、CBT以外のセラピーや、薬物療法やrTMSなどの治療的介入なども代入することが可能である。「ある治療によって改善することができるのは、その治療によって改善することが期待できる部分である」という認識が、小泉進次郎構文セラピー的スピリットによって臨床を見直すのであれば、浮かび上がってくる。

これは当たり前である。しかししばしば、クライエントもセラピストもそのことを忘れてしまうのである。何かセラピーやセラピストが、現実を大きく変化させるような力を持つかのように錯覚してしまう。それはその幻想が続くうちはいいかもしれないが、その幻想が崩れかかった時、その幻想を守ろうと反治療的な方向にセラピストとクライアントが共犯して進んでいくかもしれない。

あるいは、せっかく小さいものの確実に起きた変化を見逃してしまうことになるかもしれない。セラピーによって現実は大きく変化することなんて滅多にない。いきなり100点は取れることなんてない。でも見直すと、小さな部分点は結構稼ぐことができたりしているのである。OK、まずはそこから始めようじゃないか。

小泉進次郎構文セラピー的スピリットをセラピーに持ち込むことは、セラピストを謙虚さへと導く。それはセラピストが救世主でなく、ただひとりの限界をもった人間であるという認識である。ただひとりの限界をもったちっぽけな存在ではあるが、それでもできることはあるはずである。OK、まずはそこから始めようじゃないか。

反小泉進次郎構文セラピー的スピリットというものは、何か一発逆転の方法があるというようなセラピーである。それは人間の多様さや複雑性というものを単純化し、なにか成功のための特定のメソッドがあるというような考えに基づいている。小泉進次郎構文セラピー的スピリットはそうしたアイデアに組みさない。

小泉進次郎構文セラピー的スピリットは、言い換えるのであれば誠実さである。ただここまで来ると、小泉進次郎の名を捨て、セラピストには誠実さが必要であるという凡庸な結論でも差し支えないだろうが。

小泉進次郎構文セラピーシリーズ

小泉進次郎構文セラピー開発日記①:小泉進次郎構文セラピーの誕生
小泉進次郎構文セラピー開発日記②:小泉進次郎構文セラピーの理論
小泉進次郎構文セラピー開発日記③:小泉進次郎構文セラピー的スピリット


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