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別れと向き合う 20250120凸凹日記
年が明けて1週間ほどたった頃、祖父が息を引き取った。
年を越せるか分からないと言われながら迎えた年末年始だったので、ある程度覚悟はしていたが、やはり大好きだったおじいちゃんがいなくなるという出来事は何歳になっても悲しい。
実家に帰って亡骸と対面する瞬間は、いくら覚悟していたとはいえ辛かった。
祖父の死を悲しんでいる両親や兄や叔母の顔をみるのも、また辛かった。
悲しいことで滅多に泣かない祖母が「あなた、優しい人やったね」と亡骸に声をかけて目を赤らめていたのを見たときは、堪えていた涙が一気に溢れた。
祖父母は、いい夫婦というか、いいコンビだった。
テキパキしっかり者の祖母に、ちょっとおとぼけマイペースな祖父。2人の掛け合いは夫婦漫才そのもので、祖母のキレッキレのツッコミを「へいへい」おどけた顔で受け流している祖父の表情が大好きだった。
もちろん若い頃は色々あっただろうけれど、私が見てきたおじいちゃん・おばあちゃんは理想の夫婦だった。だから、相方である祖母の悲しむ姿は、一番堪えるものがあった。
死と向き合う場面は、何度経験しても辛い。
お通夜や葬式などの場を想像するだけで、息が苦しくなる。だから今回も訃報を聞いてから実家に帰るまでの時間が一番辛かった。
ただ、今回思ったのが、実際に亡骸と対面するまでよりも、対面した後の方が気持ちが落ち着いていたということ。
また、生前なるべく時間をつくって会いに帰るようにしていたので、亡骸を見ても「もっとこうしてあげたら」といったような後悔の念は、不思議と湧いてこなかった。それ以上に、祖父への感謝の気持ちが湧いてきたことにも気づけた。
人の死と直接向き合うことは勇気のいることであるけれど、向き合ったときにいっぱい泣いて、いっぱい思い出して、いっぱいありがとうを伝えるという時間は、残されたものにとって絶対に必要なことだ。
そうすることで、少しずつ自分の中で受け止められ、整理ができ、感情も徐々に落ち着き、前を向けるようになるというのを実感した。
実際、祖父の容体が悪いことを聞いていた頃は、亡くなった人のことを文章に残すことなんて辛くて無理だと思っていたけれど、見送って少し経った今は、むしろ大切な人に対して抱いた想いを残しておきたいという気持ちになったので、書き残しておくことにした。
とはいえ、今もまだふとした時に、祖父がこの世にいない事実をどこか半分理解できているようで、まだ生きてるんじゃないかと錯覚してしまうこともある状態だ。
けれど、今はそれでいいと思っているし、正常な反応だとも思っている。
自分の思考や感情を無理に否定せずに、時々心の中で祖父を思い出しながらずっと想い続け、私はこれからも私の人生を精一杯生きていきたい。