20241120 明日はロック【凸凹日記】
最近の楽しみはエッセイを読むこと。
特に自分がエッセイストを目指したいと思うようになってから、小説だけでなくエッセイを積極的に手にとるようになった。
エッセイは、書き手の頭の中を覗き見している感覚になれるのが一番面白い。
世界の切り取り方や、一つの出来事に対する捉え方は、自分にはない視点で新鮮だし、自分の世界も広がる。読後には、日常を彩るヒントが得られるような、そんなワクワクした気持ちになる。
エッセイというと、いわゆるエッセイストと呼ばれる文筆家や有名な作家さんの手がけた書籍を手にとるべきなのかな、と思いがちかもしれないが、個人的にはそれほど固く考える必要はないと思っていて。
それよりもまずは「この人のことをもっと知りたい」と思える人が書くエッセイを手にとるほうが、そのエッセイから得られる感動が大きいと思ったりもする。
普段は有名作家さんの書籍ばかり手にとる私が、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル、後藤正文さんが書くエッセイ本「朝からロック」を手にとったのは、まさに私がアジカンのファンだったから。
大学生の頃、取り憑かれたかのようにウォークマンでエンドレスリピートしていたアルバム。当時の私は、今までの人生の中でも結構悩んだ時期だったし、つらいことも多かった。正直、大学での勉強はあまり好きになれなかったし、ゼミ以外はあまり楽しくなかった。体調も崩したけれど、それを打ち明ける勇気もなかったので、とにかく自分を取り繕って過ごしていた時期だ。
アジカンを聞くと、あの頃の苦い記憶が蘇ってくる。それでも頑張り抜いた誇らしい自分も蘇ってくる。私の人生の凸凹が、アジカンの曲には詰まっているのだ。
そんなアジカンの作詞作曲を主に手がけるゴッチ(後藤正文さんの愛称)の思考に触れたい。どんな世界を見ているのか知りたい。頭の中を覗いてみたいーー。
じっくりじっくり、エッセイを読んだ。彼の過ごす平凡な日常の切り取り方は、どこか地味で、でもおしゃれで、エッジが効いていて、ちょっとクセもあって、他の誰でもないゴッチだった。アジカンだった。
文章であろうが、音楽であろうが、映像であろうが、この世界で「表現者」として活躍する人たちは、自分の見えている世界や感情、思考を「自分の色」で伝える力に長けている。
深い感受性と鋭い感覚で、世の中を見る・感じる・受け取る・消化する・そして発信する。
自分のもつ感性をそうやって日々磨き続けることで、1人の人間としてのオリジナリティが増し、深みが出て、自分色に輝けるのだと思う。
文章を書く人間として、違うジャンルの表現者の考えに触れることは、自分自身の感性の幅や深さをグッと広げてくれるのだと、ゴッチのエッセイを通じて実感できた。
自分にしか出せない色をこれからもっと磨いていきたいし、それを言葉で表現できる人間になりたい。音楽でそうしてきたゴッチのように、私も誰かの心に残る表現者でありたい。
明日は、念願のアジカンライブ。
大学生の頃からずっと行きたかったけれど、行けなかったワンマンライブ。
あの頃背負っていた悔しさや悲しさや不安や希望や野心。全ての感情をライブ会場まで持っていこうと思う。アジカンにぶつけようと思う。
それらをすべて解放させた時に得られる「新たな感情」はどんなものだろう。その感情を経て自分はどんなことを表現できるようになるんだろう。なんて考えていたら、今からドキドキしてきた。ああ〜ロックだなぁ。
五感を研ぎ澄まし、全身全霊でアジカンのロックを受け止める1日にしたい。めっちゃくちゃ、楽しみ。