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岩波新書の旅5 「レバノンから来た能楽師の妻」 梅若マドレーヌ著(1818)

情報量が多め

レバノンと聞いて、場所を的確に説明できる人はどれくらいいるだろうか。
中東の国。シリアやイスラエルの隣国。
日本人の頭には、中東はイラン・イラク戦争や湾岸戦争、9.11同時多発テロなど、物騒なイメージが先行する地域だと思う。
また「能」の世界についても、ピンとくる人は少ないはず。

言葉の多様性

早くも脱線しますが、海外の情報はアルファベットやカタカタな長くなりがち。また知らない土地名や固有名詞は頭に入ってきません。
だけでなく、能の世界の言葉は漢字だらけ(ちょっと誇張してますが)。
カタカタの羅列と漢字の羅列。
著書の中でのカオス感を楽しみながら読んでください。

特殊な人生の中に

紛争で故郷を追われ、日本人と結婚するレバノン出身のマドレーヌさん。
夫は由緒正しい能楽師の一家に入ります。

文化や考え方の違い。
それは教育や夫婦の価値観など、本著には書かれていない葛藤や悩みが相当あったと想像できます。
(訳文なだけに少し感情移入しづらく感じる部分もありました)
実際に、今も続くような「教育」の話は、う〜んと唸ってしまいます。

特殊な人生の中にある
「家族への思い」「仕事への情熱」「芸術への追求」
人生とは何か。生きる価値とは何かを考えさせられます。

グローバルでローカルな視点

特に「能」という特異性を発揮していきます。
世界で受け入れられ(その分、反発もすごかったのではないかと思うが)
成功を収めていきます。

「能」という精神世界

「能」についての考察は非常に日本的であり、心に刺さります。

「瞑想は無への投資。無心になるのは、難しいが、本質である」

「芸に一心に打ち込むことが『修養』(魂の深化)につながる」

「『』とは、研ぎ澄まされた芸を行う能楽師が放つオーラ。
人間が随意的に行う体温の変化が空気を通じて伝わる」

「品格が増すほど、削ぎ落とされた簡素なものになっていく。それがだ」

「舞は、まごうかたなき『祈り』であり、神に触れるものなのだ」

「世阿弥は感情を表に出すことをいさめています。
感情を露わにすると、舞台の調和が乱れ、精妙な芸が損なわれるから」

能楽師ではありませんが、日本人の精神性として自分の中に尊く思う気持ちがあることに気付きますね。

ハッとさせれる一面

教育の面ではあまりいいことばかりではなさそう思います。
これも私がそう思っているから、そう見えるのかもしれませんが。

日本の学校では、全員で掃除をします。
生活の一部を学校内で当たり前のようにやる。海外から見えれば稀有。
賛否あるとは思うけど、日本人には当たり前のことになってますね。

ただ、詰め込みや受験のための教育になりがちであることや
やりたいことをやるのではなく、みんながやることをやるという教育に
対しては批判的であり、違和感を感じることは私にも理解ができます。

子どもの心は満すべき器ではない。燃え上がらせるべき炎だ

ある人の半生

人生に普遍性はあるのか。「死」を迎えること以外に何もなし。
では、どう生きるのか。
決して、計画的に着々と未来に向かって生きることだけが素晴らしい人生とは限らない。1年の始まりに「抱負」を立てても2月の豆を巻く頃には忘れている。でもその時、その時で事件は起きる。思ってもみないことが起こる。

飛び跳ねて喜ぶこともあれば、肩を落とし絶望に打ちひしがれることもある。さぁ、1年の始まり。どんな風に翻弄されるのだろうか。
そして、私はどう振る舞うのか。能楽師のように心を荒げず過ごすことができるだろうか。心に火がついて、炎を燃え滾らすことができるだろうか。







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