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大手日系企業を退職しドイツに移住した理由2/5|なぜ海外?

こんばんは。
タイトル通り、退職と移住を決めた理由について、全5回に渡り書いていきます。

1.退職した理由
2.海外に住みたかった理由
3.ヨーロッパを選んだ理由
4.ドイツを選んだ理由
5.今である理由

今回は第2回、海外に住みたかった理由についてです。
前回の記事はこちら。

〈さくっと自己紹介〉
26歳。東京生まれ、東京・シンガポール育ち。元大手日系化粧品メーカーで営業とデータ分析。入社5年目で退職し現在ドイツ在住。
海外生活や独身アラサーのあれこれを発信。

海外に住みたかった理由

①これまでにない海外経験をしたかったから

海外に住んだ経験はありました。親の仕事の都合で家族みんなでシンガポールへ引っ越し、中2〜高2の3年間を過ごしました。学生かつ未成年という守られた立場で、親のお金で暮らしていました。
海外旅行もこれまでたくさんしてきました。学校に通いながらや企業に勤めながらなので、滞在期間は数日から長くても2週間程度。現地では観光がメインでした。

親や社会から特別に守られない立場で、自分のお金で、一人で、長期的に、暮らすということをやったことがなく、純粋に興味があり、死ぬまでに一回くらい経験できたらいいなと大学時代から薄っすら思っていました。

②祖父からの助言があったから

大学を卒業し就職した年に、家族で集まり祖父母の誕生日をお祝いする食事会を開きました。そこで祖父は一人ひとりに手紙をくれました。
私宛ての手紙は「人生100年時代はそこまできています。アドバンテージの語学力を生かして、二周目人生設計を考えながら、仕事をやってみては・・・。」と締めくくられていました。

この言葉はそこから始まる社会人生活の中で常に心に留めていたもので、あらゆる局面で反芻することになりました。そして今回の私の決断を陰ながら司っていたと思います。直接言及されているわけではありませんが、祖父の言葉には海外に身を置くことも包含されていると私は解釈しています。

③理想の自分像を叶えたかったから

私が理想とする自分像は「自立&自律している」状態で、日本に住んでいた当時の私は理想からかけ離れていました。そこに達するためには環境とマインドセットを変える必要がありました。

それまで私がいた環境は、生まれ育った地元で実家暮らしをしていて、家族や友達はいつでも会える距離にいました。生活圏は安心空間そのものでした。
それまで私が持っていたマインドセットは、家族・友達・恋人とのバランスを保つことが最優先事項でした。時には自分のリソースを必要以上に費やしたり、自分の欲を無視することもありました。

地元や実家を離れて自分の力で生活を作り上げたり、純粋な自分発の欲を優先させたいとなったときに、私にとってその手段の一つが海外に住むことでした。

おわりに

海外に住みたいと思った理由は以上です。
この気持ちは漠然としたもので、長い人生の中でいつかできたらいいなくらいの心持ちでした。なぜこのタイミングで行くことにしたのかは、最終回「今である理由」で書きます。

次回の記事では、海外の中でもなぜヨーロッパを選んだのかについて。
全5作無事完走できるように、スキ・コメント・フォロー頂けると励みになります。


最後に、他にも書きたいトピックがたくさんあるのでおまけに先出ししちゃいます。
マイペースに書いていくので、興味があればまた覗きに来てください〜!

▼海外生活編
・日本で褒められまくった自分の名前が、ドイツに移住して好きじゃなくなった話
・日本語訛りの英語を話したい、アメリカ英語が身についちゃった帰国子女の葛藤
・知り合いゼロの国に移住して2日目にホームシックになった話
・一人で外食できなかった私が海外に移住したら一人時間が好きになった話
・日本生まれ日本育ち、日本の漫画アニメが本当に分からない
・「手のひら」を「ポルノ」と間違えた英語学習初期の話
・冬好きが一人もいない国ドイツで迎える、初めての冬

▼キャリア編
・大手日系企業を退職して無職6ヶ月目に突入した私が思うX個のこと
・海外転職に挑戦してみて

▼人生編
・26歳の一年間で学んだX個のこと
・30歳までにやりたい30のこと
・受験・就活ノーミス人間に待ち受けていたのは温室育ちコンプレックス
・結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私が結婚したい理由
・これ「が」いい、よりこれ「で」いい。こだわりがない理由を深掘ってみた
・アイデンティティが4回崩壊した私の物語

それではまた。

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