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大手日系企業を退職しドイツに移住した理由1/5|なぜ退職?

こんばんは。
タイトル通り、退職と移住を決めた理由について、全5回に渡り書いていきます。

1.退職した理由
2.海外に住みたかった理由
3.ヨーロッパを選んだ理由
4.ドイツを選んだ理由
5.今である理由

今回は第1回、前職を退職した理由についてです。

〈さくっと自己紹介〉
26歳。東京生まれ、東京・シンガポール育ち。元大手日系化粧品メーカーで営業とデータ分析。入社5年目で退職し現在ドイツ在住。
海外生活や独身アラサーのあれこれを発信。

はじめに

本題に入る前に少しだけ前置きをしますね。
私がこの記事を書こうと思った背景について触れておきます。

父親の転勤による海外引越しも、志望校への入学も、志望企業への就職も、これまでの私の人生における大きな選択やそのタイミングは親や社会に大きく影響されたものでした。今年退職と移住をしたわけですが、100%自分の意思だけで進む方向を選び、タイミングを決め、節目を作ることは初めてでした。
周りに受験仲間や就活仲間がいるわけでもないし、自分一人で意思決定をする環境は時に心細かったりします。そしてなかなか決断し切れないときでも、誰かからの後押しさえあれば踏み出せたりします。私はそうでした。

この記事が、そんな誰かの心に寄り添ったり背中を押すきっかけになれば嬉しいです。そのために、かなり細かく分解して掘り下げていきます。
長くなるので気になるトピックだけピックアップしてもらえたらと。

それでは本題へ。

退職した理由

端的に言うと、自分が大事にしたい軸に対して会社がフィットしなくなったからです。具体的には4つ理由があります。

①決めていたゴールに到達したから

データ分析/データエンジニアを自分の武器の一つにする、具体的にはこの領域で「ベンダーに対して私一人に意思決定を任せてもらう&適切に意思決定できるようになる」「自分が得たナレッジやスキルを人に教える」の2つをゴールとして掲げていて、前者は去年12月に、後者は今年2月に到達しました。

ざっと経歴を話すと、20年に入社し営業部で営業業務を、23年1月から戦略部に異動しデータ分析をしていました。
この異動は一切希望していなかったことで、文系学部卒・営業職入社の私にとってこの領域に足を踏み入れることは計算外でした。大学時代からキャリアビジョンがあり(続編記事で詳しく書きます)、その実現に近づける部署/事業が社内にあり、そこを担うために入社をしたので、この異動は遠回りすることになると思いました。

まだ第二新卒が使えた時期だったにもかかわらず社内に留まることを選択したのは、キャリアビジョンと紐づけてここに自分を投資する意義を見い出せたから。
初めは「データ分析って何…?」状態でしたが、実務や新しい上司との月一ミーティングの中で徐々にこの領域の解像度が上がり、関連性がないと思っていた要素が繋がっていき、遠回りではなく通るべき道だと思えるまでになりました。それでも通過点であることには変わりなかったので自分の中でゴールを設定し、そこまで到達したら次のステップへ進もうと決めました。

②成長曲線がピークに到達した&鈍化したから

異動後、自分の成長グラフは23年1月〜9月が低迷気味の緩やかな右肩上がり、10月〜24年2月前半が急激な右肩上がり、24年2月後半〜は緩やかに下がり気味でした。担当する業務内容や一緒に進めるメンバー、チーム体制を鑑みたときに、少なくともすぐに上がることも過去のピーク時を超えることもないと判断しました。

自己成長を追い求めることが全員にとっての正解とは思ってないですが、私にとって仕事をするモチベーションは自分の成長度合いにかなり影響を受けるので、モチベーションを持って仕事を続けるには成長が見込める環境が必要でした。

③外部の人材と彼らの環境に興味があったから

異動後の戦略部では元/現コンサルと仕事をするようになり、その仕事さばきに魅了され、外の環境に興味を持ち、身を置きたいと思うようになりました。

外資系コンサルから転職してきた上司や先輩、外部ベンダーの仕事さばきに「か、かっけぇ…」と言葉を失った経験が何度もあります。そしてその感覚は、9割9分プロパー社員で構成される営業部時代には一度も味わったことがありませんでした。
プロパー社員にはなくて、コンサル出身者にはあるものは何なのか?彼ら彼女らがいる環境とは一体どんなものなのか?もしそこに自分が身を置いたらどんな変化を遂げるのか?など考えるようになり、「私も外へ出たい」という確信に変わっていきました。

④会社の方向性に対して折り合いがつけられなくなったから

1月から上半期が始まって以降、当期の経営戦略に疑念を抱いたり、部署やチームの方向性に納得できなかったり、社内制度の変更によってキャリアプランの見通しが立たなくなったりと、納得できないことがあまりに重なり、そこに対して今後も自分の中で折り合いがつけられそうにないと判断しました。

期の初めに社長自らが社員向けに発表する経営戦略に対して、入社当初は「そういうものなんだ」と脳死で受け取っていたものが、年次を重ねるにつれて納得できる部分とできない部分が出てきました。業績の悪化も相まって、それは疑念や会社に対する不信感に変わりました。
会社全体の経営戦略だけでなく、より自分の意思を反映しやすいはずの所属部署やチームの方向性にも納得できない部分が多々あり、そこに対して働きかけてみるもすぐに変えることは難しいと分かりました。方向性を理解しようと部長に質問してみるも、自分の考えを変えるには至らない回答を得たので変わらずモヤモヤしたり。あとは、自分がチーム内でメインで担当していてやり甲斐も感じていた業務が突然の停止命令を食らい、「会社にとって必要な業務だから復活させてほしい」と上司に頼み込み、然るべき手は打ってもらったものの、停止命令を覆すことができずモヤモヤしたり。
そして何よりも大きかったのは、キャリア形成に必要不可欠だった社内制度が変更となり、行きたい部署への異動可能性が限りなく低くなったこと。その部署が持つ優位性があったので目指してきたけれど、事業内容としては他社でも携わることができるものだったので、その部署に固執する必要はこの時点ではもはやありませんでした。

おわりに

私が前職を退職した理由は以上です。
どれか一つでも欠けていたら、あのタイミングで退職を決断することはなかったと思うくらい、どの理由も大きいものでした。ネガティブに聞こえる理由もあるかもしれませんが、私にとって4年2ヶ月という在籍期間は次にステージに進む上で必要だった時間であり、その間の経験を全て武器として身に付けることができました。

次回の記事では、海外に住みたかった理由について書きます。
なかなかの長編になりそうなので、全5作無事完走できるように、スキ・コメント・フォロー頂けると励みになります。

最後に、他にも書きたいトピックがたくさんあるのでおまけに先出ししちゃいます。
マイペースに書いていくので、興味があればまた覗きに来てください〜!

▼海外生活編
・日本で褒められまくった自分の名前が、ドイツに移住して好きじゃなくなった話
・日本語訛りの英語を話したい、アメリカ英語が身についちゃった帰国子女の葛藤
・知り合いゼロの国に移住して2日目にホームシックになった話
・一人で外食できなかった私が海外に移住したら一人時間が好きになった話
・日本生まれ日本育ち、日本の漫画アニメが本当に分からない
・「手のひら」を「ポルノ」と間違えた英語学習初期の話
・冬好きが一人もいない国ドイツで迎える、初めての冬

▼キャリア編
・大手日系企業を退職して無職6ヶ月目に突入した私が思うX個のこと
・海外転職に挑戦してみて

▼人生編
・26歳の一年間で学んだX個のこと
・30歳までにやりたい30のこと
・受験・就活ノーミス人間に待ち受けていたのは温室育ちコンプレックス
・結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私が結婚したい理由
・これ「が」いい、よりこれ「で」いい。こだわりがない理由を深掘ってみた
・アイデンティティが4回崩壊した私の物語

それではまた。

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