いじめってね、永遠に治らない傷なんだよ
おかぴです。
今日はずっと考えていたことをようやく文字に起こそうかなと思います。
きちんと言葉に表すのがちょっぴり怖いから、色がぐちゃぐちゃなったキャンパスを見て「これは赤色?それとも朱色?」っていうようにハッキリさせることはできないかも。「赤色っぽいね」くらいで。
もくじ
・はじめに
・中学生のときのはなし
・彼女の不機嫌は毎日のものになった
・15歳のわたしの瞳がいまも涙を流している
・おわりに~はなまるをあげるよ~
………
はじめに
昨年の11月、小学2年生の女の子とそのお母さんがいじめが原因で無理心中をしたというニュースがありました。心がいたたまれなくなったと同時に、「解放されてよかったね」という思いが込み上げました。そして、周りにいた子どもたちは今何を考えているんだろう、人の気持ちや命の重さを理解できる年齢なのだろうか。邪魔者がいなくなってスッキリしたと思っていたらどんなに怖いだろう。そんなことを考えていました。
ここ数ヶ月、今の自分を形成したものとしていじめの体験はとても大きかったのだと実感することがあったのでこのnoteを書きました。とっくの過去のものだとずっと思っていたのに。わたしは中学3年生のときにクラスメイトから無視、いやがらせ、陰口などのいじめを受けており、この頃からパニック症や過呼吸もはじまりました。自分が標的になる前はわたしも友だちの陰口を言っていたのであまり偉いことは言えないけれど。それでも自分がいじめられたときは本当につらかった。
………
中学生のときのはなし
わたしが通っていた中学校は当時創立約10周年を迎える新しい中学校でした。ニュータウンにあるその学校は、ふるさとの歴史と同時に生きる子どもたちの学び舎でしたが、わたしにとっては見るだけでいやな思い出が蘇る灰色の塊になっています。
2つの小学校の児童が集まった中学校は市内でも優秀な成績を修める生徒が多いことで知られ、素行の悪い生徒も一部だけ。習い事や塾に行く子どもがとても多い地区で、マンモス中学校なのにピアノの伴奏者を決めるのにオーディションが必要という学校でした。
しかし、思春期という多感な時期、友人関係のトラブルが多いのはどの学校も一緒。当時わたしもビクビクしていた女の子がいました。彼女(A子)は学内で成績優秀で、2、3年生とクラスが同じ。幼稚園が一緒だったこともあって仲良くなるのに時間はかかりませんでした。ただ、A子の難点がひとつ。それは、機嫌が悪くなると理由を明かさないまま露骨に態度や表情に出てしまうということ。そしてそれがなんの前触れもなく突然起こってしまうので、常に彼女の顔色を伺ってびくびくしていました。
A子の顔が曇りはじめたとき、何を言っても話さなくなった時、舌打ちと貧乏ゆすりが机に振動を伝えた時、わたしは暗黙の了解のようにそっとしておくのです。A子の機嫌が治るにはただただ時間が経つのを待つしかない。
そしてその度に頭に浮かべてハラハラしていたこと、それは
「わたし、なにか機嫌を損ねることをしたかな?」
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彼女の不機嫌は毎日のものになった
3年生の秋。通学路にひしめく枯葉は、寒さと遅刻に負けじと走る生徒たちの足を滑らす最後の一役を買っているようでした。
ある日、同じグループにいたB子が泣き出して保健室へ。心配になったわたしと友だちが迎えに行こうとすると、担任はわたしを引き止めこう言いました。「お前がB子のバレーが下手って言ったから泣いてるんだぞ。」
おかしい。そのセリフはA子がわたしに言ってきたものだったからだ。当時球技大会の練習の真っ最中で、わたしとB子は特にバレーが下手でした。B子はボールが来ても避けてしまうような消極的な様子を見せていたため、次第にクラスメイトの顰蹙を買うようになっていました。その折、A子はわたしに「まじB子なんなの?むかつかない?」と耳打ちしてきました。わたしは「そんなこと言わずに、わたしも人のこと言えずに下手だけど応援してあげようよ」と、彼女の意見に同意を示しませんでした。
それなのに担任からは真逆のことを言われ、なんなら全く事実無根なシチュエーションまでできあがってしまっていたのです。
その日からクラスメイトはわたしを睨み、無視する集団へと変貌しました。「B子大丈夫?あいつのがバレー下手なのにね」という陰口もわたしの耳に入るように。次第に体育以外にも暗雲が立ち込み始めたことを察知し始めた矢先、クラスメイトの男子から「クラスで嫌われているよ」とメールが届き、その指揮を握っているのがA子であることも判明していきました。どうやらピアノの伴奏者や学級委員会などの目立つポジションにいたわたしを気にいらなかったらしい。女王のようにA子が君臨するようになった教室にいられるには、透明人間のように全員の機嫌を伺いながら息を潜めて過ごすしかありませんでした。
それ以来透明人間になったわたしは、ひそひそ話をしはじめる輪が近くに見えると「自分のことかな?」と思い、『まじ今日もうざいしキモかった』というSNSを見ると「わたし今日なにかしたかな?」と思い、誰かのネガティブな表情や思いはすべて自分が原因なのではないかと思うようになっていきました。
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15歳のわたしの瞳がいまも涙を流している
A子がわたしに笑顔で駆け寄ってくれることは2度とありませんでした。ただ一度本当に彼女の機嫌を損ねてしまったあの日から。B子とはその後誤解は解けたものの卒業までクラスメイトに翻弄され続け、保健室に登校する日々もありながらなんとか卒業し、高校へと進学しました。中学生活とは反対に高校では友人に恵まれ、充実した3年間を送りました。A子とは高校が一緒でしたが一度も関わることはなく、今ではどこの大学に行ったのかもわかりません。
クラスメイトとは震災があったこともあり、卒業後に連絡を取り合うこともありました。成人式で5年ぶりにクラスメイトに会うと、「あの頃はごめんね」と謝られることもありました。A子と話すこともなくなり地獄の立方体に行かなくていいと思うとつらかった気持ちや記憶は次第に消えはじめ、気づけば10年前の話になろうとしています。わたし自身「あれは必要な経験だった」と思うこともあります。このいじめがあったことで友人の大切さを身をもって知ったからです。
でも、つらかった頃の記憶が定かでなくなったからと言って、今のわたしは過ぎてきた日々全部で出来上がっていることは事実。
「あのひと、怒っているのかな それとも疲れているのかな」
「返信がなかったけれど、わたし嫌われているのかな」
「目を見て話してくれないけど、なにかしちゃったかな」
「友だちだと思っているけど相手はどう思っているのかな」
「機嫌が悪いのはきっとわたしを朝から見て不快なんだろうなあ」
人からみたら「考えすぎだよ」で終わってしまうかもしれないけれど、
等身大のわたしはこうやって23年間生きてきたんです。
わたしの瞳は15歳のまま、世界を見て涙を流しているんです。
あの頃のトラウマはずっと心の中にあるままなんです。
いじめが10年のときを超えてうつ病を引き起こしたのです。
それくらい、いじめって治らない傷なんだよ。
自尊心を傷つけられ、他人の評価に翻弄させられ、自信を無くすんだよ。
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おわりに~はなまるをあげるよ~
ここ数か月、人といる自分はどんな感情なのかと紐解いていくと、この原体験をもってしてわたしは作られていったんだなと実感したのでこの記事を書きました。そして、わたしの大半の意思は人に嫌われないための道に繋がっていることにも気がついたのです。
もしかしたらこの記事を読んでいる人に同じような原体験を持っている人がいるかもしれない。そして気づかないうちに今も傷ついているかもしれない。あなたはまだその瞳で生きているのかもしれない。
いじめではなくても、人の一挙手一投足で人の心は簡単に折れます。簡単に傷つきます。簡単に脳の奥にこびりついてきます。なかなか消えません。
でも友人に言われて気づいたこと。それは、
そんな中でもこうして23年間生き続けた自分にはなまるをあげなきゃ。
15歳のわたしにがんばったねって言ってあげなきゃってこと。
うつになってから半年。
死にたいなと思う日もまだあるけれど、わたしがわたしにはなまるをつける毎日をもう少し増やせたらいいな。
みんなも過去の自分に、今の自分に、未来の自分にはなまるがつけられますように。
そんなことを思ったおかぴでした。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
2019.1.24(Thu) おかぴ