痛ましい事件のあとに思う一般人からマスコミのみなさんへの気持ち
これでもかというほど立て続けに起こる痛ましい事件の数々に心を傷めている人が何人もいるのではないかと思います。東池袋での自動車暴走事故、滋賀での園児死亡事故、そして一昨日の登戸での無差別殺傷事件。無慈悲にも何の罪もない人が命を奪われることに心がざわつくことも無理はないでしょう。わたしはこのようなセンセーショナルな事件が起こると、必ずといっていいほど被害者の心情を計りすぎて苦しくなってしまいます。特に、栗原心愛ちゃんが虐待によって命を落としたときには旅行中にも関わらず落ち込んだものでした。「ちゃんと天国に行けたかな」「水冷たかったよね、苦しかったよね」。生前は縁もゆかりもなかった彼女ではあるけれど、こうして同情することで「助けてあげられなくてごめんね」と、ある意味自己満足ともとれる思いを届けられないものか、と思うのです。
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そして、被害者と同じくらい心を傷めるのが、遺族および被害者家族の心情です。朝に行ってらっしゃいと声をかけたばかりの、夕ご飯前に「今日のごはんはなに?」と声をかけてくれるはずの人を一瞬のうちに失ってしまうのですから、その喪失感はとても推し量れるものではありませんし、少し冷たいことを言えば一生味わいたくない思いでもあるかもしれません。
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わたしが今回このノートを書こうと思ったのはまさしくその遺族の思いを考えたこと、そしてメディアに対するお願いです。
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緩やかな変化でさえ、つらい
わたしには上記のような経験はなくとも、つらい出来事をいくつも経験してきました。そしてその出来事はわたしにかなりの影響を及ぼしました。
・震災後、知人の死を思うとどんなに楽しくとも頭が真っ白になる
・祖父が胃がんによる半年の入院。死後、パニック障害で部活を辞める
・失恋後、うつになる
他の人ならゆっくり乗り越えられるかもしれないことで、わたしは心や体に大きな支障を及ぼしました。同じような体験をしたことがある人ならわかると思いますが、睡眠時間が減ったりごはんが喉を通らなくなったりと、「普通」の生活ですら大変です。
だからこそ、他の人が体験し得ない経験をした人にとってその普通は限りなく不可能になることは容易に想像がつきます。覚悟して祖父の死に向かう、恋人関係の終わりに向かうときの心の調整のレバーをわたしは自分の手で調整できたけど、このような事件のときは無関係の人にレバーを押されてしまう。こんなにつらいことはありません。
思い出してみてください。突然自分の大好きな芸能人が活動休止をしたり、推しの俳優さんが結婚したりするというニュースが流れると、そのファンたちは「これから何を希望に生きていこう」「もう仕事行けない」と本気で思うものです。緩やかな変化ですら受け入れられない時もあるのに、どんな状況であれ、急な変化に追いつけるほど人間は器用ではありません。
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他人の人生に介入することは責任がいる
わたしがNPOでインターンをしていたときに、様々な大学生と対話する機会がありました。そのときに必ず注意していたことは、気持ちを誘導しないように心がけるということ。
それにはとあるときに見た浅田舞さんの記事がきっかけでした。
世界で名を馳せるフィギュアスケーターの浅田真央さんを妹に持つ舞さんは、かつては真央さんもライバルでした。ある日本選手権に出場した際、思ったような結果は振るわず真央さんの順位には及ばなかったものの、「今日の滑りは最高だった!」と納得していたという舞さん。しかし、その後のマスコミの取材で「悔しかったですね」と言われてしまい、「あれ?わたしって今日満足していたよね、悔しいって思わないとダメなんだっけ?」と、自分の気持ちの置き所に迷ってしまったというのです。
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この浅田舞さんの状況で言えば、たしかに彼女はメディアの対応をせざるを得ない立場にあるかもしれません。日本代表を決める重要な試合に出場する選手として大事なことでしょう。
ただしマスコミという誰かの声を届ける媒介者となる以上、その人の人生に介入するという点で責任を持たなければなりません。滋賀の園児死亡事故においてもとある記者の「園側にも気をつけるべき点はなかったのか」という質問がされたときの園長の表情は到底忘れられるものではありません。とめどなく押し寄せる感情の津波に、まずは自分で、もしくは大切な人と乗り越えたいもの。それを他人である記者やカメラマンたちに囲まれてすぐに求められるとなると、況してや気持ちを誰かに決められうることは誰も耐えられるものではないと思います。
だからこそ、その取材が気持ちを誘導してしまうかもしれないことを念頭において取材をする、もしくは取材を控えるということを考えて欲しいなと思うのです。
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お願い、マスコミのみなさん
だからね、マスコミのみなさん
今は放っておいてあげてくれませんか。
その取材って「今」じゃなきゃダメですか。
身内でもない人のために今割ける時間はないはずです。
静かな衣の中に包まれたいのに、外に行けばマスコミに付きまとわれる。ゆっくり泣いていたい気持ちにインターホンで水を差されたら、被害者への祈りも届かないような気がしてしまうでしょう。
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そして、その対象は決して被害者家族、遺族だけではなく、同じ状況下にいた者たちすべてに適用されます。登戸の無差別殺傷事件でいえば子供達です。外傷後ストレス障害(PTSD)はよく知られたものですが、そのうちの一つ「サバイバーズギルト」(戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと)(Wikipedia参照)を抱える子供達もいるのではないでしょうか。そのような子供たちのケアをするのはあなたたちマスコミではなく、専門家の人たちです。どうかそれを邪魔しないでください。
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本来ならわたしは、どんな状況であれメディアが入り込むのに制限があってもいいのにと思うほどです。市川海老蔵さんが愛妻・真央さんを亡くされた時の押し寄せるメディアの波を見ていると、私の方がしんどくなったほどだったから。
「今じゃない。気持ちが落ち着いた頃話を聞かせてくれないかな」
このことをわきまえられるメディアほど、わたしは応援したいしぜひ利用したい。そんな誰かの心に寄り添えられるようなマスメディアがもっと増えますように。
2019.May.30(Thu) おかぴ