言葉のチョイス
歯の治療の帰り道のことだ。
何かしら、ある界隈で煙が上がっている。
ふわっと伝わってきた内容が流れてきたので確認したところ、たしかに、「これはねぇな」という類の発言がされていた。
しかしだ。
これまで多くの人の眉をひそめたくなるような発言を目にし、耳にしてきた。
他者から見た自分もそうだろう。自分は聖人君子でそんな発言はしたことがないなどとは言わない。
時代の変化もある。
昔はテレビで女性の裸が放送されてきたが、そのたびに気まずい雰囲気なったのも覚えている。今では考えられないだろう。言葉もそうだ。
ただ、何をどう思うかは自由だし、それを発表するのも自由だ。
自分が気に食わないからといって、発言をするな、などということは絶対にあってはならない。傲慢にもほどがあるし、それこそ自分を何様だと思っているのだ、という話でしかない。
批判はおおいにすればよい。批判をする自由があなたにはある。
名誉毀損、誹謗、中傷、侮辱にあたることもあるだろうが、それもあなたのちっぽけなカスみたいな自分の思う良心らしきものが決めることではない。
こういったことには、それぞれに一定の基準があり、正当な手続きをもって事にあたる必要がある。決して納得の得られる結果にはならないことが多いこともあるが、それでもなお、手続き的正義は守られなければならない。人治は決してよき社会を構成しえない。
言葉のチョイス
声の大きさ、といってもよい。
自分の意見を自由に述べる場が増えたのはよい。おおいに自分の意見を述べればよろしい。
しかし、それを見た人には批判をする自由もあり、あなたは批判を受けることも許容しなければない。誰からも批判を受けない、ということはないし、そんな甘えた覚悟なら発言はしないほうがよい。
誰にも告げず、自分の心の中で思うのは、誰からの制約も一切受けず、完全に自由だからだ。
それでもなお、世の中に意見をしたいことがあるなら、自分の意図ができるだけ正しく伝えるように努力したほうがよいし、言葉のチョイスも何より落ち着いて考えたほうがよい。
信じられないかもしれないが、世の中は読解力のないバカが多い。驚くほどのバカもたくさんいる。むしろ、脊髄反射のみで生きていて、書かれていることを読まないだけでなく、書かれていないことも間違って読み取るクズみたいないエスパーも多い。そういった世界に向かって発言しているのだ。
正当な主張でも捻じ曲げられることは往々にしてある。
「不適切な表現」はすぐに広がり、社会的に許容されないとされる発言には、純粋な批判だけでなく、苛烈な言葉が飛び交うこともある。義憤なりに燃えてしまった人は誰にも抑えられない。燃え尽きる人もいれば、ひたすら燃え続け向こう側にいってしまう人もたくさんいる。
「適切な」発言をすることは難しいが、「適切な」批判をすることもまた、相当に難しいのだ。
私に直接影響しないような事柄について、火中の栗を拾うようなことしない。
「耳と目を閉じ、口をつぐんで、孤独に暮らせ。それも嫌なら…」
by 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX エピソード 1 公安9課 草薙素子
至言だと思う