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「ダメな人はいない」と思う理由②

みなさん、ご無沙汰しております。
OKANです。

”「ダメな人はいない」と思う理由②”を書きました。

前回の「ダメな人はいない」と思う理由は、心理学的な理論を交えて書いてみました。

今回は、私が6年間していたボランティア活動のなかで感じたことです。

このボランティア活動では、おもに不登校のお子さんや神経発達症(発達障害)のお子さんとの関わりで感じたことです。

結論から言うと、ひとりもダメな子はいませんでした。

あまり具体的な内容は書けませんので(ボランティア活動には守秘義務があるため)、色々な場面を折り合わせて個人が特定されないように書きますので、ご了承くださいませ。

ここでは、不登校の子どものサポートをしていた時に感じたことで書きます。

最初にあったころは、その子は自分のことを「ダメな子」だと言っていました。

そう思う何かがあったんですよね。

その子の生活は昼夜逆転で、ゲーム以外は何もしていませんでした。
まだ義務教育の年齢の子どもです。

とはいえ、週1くらいで会うようになると色々見えてきます。
兄弟の面倒をよくみていたり、親のことを大切に考えていたり。
(家族構成は実はとても複雑です。身近な大切な人をすでに亡くしていたり、十分な環境での生活はできていない状況です。そのため行政にもつながっています)

その子のやさしさなどが見えてくると、OKANはその子の「やさしさ」を大切にします。そして、その子自身のことも大切にします。

その子はOKANと出会う前(出会って間もなくの頃も)、希死念慮(死にたいと思うこと)があったそうです。

自分に価値がないと感じていた、と後から話してくれました。

そう思う何かがあったんですよね。
OKANにはわからない何かが。

ここで、「死にたいなんて思っちゃダメだよ」とOKANは言いません。

「死にたい」と思うその気持ちも大切にします。(「死んでいいよ」という風に捉える方もいるかもしれませんが、それとは違います。「死にたい」という気持ちをジャッジ(評価)しない、ということです。そのうえでその子から湧いて出た感情を大切にする、ということです)

「死にたいなんて思っちゃダメだよ」という言葉は、その子の考えや思いを否定することになります。

”思う”ことは誰かが評価(いいとか、ダメとか)しなくていいですよね。
思うことは自由だし、思っちゃうんだからしょうがないんです。

とはいえ、死んでほしくないです。
なので、「死にたい」と思うその気持ちを大切にしながら、私はあなたに死んでほしくない、と話しました。

この子の家庭は、いくつか行政がつながっていましたが、その職員たちの考え方は ”この子をとりあえず学校へ行かせたい”、”この子は中卒で働くしか道はないのかもしれない” という感じがOKANにはしました。

こういった無言のコミュニケーション(行政の職員と不登校の子ども)の中で、子どもはさらに「自分はダメな子」と感じてしまうことがあります。

「ダメな子」は周りが作ってしまうことがあるということです。

OKANは、どんな環境や特性があっても、ダメな子はいないと考えます。

小、中のほとんどを不登校として過ごした子どもであっても、自分の将来を考えることができるようになると、希望を持ち始めます。

そのためには「夢や希望をもっていい」ということに気づいてもらえる環境が必要だとOKANは考えます。

今まで夢も希望もなく、「自分は中学を出たら親のために働かなければならない。何のために生きてるんだろう・・・」と考える子ども。
そしてその考えに同意している行政の職員やサポートをしている人たち。

この背景は、ますます子どもの自己肯定感を下げます。

この子はこの環境でずっと生きていくことを選んでもいいし、別の生き方を選んでもいいんです。

なので別の生き方があることをOKANは伝えました。

それには責任も伴います。

自由には責任が伴います。

そして、選ぶのは「あなた自身だよ」と伝え、まだ子どものうちはOKANたち大人ができることはするから、とも伝えました。

ある子どもは「高校進学をしたい」という気持ちを話してくれたので、行政の職員を巻き込んで協力してもらいました。

色々調べたら、ブランクが長い生徒を受け入れてくれる通信制の高校もありました。

学費の問題も、行政の職員たちと何度も話し合い、本人とその養育者が納得いくかたちで進めました。

ずっと家の中でゲームをしていた子も(ゲームしかやることがなかったとも話していました)、気が付いたら夢や希望を話し、アルバイトの面接に行き(何度も落ちたりもしました)、高校へ行き、必死で単位をとっていました。

こういった子どもたちをOKANは一度も「ダメな子」とは思いませんでした。

OKANはその子どもたちや、その養育者たちに寄り添ってお話を聴いていただけです。

あるとき、その中の子どもの一人が、自販機でお茶を買ってOKANに渡してくれました。

OKANは驚いて、「それは違うよ💦」とアワアワしていたら「話を聴いてくれたお礼だから」と。

その気持ちがとても嬉しかったので、「こちらこそありがとう」と伝えました。

世間一般で言う「ダメな子」「ダメな人」は、OKANのなかではダメではありません。

「みんなが自分のことをダメだと思っている」と感じても、世界中のみんながダメだと思っているわけではありません。

実は、他人を「ダメ」と思う人にもそう思う理由があるんですよね。

人間て複雑・・・。

とりあえず、OKANは「ダメな人はいない」と本気で思っている人です。

では、みなさんに幸あれ😊💕







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