『この出来事をどのように捉えたいのだろう』

世の中のことはすべて
心の持ちよう一つで
どうにでもなる

渋沢 栄一

出典)東京都神社庁『生命の言葉』令和五年二月版

 毎月、月の初めには事務所の近くの神社へ行って、この一ヶ月、無事に商売ができたことへのお礼と、これからの一ヶ月、この地で商売を続けさせてくださいというお願いをしています。
 神社には、東京都神社庁が作成した『生命の言葉』という、短冊のようなチラシが置いてあり、月ごとに新しいものが作られています。

 冒頭の言葉は、今月の『生命の言葉』に書かれていたものです。
 日本資本主義の父とも称され、新一万円札に肖像が採用された、渋沢栄一の言葉です。
 物事(出来事)に良し悪しは無く、その物事(出来事)をどう捉えるかは、自分次第であるというようなことでしょうか。
 水が半分入っているコップを見て、「もう半分しか残っていない」と捉えるか、「まだ半分も残っている」と捉えるか。
 よくある例え話ではありますが、このようなことなのかなと、私は解釈しました。

 『世の中のことはすべて』と言っているものの、私は例えば戦争や疫病、貧困などの渦中にいる人は、『心の持ちよう一つ』とは言えないのではないかと思います。
 ただ、それを乗り切った先、将来その状況を振り返ったときに、『辛く悲惨な出来事だった』と捉えるか、『あの体験がいまの私を強くしている』と捉えるかは、もしかしたら自分の心の持ちようでどうにでもなるのかもしれない。
 そのようにも思います。

 戦争や疫病ほどではないにしろ、私達は日々、色々な出来事を体験します。
 その出来事事態に良し悪しがなかったとしても、私達はその出来事に対し、良し悪しの判断をして解釈をしているのではないでしょうか。

 もし、渋沢栄一の言うように『心の持ちよう一つで どうにでもなる』のであれば、普段であれば悪く捉えたり、イライラしてしまう出来事であっても、良い点を見ることができるのではいか。
 それができないにしても、出来事を良し悪しのない『ただ起こったこと』として捉えることができるのではないか。
 そのように出来事の捉え方をコントロールすくことができれば、少なくともイライラしたり、心がざわつくことが少なくなるのではないか。
 そんなことを思いました。

 この出来事をどのように捉えたいのだろう
 出来事をついつい悪いように捉えてしまい、苦しんでいる方。
 出来事に対して客観的な視点が持てずに辛い思いをしている方。
 いつでもご相談ください。

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