目標を達成したっていい
◯◯したっていい
これはyoutubeショートで有名なけんた食堂さんの独特な言い回し。
けんた構文などと言われている。
このけんた構文は自由な気がして、天邪鬼な自分にとって好きな表現である。
ごまかけたっていい、マヨネーズかけたっていい、ソースかけたっていい。レシピ通りに作る必要はない。うまければ何したっていいのが料理だ。
流石に、悪いこと、法律を犯すことはしたっていいでは済まないが、したっていいの気持ちは、時にネガティブな感情からくる束縛を解放させる。
かつて、自分に取って「目標」とはプレッシャーのかかるネガティブなワードであった。
7年前、とある学習塾の教室長をしてた時、夏期講習で朝8時から出勤し、ヘトヘトのまま、夜10時。報告をかねたミーティングが終われば帰れる、という時に、エリア長から「夏期講習の目標達成できてる?」との声。やばい、後30万ほどだが、まだ達成できていない…「達成するためには何をする?」他の達成できていない教室長が次々に、ビラまいてきます。生徒の保護者に電話をします。など、小さな声で答えている。おいおい、朝8時から働いてるのにまだ働くのかよ…本気か?思わず愚痴がこぼれそうになる。そこから夏期講習を終えるまでずっとこの目標、目標、目標が頭にこびりついて離れない。生徒、保護者に〇〇高校に合格するにはまだ授業が必要です!と必死に伝える。駅前でビラを配る。やれることはやったがその夏は決してポジティブに働く事はできなかった。
結局、僕を含めた自分のチームのほとんどが目標を達成できず、夏期講習を終える。その会社は夏期講習後にボーナスが出るのだが、前の年は20万ほどはもらっていたボーナスが、その年は3万円を切っていた。朝8時から夜11時までフルで働いて、3万もない。バイトしてたほうがもっと稼げたんじゃないかと思う。
会社側はノルマではなく、あくまでも目標だとはいったものの、現実は減額である。会社からの説明ではみんな目標が達成できなかったのだからこれだけしかないとのこと。納得いかない。目標は達成できていないが、じゃあこの夏、売り上げた200万はどこにいったんだ?そもそも会社は何かマーケティングしてくれたのか?夏期講習の手伝いをしたのか?そもそも全責任は教室長なのか?頭の中を負の感情がぐるぐると回る。不満を言っても仕方がない、次の冬期講習は目標を達成するんだ…!必死に準備をして次の冬期講習を迎える直前、僕は心不全で入院になった。僕の心が折れたのもこの時で、3月には会社をやめた。
ブラックな会社そうだし、やめて正解だと思う人もいるが、ボーナスが出ているだけまともだし、パワハラがあったわけでもない、むしろいい会社だったと思う。
あの時の自分はどう考えれば良かったのだろう。
今の僕がもし、あの時の僕に言うとすれば
目標は達成したっていい
なんと投げやりなアドバイスである。ふざけてるのか?と過去の自分に殴られそうだ。
しかし、これは裏を返すと目標を達成しなくたっていいということ。つまり、目標を重要視するなと言いたい。
なぜ、目標を重要視しないのか、まず1つの理由が、バーゼル大学の研究によると、人は自身の目標について「達成可能である」と感じていると、人生に幸福を感じられる。この研究で驚くべき点は、「達成可能と感じていれば、実際に達成できたかどうかはほとんど関係ない」
成人期にわたる人生の目標を詳しく見る: 目標の重要性と目標の達成可能性の内容
A Closer Look at Life Goals Across Adulthood: Applying a Developmental Perspective to Content, Dynamics, and Outcomes of Goal Importance and Goal Attainability
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/per.2194
目標に固執すると、それ以外の時間は我慢の連続のように思える。
目標は幸福を制限するのだ。
目標だけに執着せず、目の前のことが目標に向かっているのかを常に、確認、仮説、検証、改善する必要がある。そこで成長を感じることができれば幸福を感じれるということだ。
また、目標達成のあと、全て終わったかのように抜け殻になってしまっては意味がない。受験でよくある話だが、大学に入ってから途端に何もしなくなる。やっと入ることができたことがゴールになってしまう。長期的な観点で人生を捉えるなら、そこにハマってしまってはいけない。常に幸せであるために、常に仕組みを改善し続けることだ。
そして、目標よりも重視すべきこと、
それはプロセスと仕組みである。
「目標をたてることが第一であって、過程はどうでもいい。結果が全てだ。」
この意見に賛成する人は一定数いるだろう。
しかし、目標はあくまで「方向を定めるもの」だ。
歩いて日本を一周する!という目標をたてた人と
とりあえず歩けるだけ歩くという目標がない人がいるとする。
その2人が同じ道を同じように歩いたらどうなる?
結果は同じ。
これはかなり極端な例だけれでも伝えたいことは、「仕組みや過程に集中すれば結果はでる」ということだ。言い換えると、
結果を作るのに、設定した目標ほとんど関係ない。関係があるのは仕組みのほうだ。
しかし、決して目標がいらないというわけではないなく、目標は「進むべき方向を定めるもの」として理解しておく必要がある。目標がなくては日本一周しようとはならない。ただ歩くことに価値はない。
先ほど書いた通り、僕は病気になってしまったので、やはりダイエットしなければと思った。しかしうまくいかない。続かない。糖質制限、脂質制限…何が自分に合うのかさっぱりわからない。目標体重にも届かない、嫌になってもういいやとリバウンドするの繰り返しだった。
しかし、この目標に囚われない考え方をするようになってまずしたのが
体重を測るのをやめたことだ。
体重を測っていちいち一喜一憂して、プレッシャーをかけなくて続けてやってれば痩せる。とにかく続けるのを意識していた。
結果は3ヶ月で10kg痩せていた。
ただし、別にこれが目標ではなくあくまでも健康に過ごしたいので、ダイエットに関しては今も続けている。
目標を気にしないと考えるようになった原点がこちらの本
ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣
この本にはさきほどのダイエットのもう一つの成功要因である「継続」することを習慣として落とし込む方法が記してある。この習慣についての認識を変えることで間違いなく生き方が変わり、そして色々なモヤモヤな考えが定まった。ぜひ、一度読んでほしい。
目標を達成したっていい。もちろん目標が達成できたら最高だけど、できなかったからといって不幸に感じる必要はない。仕組み、プロセスを考えて続けていけばいいというお話。