【🇯🇵 茨城#2】鹿島神宮の要石はなんとピョン吉石だった!
タイトルは完全に昭和30年代~40年代をターゲットに考えました(汗 「ど根性ガエル」という吉沢やすみさんという漫画家が少年ジャンプに連載していた作品で、アニメ化もされたので40年代の方もよくご存知なのかと思います。では何故カエルが主人公?のひろしのTシャツに貼り付いてしまったのか。ひろしがゴリライモに押し飛ばされて石に躓いて転んだ時にぴょん吉を圧し潰したことから始まったというのは、原作を読み込んでいないと記憶に残っていないでしょうね(苦笑 そうそう、このひろしの声もドラゴンボールの悟空でお馴染みの野沢雅子さんだったんですよね。
鹿島神宮にある要石をお参りした時に、「あっ、これはピョン吉石だ!」とすぐに思い当たりました。そう、ひろしも小さな小石と思っていたので蹴り飛ばすくらいの勢いだったのですが、地中に埋まっている部分がめちゃくちゃ大きかったというのがオチになっていて、まさに鹿島神宮の要石も地震を鎮めているとさえいわれるほど地中部分はとてつもなく大きいとされているらしい。まさにぴょん吉石なのである。
鹿島神宮では天照大御神の命を武甕槌大神(タケミカヅチノミコト)に伝える役割を担ったことから、今でも鹿が神の使いとして大切にされているんだそう。売店で餌を購入すると、鹿に餌やり体験もできますよ。
さらに奥参道を奥宮の方へ進んでいきます。鹿島神宮には巨木がたくさんあるんですね。駐車場のスダジイ、境内入口のタブノキ、楼門近くのスギは幹の周囲が5mを超えそうです。
奥宮に到達しました。こちらは1605年(慶長10年)に徳川家康が関ケ原の合戦に勝利した御礼にと、現在の本殿の場所に本宮として奉納したものを、その14年後にこの位置へ遷してきたものなんだそうです。
本宮で奥参道は終点、ここから御手洗池方面と要石方面に分かれます。折角なので両方行きます。まずは要石方面に向かってみましょう。
奥宮から要石までは100m少々あるでしょうか。木々の深い森の中へ進みますが、路はしっかり整備されています。
要石までちょうど中間地点でしょうか、武甕槌石像がありました。大きな鯰の上に仁王立ちですね。江戸時代の庶民の間では、地震は地中の大鯰が暴れて引き起こすと信じられていました。地震が起きないように大鯰を地中に押さえこんでいるとされる要石が鹿島神宮と香取神宮に祀られています。まさに大鯰を抑え込んでいるかのような石碑で「大鯰の碑」とも呼ばれています。
要石に到着しました。この鳥居の先の柵で囲われたなかに要石がありますが地表に出ているのはごく僅かで、地中はめちゃくちゃ大きな石なんだとか。そこで昭和生まれのオジさん(初老を過ぎているのでお爺さん?)はピンときてしまったのです。そう、「要石ってピョン吉石じゃん!」って。
要石の深さは幾十尺(1尺は約30cm)と言われているらしい。記事の冒頭にも書きましたが、一瞬にして子供の時に夢中で読んでいた漫画のストーリーが頭に浮かびましたね(苦笑
要石で折り返し再び分かれ道の起点である本宮前から、今度は御手洗池へ降りてきました。一年の始めには約200人もの人々が参加する大寒禊も行われています。
一日に40万リットル以上の水が沸く御神水で、ちょっと写真が下手くそですが水面は底が見渡せるほと澄んでいます。左手で参拝者がしゃがんでいる場所で湧き水を汲むことができます。
鹿島神宮
要石
ど根性ガエル