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主に世界と人間について書かれたエッセイたち

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2019年5月の記事一覧

「2091年」、あるいは2019年

2091年の世界。価値観になりたい。  権力は世界を豊かにしない、というのが狼だぬきの基本的な姿勢である。ピケティだって言ってた。r>gだから、格差は拡大し続ける。rもgもなんなのかはわからないけれど、偉い経済学者が言うんだから、おそらくそうなんだろう。つまり人間は、時間の累積が無機質に不公平を増やし続けるシステムに生きている。「持たざるもの」の子孫は不幸になる運命なのだ。緩やかに、それでいて複利的に。統計的な証明。統計は、あんまり嘘はつかない。嘘をつくのは物書きの役割だ。

初夏の雨上がりを肴に

 雨は嫌いだ。だから、雨上がりはいい。特に、梅雨入り前、初夏の雨上がりは最高だ。25度を優に超える日々、少しずつぼくたちに夏の脅威の片鱗を与え、記憶からその恐怖と絶望を思い起こさせるまだ乾いた暑さ。これから5度以上気温が上がって、そこに湿度という悪魔も手を貸してくると思うと、途方に暮れる。  だからこそ、5月末の雨上がりはいい。まず、雨上がりがいい。今日のように朝から晩まで降り続けた日の雨上がりの夜は至高。嫌がらせのようにしとしとと降り続けた雨がないだけで、その変化に小さな

公平な世界はあり得るか

 不公平な世界だな、とつくづく思う。身長はそれほど高くないし、顔も良く言っても中の上。良く言ってもね。つまり中の下。関西人は、盛ることで生きながらえる。おかんが「お母さんもう寝るで」っていう宣告をしたにも関わらず、リビングで1ミリも教養のつかなそうなバラエティをつけているのを見て「盛る」を学ぶ。  背は高くないと書いたが、その中でも足が短い。背高くないのに足が短いとはどういうことだ。バランスがおかしいだろう。小4くらいまでは、座高が高いことを嬉々として友人に話したが、5年生

自己責任論へ責任追及

 「自己責任」の考え方は、誰も幸せにしない。全てを不幸へ葬る、危険思想。それでいて、その危険思想は当然のようにあらゆる人々の意思決定の基準となる。  何よりタチが悪いのは、自己責任論が人を傷つけ自分を守る刃物にしかならないことを、ほとんど無自覚であることだ。無意識まで入り込んだ価値観ほど、威力が高く修復が難しいものはない。良くいうと「文化」であるが、それは言い換えると「イデオロギー」にもなり得る。ファシズムのように。  自己責任論は、一体どのように人を不幸へ葬るのか?どの

独善的世界認識のすヽめ

 正直、読まないで欲しい。このノートは、どれだけ人の世が絶望で溢れているかを書き連ねる掃き溜めにすぎない。なぜなら、人の世、つまり世界はそれくらい絶望的であるからだ。この記事は、世界そのものだ。この一説を知っているだろうか。 山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 (『草枕』夏目漱石)  「夏目漱石なんて、堅苦しくて」なんて、人は純文学を敬遠するが、意外と悪くないものだな、と思う。純文学だけ

大きな声で語るということ

 一つ、気をつけていることがある。なるべく大きな声で話さないことだ。声は大きいほど、比例して正しく聞こえてしまうからだ。確かに、声が大きいというのはある程度自信に比例するだろう。自信があるのであれば、正しい可能性は小さくはない。少なくとも、小さな小さな、消え入る声で発される、太陽の光で今にも蒸発しそうな朝露のような意見に比べれば。  一方、こうも取れる。声が大きいからといって、自信があるからといって正しいとは限らないのだ。テストを思い出そう。自分の解答に対する自信は、予定ほ

不歓迎社会日本

 一億総中流社会。妬み嫉妬社会。格差社会。学歴社会。少子高齢化社会。シルバー民主主義社会。「○○社会」というフォーマットでの日本への揶揄は後を絶たない。あらゆる日本人は自分自身や付近の環境を観察し、その「感情的な問題点」を「社会」に投影して批判する。やれやれ、どいつもこいつも人のせいに...と、ぼくもまた、人のせいにする自分自身を社会に投影し、嘆く。それに気づき、再び絶望。絶望したら川へ行こう。正しく絶望できる数少ない場所が都会の川だ。人間は嫌になるなあ  今日は自己の精神

「説明しないとわからないことは、説明してもわからない」

 村上春樹の『1Q84』に出てくる一説を、タイトルにした。狼だぬきも、本くらい読む。特にすることがないからね。読み進める中で、この言葉が特に目に止まり、同時にページを捲る手も止まってしまった。  半分、分かる。もう半分は、すとんと来ない。まるで、はじめて二次関数の頂点を求める公式を教えてもらったときのような感覚。使えるが、腹に落ちない。なぜ頂点が求まるのかが、しっくりこないあの感覚。  二次関数の頂点が平方完成で求まる理由は簡単だった。ただ、x=0の状態からズラした数式で

ドフラミンゴが言う「勝者だけが正義」について

  昨日、こういうnoteを書いた。実際には、「noteを書いた」という感覚はほとんどなく、「文章を書いた」という感覚だけがつよく、つよく残っている。この文章をきっかけに、ぼく狼だぬきは継続的に文章を書くということが決まった。神のお告げというと大仰に聞こえるかもしれないが、それに近い何かの知らせ。直感的判断。神よりはもっと抽象的で、一方で現実的な何か。  さて、穴ぼこについて書こうと思う。精神的欠損。欠落的穴ぼこ。普通に生きていたら、決して誰にも晒すことのない秘境。文字通り