『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第23話「ポール・ニザンと6ダースのコンドーム」
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スナックふかよみ にて
では『スプートニクの恋人』に戻ろうか。
次は「ぼく」と「すみれ」の出会いのシーンだ…
五月の連休明けの月曜日、大学正門の近くのバス停留所で、ぼくが古本屋でみつけたポール・ニザンの小説を読んでいると、となりに立っていた背の低い女の子が背伸びをするような格好で本をのぞき込んで、どうして今どきニザンなんか読んでいるのかと質問した。ものの言い方はなかばけんか腰だった。なにかをけ飛ばしたいのだけれど、適当なものがないので、しかたなくぼくに質問しているみたいだった――少なくともぼくにはそんな風に感じられた。
プンプン臭うぞ。何から何まで。
また?
この場面で「すみれ」がイライラしてる意味あるか?
なぜ「すみれ」は何かを蹴飛ばしたいくらいイラついていたんだ?
そう言われてみれば…
確かに後の展開を考えると「すみれ」がケンカ腰である必要性はないわよね…
だって、この後すぐに二人は意気投合するんだもん…
ここだけ「すみれ」の描かれ方が、ちょっと異質だわ…
岡江クン、いったいどういうことなの?
簡単だよ。
すみれには「イエス」が投影されている…
そして聖書の中にも、イエスがイラついて暴力的になるという”異質”な場面が一ヶ所だけある…
見ず知らずの人に難癖つけて、怒りにまかせて蹴飛ばす場面がね…
あ!これね!
『神殿の商売人へ怒りを爆発させるイエス』
ジャンドメニコ
実は村上春樹は『マタイによる福音書』の第21章「イエスのエルサレム入城」をパロディにしているんだよね。
イエスはエルサレムの門をくぐる前に立ち止まり、弟子たちに「ロバに乗って入るから、ロバを連れて来なさい」と告げ、そこでずっと待っていた。
ヘブライ聖書(旧約)に書かれたメシアの預言を成就させるためにね。
それを村上春樹は「大学正門前のバス停留所」と表現したんだ。
『イエスのエルサレム入城』
アンブロージョ・ロレンツェッティ
この場面は小説や映画でよくネタに使われるよな。
「柔和なお方が来る」という預言を成就させるためにわざわざロバに乗って入城したイエスが、その直後に皆の前でブチ切れるというコントみたいな展開だから。
21:4 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。
21:5 すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なお方で、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」
21:6 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、
21:7 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
21:8 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。
21:9 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」
21:12 それからイエスは宮に入られた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、鳩を売る者の腰掛をくつがえされた。
でもさ…
なんで「五月の連休明け」なの?
イエスのエルサレム入城は五月じゃないでしょ?
そう。イエスのエルサレム入城は五月ではない。
やっぱり岡江クンの深読みし過ぎなんじゃない?
いくら村上春樹でも、そこまで考えて書いていないのよ。
そんなことはない!
村上春樹を甘く見ないでくれ!
え?
ヒュ~♫
・・・・・
イエスの「エルサレム入城」は「復活」の一週間前の安息日明けの日…
つまりユダヤ暦「NISAN(ニサン)の月」の10日前後のことだ…
ユダヤ暦は太陰暦だから、僕たちが使う太陽暦のグレゴリオ暦では、この日付が毎年変わることになる…
だいたい3月中旬から4月中旬に変動するんだよね…
しかしこれでは大学の春休みに当たってしまう可能性があるため、村上春樹は「五月の連休明けの日」とした…
苦肉の策として…
そして村上春樹は、すみれに突っ込みを入れさせたんだな。
「どうして今どきニザンなのか?」と(笑)
まあ…
「もうニサンは過ぎて五月じゃん!」って意味だったのね…
・・・・・
だから村上春樹はあえて「書名」を出さなかった。
ポール・ニザン(NIZAN)という「名前」が重要だったから。
なるほど…そういうことか…
じゃあ「ぼく」がニザンの何を読んでいたのかは、どうでもいいのね。
いや、そういうわけでもない。
日本でニザンといえば、若き日の自叙伝的小説『アデン、アラビア』だからね。
アラビア半島の先っぽにある街アデンへ自分探しの旅に出たボンボンの語り手が、嘘と欺瞞に満ちた世界に対して延々と悪態をつきまくるという作品だ。
斜に構えたボンボンの自分探しの旅?
それってサリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』みたいじゃん。
新旧約聖書のパロディもふんだんに使われていて、そっくりなんだよね。
ラストシーンは「ゴルゴダの丘」での十字架刑そのまんまだし。
そしてニザンの『アデン、アラビア』といえば、何と言っても、日本人の大好きなこの冒頭フレーズだよな。
僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しい季節だなんて誰にも言わせない。
あ、これ聞いたことある。
ツイッターでたまにつぶやいてる人いるよね。
確か今年の新年早々、あの幻冬舎の見城徹も呟いてたわ…
僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しい季節だなんて誰にも言わせない。
35歳で戦場に散ったフランスの作家ポール・ニザンの小説[アデン・アラビア]の書き出しである。20歳の時、僕はこの一文を何度も呟きながら、絶望的な戦いをしていた。48年が経った。僕は何を失い、何を得たのだろうか?— 見城 徹 (@kenjo_toru1229) 2019年1月1日
このツイートは実に興味深いよね…
さすが元文学青年で、策士で名高い見城氏だ…
どこまで彼は確信犯的にこれを書いたんだろう…
え?どゆこと?
『アデン、アラビア』は第一章の冒頭フレーズばかりが注目されているんだけど、最終章にも名言があるんだ…
経済活動において自己利益のみに従って行動する完全に合理的な存在「ホモ・エコノミクス」の信奉者に対するニザンの辛辣な批判がね…
彼はむしろ自動販売機に近い。
目的はただひとつ、購買力によって支配すること。
こうして、彼らが感じる軽蔑、人々のうちにひき起こす羨望が、彼らの生の実感なのだ。
やだ…
これって、あの事件…
みなまで言うな…
それを踏まえて「48年が経った。僕は何を失い、何を得たのだろうか?」という見城氏の呟きを読むと、僕は孤独な戦いを生き抜いてきた男の哀愁に満ちた背中を思い浮かべずにはいられない…
実際に見城氏の背中を見たことはないけれど…
そうね…
新年早々引用ツイートするってことは、相当読み込んでいるってことだもんね、この小説を…
そして、血のにじむような覚悟で壮絶な人生を送ってきたという自負がなければ、こんな公開自問自答なんて出来ないわ…
そういうこと。
ニザンはもういいから、先に進もうぜ。
村上春樹のしょーもない駄洒落をここまで膨らます必要ないだろ。
あ、そうでした…
それから語り手「ぼく」は、すみれとの読書の日々を語る。
日本の小説、外国の小説、古いものも新しいものも、前衛小説からベストセラーまで、少しでも知的興奮が得られるものならば手当たり次第に二人は読んだというんだね。
二人で図書館に入り浸り、神田の古書店街に行けば一日中飽きもせず本を読む…
神田の古書店街w
イエス・キリストは神の家エルサレム神殿に入り浸って旧約聖書を読んだってことね(笑)
そして、すみれが大学を2年で中退した年に「ぼく」も卒業し、その後の二人が描かれる。
すみれは月に二回か三回は「ぼく」の部屋に遊びに来ていた…
顔を合わせるとやはり小説の話をし、本を交換した。ぼくはまた彼女のためによく夕食を作った。料理を作るのが苦ではなかったし、すみれは自分で料理を作るくらいならなにも食べないでいる方を選ぶ人間だった。そのお礼のかわりにすみれはよくアルバイト先からいろんなものを持ってきてくれた。製薬会社の倉庫でアルバイトをしていたときにはコンドームを6ダースももらってきてくれた。たぶんまだ引き出しの奥に残っているはずだ。
男の部屋にひとりで遊びに行って、お土産にコンドームを渡すって、すみれはとんだ小悪魔ね。
しかも6ダースって、どんだけ「やって」アピールよ(笑)
深代ママ、わかってねえな…
村上春樹の意図が…
は?
・・・・・
これは村上春樹のジョークなんだよ。
ジョーク?
もしかして「ニサンが6」とか(笑)
そうじゃない。
「6ダースのコンドーム」とは「旧約聖書」のことなんだ。
ハァ!?6ダースのコンドームが旧約聖書?
いったい、どういうことなの?
新約聖書というのは旧約聖書を基にして書かれたんだけど、その際に使われたギリシャ語訳の旧約聖書を『七十人訳聖書』と呼ぶんだ。
マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四人の福音記者、そして様々な書簡を書いたペトロやパウロは、この『七十人訳聖書』から引用しているケースが多いんだよね。
ちょっと待って…
1ダースは12でしょ?
そして6ダースなら72よね…
そうだよ。
じゃあなんで『七十人訳聖書』なの?
まさか村上春樹は算数が苦手だとか?(笑)
村上春樹を舐めるな!
そんなミス、小学生でもするわけないだろ!
ガン!
(隣の椅子を蹴飛ばす)
きゃあ!
まあまあ落ち着けよ、岡江君…
マタイ第21章じゃないんだから…
はっ!
すみません、つい…
ディアスポラによって地中海沿岸に散らばったユダヤ人は、次第にヘブライ語を忘れてしまった…
そして異民族で新たにユダヤ教徒になった者もヘブライ語の読み書きが出来ない者が多かった…
え?
だから当時の世界公用語であったギリシャ語のヘブライ聖書が必要になったのです…
イスラエル十二支族からそれぞれ6名の長老たち計72人が選ばれ、彼らが72日間かけて翻訳…
それが後世『七十人訳聖書』と呼ばれるようになりました…
なんで72だったのに70になっちゃったの?
そこはよくわからないんだ。いつの間にか70になってしまったらしい。
とにかくキリスト教世界で「旧約聖書」と言ったら、この「12x6」の72人が72日間で翻訳した『七十人訳聖書』のことを指すことだけは覚えておいてほしい…
そして「72」といえば「フーリー」もあるよな。
フーリー?なにそれ?
イスラム世界では伝統的に、男性信徒が天国に行ったら「永遠の処女フーリー」が72人与えられると言われている。
あ、これ聞いたことある。
だから「ぼく」は、まだ引き出しの奥に残ったままだと語ったんだね。
「ぼく」には72人の処女が与えられなかったから。
なるほど。そういうことか。
やっぱり村上春樹の書くことって、すべて意味があるのね。
ごめん、疑ったりして…
いいんだよ、わかってもらえれば。
なんだこの会話。お前は村上春樹かよ(笑)
あ、すいません…
つい、いつものクセで、本人のつもりになってしまった…
いいんですよ…
え?
いえね…
たとえそれが深読みという独断的なものであっても…
ここまで作者に寄り添われたら…
それは作家冥利に尽きるんじゃないでしょうか…
春木さん…
確かにそれは言えるな。
オトナの事情で作者本人が決して口に出せないこともあるだろうし。
カヅオ君…
さあさあ、そんな希望的観測はそこまでにして、さっさと話を進めましょ。
まだまだ先は長いのよ!
そうだった。スピードアップするぞ。
次はいよいよ「中国の門と犬の血」についてだ…
つづく
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