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晴れが何よりの荒れ模様。

花粉症の皆さんこんにちは♡

花粉症歴、小学校から○○年歴のハコです。

昨日から急に鼻水とくしゃみがやばくなって、病院でもらってあった薬を飲んで今朝はスッキリ!

市販薬より、やっぱり病院が1番。

病院の先生ありがとう。本当にありがとう。

薬を作ってくれた人にありがとう。

今日は祝日。

子供がいるときは仕入れに行けません。

食器を見るのが何より楽しみなので少しモヤモヤするのが休日。

今日は、実家に行って両親に雑談してきました。

以前にも少し書いていますが、うつ病(抑うつ、躁鬱、適応障害、脅迫障害)があります☺︎

うつ病になって2年ほど経ちますが、元気な時もあり寝たきりの時もあります。

うつ病の苦しみは病気だけではありません。

1番きついのは『周りの目』。

理解が難しいことです。

1番苦しかったのは診断書が出て仕事を休み1ヶ月を経ったころでしょうか。

直属の上司から電話がありました。

何かの連絡かと思いきや、

『あなたにクレームが来ています』

とのことでした。

理由は『LINEの待ち受けが変わること』。

ただでも職場の人に負担をかけているのに楽しそうな写真を載せていることが不満だと言った誰かが言ったそうです。

誰かは未だに知りません。

その頃、LINEの設定について無知だった私は待受が公開されていることに全く気づきませんでした。

それは私が悪い。

負担をかけていているんだ、なのにわざわざ美味しそうなモーニングの写真を載せた私がバカだったです。

言い訳で捉えられても当然ですが、体調が崩れる前から不安定で朝起きるたびに大泣きしていた私を心配してなんとかしてくれようとした母と妹と行った(半分連れ出されだような感じ)モーニングの素敵なお店でした。


休暇前ので事で、その写真を見ると守ってくれる人がいるんだなと心強く思えて待ち受けを変えていました。

けれど、それがまるで『うつ病のくせに』とLINEを知った人が不満を言ったのかな。

私が適応障害になったのは、ある話し合いの中で6対1の立場になり言われ放題だったことが原因です。

私の考えは聞かず、6人が私に対して思うことを順番に言う形でした。

『それは違う』

『何とか説明しないと』

『考えを聞いてもらわなきゃ』

必死で心の中で思いましたが、どうやら既に私の『仕事に対する言動』を誤解されてるのがわかりました。

でも反論というか言える状況じゃなかった。

相手は6人同意見という感じでした。

『そんなつもりはない』

『何を見て誤解をしているんだろう』

その話し合い自体私の知らないところで計画的に進んでいたようでした。

被害妄想だと思われても構いません。

私の信頼度がなかったのが原因なのだと思いましたので。

火のないところに煙は立たないですもんね♪

ただ、人として間違った手段を使うことは許せなかった。

正義感というか気が強かったです。あの頃は。

でも、さすがに大勢に囲まれて責められているようにしか捉えようがなかったし、今でも悔しくて泣きながらとにかく時が過ぎることを待つしか出来なかったです。

泣いても泣いても、『今言わなくちゃいけないから』と表面的な私の言動を否定してくる人もいて。

1時間半ほどだったでしょうか。

何があったのか、その職場の形態と私のやり方が違ったから違和感があったんだと思います。

私は元保育士です。

あまり発言は良くない立場の人間かもしれません。

簡単に言えば保育観の大きな違いです。

その園は固く縛られ、上司がたいちょうを崩した若い先生に今で言えばパワハラのような行動をすることが日常でした。

それ以外にも対象が変われば、ちょっとミスが多い先生に対する園長の見放した対応は園長として信じられませんでした。

この園が、子どもを保育する場所なのだ。

これは保育ではない。と、ずっと思っていました。

先生たちが楽しくない、事務作業も山ほどありそれ以外にも当然保育の準備がありひどいときは日をまたぐような日もありました。

子供がいる私でも必死で何かを信じて残業している先生たちを置いて帰りますなんて言えませんでした。

残業代は何とか許可がもらえれば20時まで。それ以外はタダ働きです。

私はこの園は『おかしい』と少しずつ違和感を覚えました。

担任の立場で10年以上やってきたので自分の意見は伝えるようにいていましたが、まるで周りの先生たちは『ポカン。。』顔。

そんな人を変えるような力はなかったのですが、仕事を自分の中に巻き込みすぎたのが自分を追い込んだ原因だとも思います。

先生が楽しくないのに、子どもに良い保育はできません。

保育士は子どもの言う通りに優しくすることが仕事ではありません。

もちろん安心して、せんせいや保育園を好きになってもらう事は大切です。

たくさん子どもに触れて、笑顔を見せる。

それだけで子どもたちが『ホッ』として笑顔を返してくれていました。

その場面を他の先生に見て欲しいとか気づいて欲しいとか認めて欲しいとか望んでません。

ただ、『その子にどんな得意なことがあって良いところがあって、それを生かしてどのような子になって欲しいか』大袈裟かもしれないけど、一人一人の未来を想像して願いながら保育をしてきたつもりです。

だけど『保育士』ってのは結局仕事。

子どもの将来なんて見越して考えている先生がどれだけいるんだろう。

今のその子にしか目を向けていない。

正確に言えば、今その子がそれを望むなら(わがまま)でも受け止めて何かを信じて受け止めることを続ければ何か成長してくれるだろうと言う、私からみたらすごく、ものすごく芯のない抽象的な曖昧な考えだと感じていました。

私も子どもを預けていますので先生の気持ちも子供達の気持ちもわかる気がしてます。

どうか、より質の良い人間性をもって『本物の保育士』さんが増えることを願っています。

多分、復帰は私には出来なさそうなので☺︎♡


私に今できる事は、傷を忘れられるような人を許せるような人間に戻ることを頑張る事。

もう保育士はできないので、せめて自分の子を愛してあげたい一心です!

同じ病気の方にも乗り越えてもらいたいです。

楽しいことをひたすら考えて笑おう。

今日も良い日でした。



最後までお読みくださって感謝です。


ではまた。





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