E220: ラーメンと無常
先日、たまたま母校(高校)の近所に行く用事があり、とある中華料理屋の前を通りかかった。
その店は本当に懐かしくて、ちょっと過呼吸になってしまいそうなくらい、落ち着くのが大変だった。
もともとそこで食事をするつもりはなかったのだけれど、吸い寄せられるように暖簾をくぐり、席に着いた。
「懐かしい」と言っておきながらなんだが、私はその店に入ったのは、なんとその時が初めてだった。
私にとって、その店自体はいつも素通りするだけで、もっぱら「出前」で利用する店だった。
…………
今はもう時代が変わってしまって、生徒に出前なんてとってくれる時代ではなくなったが、
私たちの時代は、まだ全てがゆるくて、学園祭の前に遅くまで残る生徒会役員の為に、学校がお金を出してくれて、一人ひとりにラーメンをご馳走してくれた。
校舎のベランダにみんなで腰を下ろして、夕日を浴びながらトンカチ片手に、学園祭の準備をしていた。
そうやって、活動した後、先生が呼びに来る。
「おーい、ラーメン食いたい人!」
「はーい!」
全員が素直に手を挙げる。
思春期真っ只中の男子高校生たちも、この時は素直で無邪気な子供に戻る。
おじさんがおかもちを後ろに積んで、バイクでやってくるのをみんなで楽しみに待った。
みんなで食べるラーメンやチャーハンがたとえようもなく旨くて、食事でお腹を満たしてから、夜の8時過ぎに学校の正門を出る、なんてことがよくあった。
全員男だったからかもしれないけれど、よく学校も8時過ぎまでいさせてくれたものだ。ラーメンも下校時間も、今なら全部アウトだろう。
ちなみに、
みんな帰ってから、また晩ごはんを食べる。
若いって、なんて素晴らしいのだろう…。
………
そんなラーメンを、今度は自分のお金で注文する。
なんだか感慨深いものがあった。
出てきたラーメンは、確かに昔のビジュアルと変わっていなかった…。
ところが、
食べ進めるうちに、何かが違うことに気づく。
(うーん、あの味じゃないなぁ…)
うまくは言えないけれど、どこか微妙な点において、あの頃の味とは違う気がするのだ。
間違いなく同じ店、でも、もう何十年も経っていると、ひょっとしたら、経営者も変わっているかもしれない。
真相はよくわからないけれど、その人にしか出せない味と言うものは確かにある。
比較的味が淡白だと言われている「豆腐」でも、祖父が作った豆腐と、それ以外の人が作った豆腐は、全然味が違ったものだったから。
その中華の店にも同じことが言えるのではないか。店は同じようにあるけれど、年数の経過から言えば、そして、あの時のおじさんの年齢から言えば、多分代変わりしているだろう…。
私が高校生の頃、日本中がシャボン玉のように浮かれていて、高級な食べ物もいっぱいあったけれど、間違いなく、あの頃食べたこの店のラーメンはおいしかった。
今、この店を出て、少し歩けば、(あの頃にはなかった)こだわりのラーメンを出す店がたくさんある。食べログで調べれば、美味しいお店がたくさんある。
そういう便利で、恵まれた時代にいながら
私は急に寂しさ覚えた。
「もう食べることが叶わないもの」もあるのだ…。
今から思えば何の変哲もない中華そばだったけれど、おかもちの中から出てくるラーメンは、あの頃、確かに僕らのご馳走だった。
今の若い人は
Uber Eatsのことは知っていても、「おかもち」ってわからないかもしれないなぁ…。
【連続投稿: 141日目 ライランⅡ: 52日目】