E238:恐る恐る目が合ったあの日
「よかったら一緒にお食事でも…」
私が、自分から声をかけるのは珍しい。
だが、その方とは、このタイミングを逃したら、次にいつ実現するかわからなかったので、思い切って声をかけた。
あるプロジェクトで長期間バディを組ませていただいた先輩だった。あまり接点のない別の部署から応援に来ていただいていたのである。バディを組んだ仕事の最終日、私は思い切って声をかけたわけだ。
「あ、ぜひ、ぜひ!」
そう返してくださるのに、表情がなんとなく浮かないように見えたのは気のせいか…。
広い見識をお持ちで、とても的確なアドバイスもくださるのに、いつも控えめで、私を立ててくださった。この期間、私はとても勉強になった。
きっと若い頃、いろんな苦労をなさったのではないか。
なんとなく、そんな気がして、最後くらい仕事を離れてゆっくりお話がしたかった。
座敷にしますか?
カウンターにしますか?
掘りごたつなら、座敷のほうがいいかな?
一瞬、考えたが、
私の希望だけを通すわけにはいかない。
「源太さん、どうされますか?」
この人は、私の年齢がわかっても、常に敬語でお話しになる。そしていつものように、私に選択権を与えてくださる。
「いえ、今日は先輩が決めてください」
私がそう言うと、先輩は遠慮がちに
「じゃあ、カウンターでもいいですかね?」
今日が最後だというのに、この人はずっと敬語なのだろうか…少し寂しくなった。
開店直後の、座敷がたくさん空いている状態で、
あえてカウンターを選択する人は少ないかもしれない。
私たちは、横に並んで席を取り、
お疲れ様の乾杯をした。
乾杯を終えて、注文した料理を待つ間、私たちはいつものように、当たり障りのない会話をした。
(今日はこんな会話をするために、誘ったんじゃなかったけどな…)
「あのぉ、お誘いしたの、ご迷惑じゃなかったですか?」
このタイミングでそんなことを聞いて、マイナスの本音があっても言うはずないのに、つい勢いで聞いてしまった。
いつもははにかんだように笑う先輩が、少し真面目な顔をして私の方を向いた。
「源太さん、今日はありがとうございます。私はとてもうれしくてね。でも、今日はお伝えしておこうと思っていたことがあって…」
思わぬ展開に少し緊張した。どんな言葉が出てくるのか…?
「実は、この期間、ずっとあなたに申し訳ないと思って、謝ろうと思っていたんですけど、私は、あなたの顔をまともに見ないで、お仕事をしてきた気がして…」
「…え?」
「それを今日謝りたくて。実は私ね、小さい頃から斜視なんです。そのトラウマもあって、お恥ずかしい話、今も人の顔を見るのが怖いんです」
私は言葉を失った…。
実は… .先輩の斜視には気づいていた。
でも、顔を見ないなんて事はなかったし、いつも笑顔で丁寧に接してくださった。失礼だなんて思ったこともないし、謝罪されるような事は何もない。
ただ、何より驚いたのは、私が普段から人に対して思っていること、抱えていたコンプレックスと全く同じだったこと。
私は思わず、先輩の腕を掴んだ。
さすがに驚いて先輩が私の顔を見る。
「先輩、実は私も同じです。よく見てください。何回か斜視の手術をしています。そして同じように、私も人の顔を見るのが怖いんです」
「ええ?」
「源ちゃん、どこ見てるの?」
って、小さい頃、よくからかわれた。
私はきちんと目を見ているつもりでも
相手にはふざけたように見えるのかもしれない。
ましてや相手が子供ならそう思われても仕方がない。
いい歳をして、もう誰もからかったりしないのに、
私も、いつまで経っても人の目を正面から見つめることが苦手だった。
「そうなんだよ! 人の目を見るの怖いよねー!」
正面から私の顔を見て、先輩はにこっと笑った。
いい笑顔だった。
(ああ、やっとタメ口になった…)
場をわきまえない無遠慮なタメ口は、時に苛立つけれども、この日のタメ口は、なんだかとてもうれしかった。
それからは、3時間近く夢中で話をした。
先輩が今の仕事に就くまでに、何度も挫折を味わったこと。何度も諦めかけたこと。家族の支えがあったこと。
「源太さん、やっぱり思うんだけどね。諦めちゃいけないんだよ」
思った通り、いや、思った以上に、
「優しくて、熱い人」だった。
この日もそうだった。
「この人とじっくり話がしたいなぁ…」
私は、見かけほど社交的ではないし、人と群れるのは、あまり好きではないが、
たまに、こんな直感が湧き上がってくることがある。
先輩のうれしそうな横顔を眺めながら、こういう「直感」は、やっぱり大事にしたい、と思った夜だった。
【連投159日目】
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