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自分を愛せないのは、そういう習慣だから。
わかりました。私は今ぶちまけハイです。
書いてる本人は、とても生き生きしてるから大丈夫ですありがとう。
書き出すとどんどん書きたくなる。それがぶちまけハイ。
ローとハイの間をいったりきたりして中庸を見つけていく感じです。
わたしは人の話を聞くとき、その人が経験をもとに話していると、その人の周りに想いの風景が見えてくるので、それを見るのが好きです。
ちなみに、本の話をしているときも、その人の大好きな本だと本の内容が風景みたいに見えるときあるから好きです。
好きなことを語る時、その人って輝くからね。
だから、本心と違うことを話されると、なんか周りの風景とその人の言葉が一致しないのでマジで何言うてるかわからんと混乱するのですが、それは大人になってからの方が多いかもです。
子どもの頃、母はいつもわたしに対して「だれも私を愛してくれない。あなたしかいない」という風景を背負いながら接してきました。
だいたいいつも。どこで何をしていても。
実際、よくそんな話を聞いていたしね。
わたしはだからそれはもう、親を愛するためにとても一生懸命でした。従順だし物欲ないし大人しいしニコニコしているし素直だし。
何もかも母親にまず尋ねて確認してから行動するものだと思ってて、母もそれが当たり前。っていうか母がそうするように言ったんだっけ?
母が怒ってもほめても笑ってたのは、今思い返すと不自然だなー。
でも母は、ちはるは手がかからなくてすごく育てやすかったって言う。
結婚して変わったって言う。
わたしが結婚してからの方が母は苦しんでいます。
わたしも母に愛されてると思ってたから、それまでなんでも従ってたし。
母の、あなたしかいないという思いが、それが愛だと信じていたかった。
でも、今は、ちゃんとそこは認めないといけないと思う。
その想いは愛ではない。
だって、わたしがもし愛されていたと実感できているなら、こんなに自分を愛せなくて苦しんでいるはずがない。
わたしは愛されてきたという実感がない。
わたしはただ…、母のその想いが恐ろしかった。
今でも震えるほど恐ろしいです。
恐ろしかったから言うことを聴いていたのです。それは全く愛じゃない。
わたしが私を愛していくために。
どんな行為が愛していることで、どんな行為が愛していないことなのかをきちんと知っていくことだ。
それがどんなにつらいことでも、ちゃんともう受け入れるときだから。
受け入れられるから。いい大人なので。
わたしは愛されたわけではない。わたしは利用されたのだ。
そして利用されることを受け入れたんだ。実にわかりにくいけれど、わたしは虐待を受けていたんだと認めていいと思う。
母親をそういうふうには思うことは、張り裂けるほどつらいけど。
だって、母親が私を愛していることを知っているから。
でも、彼女のしてきたことは虐待なんだよ。本当にわかってほしいんだけど、愛していないから虐待するんじゃない。
愛し方を知らないから虐待するんだ。
そして、母を愛しているから、こどもは受け入れてしまう。
でも繰り返したくないので。
これは間違いだった。わたしも間違えていたことを認めないといけない。
前に進むために。
自分の子どもには、継がないために…。
わたしは気づいてないだけで、いや気づかないふりをして、自分を愛されない日常に身を置いていた。
そう選択した。
自分を愛せない病だと私は自分のことを思っていたけど、そうじゃなくて。
本当は選択の積み重ね。日々の繰り返し。
これまで作り上げて強化させてきたこと。
生活習慣なんだ。
だからわたしが私を愛せないのは、習慣。
そういうふうに意識付けをしてきたということ。
でも、習慣なら意識して変えてゆくことができる。
だから、まず認めて受け入れることをしないとね。
自分を犠牲にして自分を愛さないことで、彼女と同じ境遇に立つという習慣。それは、自他の境界線の消失だよ。
心底恐ろしいよ。
もし愛されていたら。
もし私が私らしく愛されて認められていたら。
わたしがこんなに自分を愛せなくて苦しむはずがないと知った時は、とても悲しかったけど、つまり愛しているという思いはあっても、実際の行為として愛されてこなかったんだと認めざるを得なくて苦しかったけど。
愛するという行為を私も母に求め過ぎていたからこそ、起こった出来事なので。
もう自分で自分を愛せるので。
自分が最大の味方になってあげる。
ずっと自分すら放ったらかして母の味方をして、どれだけ振り回されてもそういうもんだと思ってたけど。
その関係性、何も生まんので。
これからは、方向性を変えていくんだよ。
母を許す。愛し方を知らずにいた母を受け入れたわたしを許す。
わたしが先に立ちます。
そして、わたしを愛するという生活習慣を作り直します。
また新しい日々の繰り返し。
生まれ直しだなと思うけれど本当にそう。
日々の選択が、わたしの習慣になるので。
日々の愛の選択を、やり直していくのです。