見出し画像

自己不在からの幸福人生ブログを書く私のダークな過去ww

長年、自己不在(自分を感じないで生きている状態)だった私が、

自分を取り戻し幸福人生になる軌跡&自分を取り戻しハッピーになる「ある法則」をお伝えするこのブログ。

今日は、私あつみんの過去をお話したいと思います。


最初に言っておくと、いまお会いする人には、信じてもらえない程ダークです(笑)今の私の周りには明るく楽しい人が沢山いるし、心の友も何人もいる。私も毎日楽しくハッピーだから、この頃のことは自分でもつい忘れてしまいます。 

でも確かにあったダークな過去、そして今、あの頃の経験が役立とうとしている。


私の人生はある日を境に変わりました。

25歳のあの日を境に、私の身体に血がめぐりはじめ、私の心に光が灯りました。

生きていていいんだとあの日に思いました。


それまではいつも極度の緊張、憎しみ、自己卑下、自己嫌悪。

大学を出て公務員として保育士になりました。

自己不在な上に、仕事もできないのに、プライドが高くて、扱いづらい、若手の保育士。本当に周りに迷惑をかけたと思います。

自己不在だけでなく、自己嫌悪もひどすぎて、うつ病、パニック発作で、園を出ると涙、電車に乗ると涙、うちに帰ると大声で暴れて泣きわめくという、、、そんな不安定な私でした。

誰にも頼れなかった。(心閉ざしていたので頼ろうともしていなかった)


母は、そんな私に「私に何しろっていうの!」と一緒になってパニックになっていました。

父は私を無視。父とは10歳頃からまともに口を聞かず、同じ家にいても挨拶もしないし、コミュニケーションと言えば邪魔だと言って物を投げられりしていました。(今思えば大学まで出してくれ家に置いてくれていたから愛情と感じるのですが)

どこにも安心できるところがなかった。

そんなことを話せる友達もいなかった。

当時大好きな国、香港に年に4回ほどいき、そこが夢の地になっていましたね。

心療内科に通いながら、好きでもない保育士の仕事を続けることは、本当に過酷でした。(自己不在だからなりたいものとかやりたいことがわからなかった)

ある日、私は涙も枯れて疲れ果て、「もう、この世から去ろう」と薬を大量服用しました。


その後は、本当に記憶にないのですが、目が覚めたとき、外が明るくて、頭が痛すぎて、ああ、生きているんだ、、と朦朧とした中で感じました。

そしてまた数日後、仕事から帰宅後、同じ衝動にかられ、外出。 

マンションの上をみながらフラフラ、、、その日で人生終わりにしようと、歩いていたとき、

前から父が歩いてきたのでした。

そして一言。

「もういいから帰ろう」


どんな会話をしたかはよく覚えてないけど、10何年ぶりに父と手を繋いで夜の商店街を手を繋いで帰りました。

家についてからのやりとりは鮮明におぼえています。父からこんなことを言われました。

「20代の1番いい時を毎日泣いて過ごしているおまえを見るのが辛い」

「おまえが1番必要としていた時に自分も忙しくて構うことができなくて」

そして、

「育て方を間違えた。ごめん」と土下座して謝ってくれました。

あんなに頑固で、冷酷にみえた父が、、、

その翌日、父が一緒に勤務先の保育園に行ってくれて

園長に退職の願いを伝えました。


その日から、私の身体には血が通うようになり、心に光が灯りました。

20歳のとき、私は父を殺そうと思っていたほど憎んでいた。

それが今では腕を組んで歩いています。

ただ、その先の人生も、幸せや楽しさもあったけど、まだまだ自己不在の人生は続くことになるのですが(笑)、、、

ダークな人生談にお付き合いありがとうございました!

最近わかったことは、このダークな人生も、実は自作自演で、、、これからは果たす使命のため、自分で作ってきたことだということ。

ダークな人生があったから、今のこの環境、幸せがある。

今、心からそう思えます。

私と同じような経験をしている人に光が当たることも願っています。

全て意味のないことはない。

本日も長文お付き合いいただき、ありがとうございました

秋晴れの素晴らしい1日を過ごしてくださいね❤












いいなと思ったら応援しよう!