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茶の思想から紐解く「本当にやりたいこと」の見つけ方

見つけようとするほど見つからない「やりたいこと迷子」

先日、こんなツイートをしました。

僕らは小さい頃から、「将来の夢は何?」とたくさん質問されてきました。本当にやりたいことを見つけて、夢を叶えることこそが良き人生だと無意識的に刷り込まれているように僕は思っています。もちろん、夢を抱いてそれを叶えること自体はとても素敵なことです。

しかし、コーチングで多くの方とお話をするなかで、やりたいことを見つけようとすればするほど迷宮入りしてしまっている場合がとても多いのではと感じています。僕自身もいろんなことにチャレンジしては、これじゃないと「やりたいこと迷子」の渦中にいた時期があります。そんな過去を振り返っていま思うことは、本当にやりたいことは見つけようとするほど離れてしまうことです。矛盾するようですが、見つけようとする姿勢が手放れてはじめて、目の前に現れてくるものだと僕は感じています。

そして、その旅の過程は、お茶の世界で“たましいの境地”といわれる「わび」にたどり着くまでの道のりに似ている。今回は、僕自身が「本当にやりたいこと」に気づくに至ったプロセスを茶道に根付く精神性と重ね合わせて書いてみたいと思います。

「わび」とはすべてを手放したあとに、それでも残る「本当の自分」

「わび」と聞くと、どんなモノ・コトを連想しますか?

正解があるわけではありませんが、なんとなく古いものや昔ながらのものを連想される方が多いのではないでしょうか。

僕がお茶の師匠からいただいた『茶の思想と哲学』(非売品)という書籍には、「わび」とは、茶の湯を起源として生まれたものではなく、日本人の源流に元から流れていた概念だと記載されています。

“平安時代には既に、都で栄華を誇った貴人が、落ちぶれて山中で過ごす姿などに、たましいの境地を見出し、それを「侘びた」ものとして捉えていた。”
『茶の思想と哲学』2022,武井宗道

その後、室町時代後期に流行った「連歌」では、「わび」という境地に至るまでの過程を「冷え枯れる」という言葉で表現されています。

“冷え枯れるとは、全てを忘れ去った後に残された、その人の本質のことを指す。”
『茶の思想と哲学』2022,武井宗道

「わび」や「冷え枯れる」という概念をひと言で表現してみると、「すべてを手放してもなお残り続けてきた本質的なもの」と言えます。僕たちが古いものに「わび」を感じるのは、そのものが長い歴史を超えて残されてきた本質的なものだからかもしれません。古びるには古びるだけの理由があるわけです。

「わび」とは獲得しようとするものではなく、もはや人々から忘れ去られてもなお、その場所に残り続けるもの。「本当にやりたいこと」も僕は「わび」と似た感覚だと思っていて、見つけにいくものではなく、無意識化の中で一人ひとりの内側に残り続けてきたものなのではないかと感じています。

自分の本質に出会うまでの旅を描いた「十牛図」

「わび」に至るまでのプロセスと通ずるものとして「十牛図(じゅうぎゅうず)」があります。「十牛図」とは、人が悟りに至るまでの過程を描いた10枚の絵です。

とある男性が牛を探すところから物語は始まります。ここで描かれる牛は「本当の自分」のメタファーです。

最初は牛を捕まえるために追いかけます。「本当の自分はこれなんじゃないか」と必死になり、ついには捕まえてその牛にまたがり乗りこなす姿。僕はこれを見ていて、目標や理想の自分を獲得し、自己実現を果たすまでの過程が表現されているように感じました。

しかし、ここからの展開からが非常におもしろい。次のコマでは「無」が現れます。言葉の通り、人も牛も何もかもなくなってしまいます。そして次のコマでは、ただ美しい風景だけが現れる。目に映る景色が、ありのまま見えてくるのです。

最後には、七福神の布袋様が現れ、男性が人助けをしている様子で物語は幕を閉じます。そこにはもう牛の姿はありません。

つまり、本当の自分らしきもの(牛)を捕まえて成功を喜んでいるうちに、次の瞬間には追いかけていた牛も、今の自分自身のことも、すべて忘れてまっさらになってしまう。まっさらな状態で見る景色は美しく、「きれいだなあ」とぼーっと眺めているうちに、自分が本当にやりたかったこと(人助け)が向こう側からやってくる。「無」に至ることで、自分の内側に眠っていた「人生の意義」が立ち上がってきたわけです。

自己実現を繰り返しても、どこか心が満たされなかった理由

なかなか抽象的なお話をしてしまっているので、ここで少し、僕がコーチングを生業にするまでの経緯を「十牛図」と重ねてお話をさせてください。

小さな頃、僕は「天然なアホキャラ」だと思われることが多い人生でした。いまでは、おいしいキャラだったし悪くないな?とも思えますが、ずっと僕の中でコンプレックスになっていました。

大学生になって資格を取ることに躍起になったり、社会人になって営業でトップの成績を挙げることに必死になったり、その後も起業をしてみたり、「何者かになりたい」「一旗あげたい」という一心で、本当にいろんなことにチャレンジしてきました。ただ、その野心の裏側にあるのは「アホだと思われるのが怖い」「バカにされたくない」という恐怖心だったように、今となっては感じています。

次から次に「自分のやりたいことはこれだ!」と牛を追いかけては捕まえてを繰り返しているけれど、どこか心が満たされない。これじゃない、あれじゃないと、「やりたいこと迷子」の最中に長い間いたように思います。

そんな時、「アホだと思われることを恐れてるけど、仮に人にアホだと思われたらどんな怖いことが起きるの?」と、あるコーチから問いを投げかけられます。冷静になって考えてみると「何も起きない」という答えでした。たしかに人に笑われたり、仕事に影響が出たり、多少の嫌な思いはするかもしれません。でも、「アホだと思われること=死」くらい僕の中では大きくなってしまっていた恐怖心から比べると、それは大して怖いことではありませんでした。別にアホだと思われても死ぬことはない。

「アホだと思われてはいけない」くらいにまで膨れ上がっていた気持ちに気づけたとき、アホだと思われることも、それを気にしてしまう自分のことも、一旗あげたいという野心も、すべてのことに力が抜けていくような瞬間がやってきました。そんな自分もいていいんだよなと。

ある意味、アホと思われないように力む必要がなくなった僕は、ただぼーっとする日々を一定期間過ごしました。「こうあるべき」というあらゆる固定概念から自由になった状態、それが「十牛図」で描かれる「無」に近い状態であったと感じています。心が自由であると、目の前にある景色の美しさに気づくことができたり、いまの自分も悪くないのかもなあと、ただ「あるがまま」を受け入れることができました。

それでもなお僕の好奇心をそそるものが向こうからやってきました。それが、人の心や意識とは何かを知ることであったり、自由であるとはどういうことかを探究していくこと(≒コーチング)であったわけです。

これは人に言われて気がついたことですが、僕は人見知りであるにも関わらず、ずっと人と関わる仕事をしてきました。いろんなレッテルや野望を削ぎ落としてもなお残る自分の本質は、「人と関わること」そして「人を自由にすること」であったことに、長い時間をかけて気づくことができました。

悶々とする気持ちは、人生の新しい旅の合図かもしれない

僕が自分の本質に気づくことができたのは、恐れを受け入れて「無」に近い感覚が訪れたことが大きいと思っています。「本当にやりたいこと」は「無」になると輪郭が見えやすくなってくるものです。

ただ、あくまでもこの僕の物語は、後日談でしかありません。がむしゃらに牛を追いかけていた自分がいたからこそ訪れたものなので、なりたい自分を必死に探すことは非常に大切なプロセスだと思っています。

しかし、「やりたいことを見つけたはずなのに、すぐ飽きちゃうな」とか「なんか悶々とするな」という感覚にぶつかったときは、その気持ちをかき消そうとせず、一度向き合ってみてほしいと思います。その感覚は、自分の本質に出会うための新たな旅の合図かもしれないから。

そして、自分自身にこう問いかけてみてほしいです。

「悶々とするこの感情は何を訴えかけているのか?」「その奥に恐れているものがあるとしたらそれは何か?」「それでも、自分を突き動かすものは何なのか?」

恐怖心は内側に眠る「自分の本質」をぼやけさせてしまうものです。生きてきた間で無意識的に身についてしまった恐怖に気づいてはじめて、人は自由になれるものだと僕は思っています。そして、心が自由な状態で過ごしているうちに「自分の本質」が見えてくる。この一連の流れが今回僕がお伝えしたかったことです。

ここまで「本当にやりたいことの見つけ方」をお伝えしてきましたが、それらに出会うことが必ずしも人生のゴールだとは思っていません。例えそんなものなくても「いまのままで十分幸せだな、満たされているな」と思えることのほうがよっぽど大切だと思っていますし、そういう人が少しでも増えていくためにコーチングの仕事をしています。しかし、矛盾するようですが、「いまのままで十分幸せだな」と思えたときに、やりたいことは降ってきてしまうものなのです。そういう人の心に起こる不思議な現象が、僕の探究心を今日もくすぐり続けています。

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(編集:佐藤伶

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