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ありがとう、ジジ。

今日、黒猫ジジが天国へ旅立った。

本格的な介護生活がはじまって、たった1週間。
昨日こんな記事を書いたばかりだったのに。

昨年、腎不全の影響で目が見えなくなり、関節炎で足元もおぼつかなくなってからも、あちこちにぶつかりながら家の中を歩き回り、毎日モリモリご飯を食べて、お腹が空いたら大声で鳴く。

そんな賑やかな猫だった。
のに。

一週間前から寝たきりになり、今日、私と母が見守る中、静かに旅立った。


ジジと出会ったのは、18年前の夏のこと。

ある深夜、当時住んでいた家の裏にある公園から人の話し声が聞こえた。
ときどき夜中に花火をする若者がいたので「また花火か」と思っていたら、しばらくして話し声が止んで車が走り去る音がした。
それから数分後、子猫が鳴く声が聞こえ始めた。

「うわー、猫捨てたのかー」と思いながらも、夜遅いし「明日探しに行くか…」と寝た。

翌朝、目を覚まして階下へ降りると、父が「黒猫だったぞ」と言った。
続けて「うちはダメだからな」とも言った。
気になって探しに行ってるくせに…と思いつつ、「はいはい」と返事した。

当時、我が家にはすでに猫の「りう」がいた。
その気配のせいなのか、黒い子猫はうちの庭に居座るようになった。

子猫と言っても、もうミルクは卒業したサイズだったので、りうのドライフードをわけてあげたりした。
そしてときどき、父に内緒でこっそり家の中に入れたりしていた。

そしてお盆の頃。
いつものように勝手口でごはんを待つジジの周りに、蚊が群がっていた。
それを見た母が父に「見てあれ。かわいそう。お盆だし、もう家に入れてあげたらいいんじゃない?」と提案。なぜ「お盆だし」なのかはいまだに謎。

でもその提案が採用され、黒猫はうちの子になった。

ずっと黒猫を飼いたいと願っていた私は、彼に「ジジ」と名付けた。
言わずと知れた『魔女の宅急便』のジジからいただいた名前だ。


ジジはとにかく食いしん坊だった。
盗み食いをしたり、夜中にゴミ箱を漁ったり、キッチンに登って何かあれば食べてしまう猫だった。
おかげで、生ゴミはその日のうちに必ず外のゴミ箱に捨てるし、キッチンの排水溝は毎日掃除するようになった。(猫のおかげで部屋が片付くあるあるだと思う)

その食欲はとどまることを知らず、歯を抜いた時も、腎不全が悪化しても、モリモリとごはんを食べてくれた。
医師からは「この腎臓の数値で食べられるなんて信じられない」と言われた。

腎臓が悪くなって「いつ何があってもおかしくない」と医師から言われたこの1ヶ月は、「もう、好きなものを食べなさい!」と、今まであまり与えてなかった茹でたササミや、マグロやカツオの缶詰を食べさせた。
喜んで食べてくれて嬉しかった。

でもこの2日間は、カツオもマグロも拒否された。
悲しかったけど、こちらも腹が決まった。
そこからは本当にあっという間だった。

だけど、寝たきりで苦しむ時間が長引かなくて良かったなって思う。

ジジの最期の闘病は、この獣医師さんのインスタとnoteを読んで少し変わった。

最後まで全力でと思っていたけど、無理に点滴をしないことや、薬を無理に飲ませないことなど参考にさせてもらった。

そのおかげなのか、「枯れるように」かは分からないけど、割と穏やかに旅立つことができたと思う。

先代猫たちは苦しむ最期だったので、そうじゃなかっただけでも救われた。猫がというより私が、だけど。


葬儀は明日。
それまでは何度も撫でて、声をかけてすごしたいと思う。

ジジ、長い闘病生活、本当に本当にお疲れ様でした。
不自由な身体から解放されて、今頃はいっぱい食べて走り回ってるのかな。久し振りに見る青空はどう?きれい?

ジジ、うちに来てくれてありがとう。
ずっと大好きだよ。


ああ、別れたくないな。
やっぱり寂しいよ。ジジ。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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