私は、何のために生きているのだろうか。
もし「あなたは何のために生きていますか?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?
いつだったか、そんな”問い”を街行く人に投げかける「哲学的街頭インタビュー」という番組の宣伝を見かけた。
「面白そう」と思ったのに、本編はうっかり見るのを忘れてしまった。
どうやらちょうど一年前だったらしい。
その宣伝を見た時、同じ問いを自分にもかけてみた。
「私は、何のために生きているのか?」と。
「楽しむため…かなあ…」とぼんやりとした答えが浮かんだけど、具体的に「じゃあ何をどう楽しんでいるのか」と聞かれたら答えられない。
もっと他にないのだろうか。
「私はこれのために生きているんだ」と言い切れるもの。
でもどう考えても「これ!」と胸を張れるものは見つからなかった。
それ以来、ふとこの問いが頭に浮かぶ時がある。
「私は、何のために生きているのだろうか」と。
その度に「何だろう」と考え込んでは、何も思いつかないことに妙に焦りを感じてしまう。
せっかく今この時代を生きているのに「何もない」ってなんだか勿体無いし悲しい。
私が今この瞬間に生きている意味は何だろう。
何のために、今日を生きているんだろう。
明日を生きようとしているんだろう。
別に大それたものじゃなくてもいい。
「世界を平和にするため」とか「子供たちを救うため」とか、そんな大きいものじゃなくていい。
自分にしか分からない小さなものでもいいから「私はこのために生きているんだ」と胸を張って言えるものが欲しい。
もしかして、それを探すために私は生きているんだろうか。
「何のために生きているのか」その答えを探すために、今日も明日も生きているのだろうか。
いつか「ああ、私はこれのために生きてきたんだなあ」と思える何かに出会えるまで、この葛藤というか迷いは続くのかもしれない。
そうか。
そうかもしれないな。
出会える日へ続く今だとしたら、この日々も捨てたもんじゃない。
もし「あなたは何のために生きていますか?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?
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