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嫌われる勇気も大事だけど、嫌う勇気も大事だよね。という話。
誰かに嫌われるのって、あんまり嬉しくない。
もしも、直接「嫌い」って言われたら傷つくし、誰かから「あの人、あなたのこと嫌いって言ってたよ」と聞かされてもやっぱり傷つく。
だけど、世界中の人類全員に好かれるなんて、到底無理な話。
なのに好かれるために気を遣って、いい人を演じるのも疲れるし、そんなことしたって嫌われる時は嫌われるんだし…。
だったらもう、嫌われたって別にいいじゃない。
私は私だもの。
でも、時々思うのです。
「嫌われる勇気」と同じぐらい「嫌う勇気」も必要なんじゃないかなって。
だって、さっきと逆で世界中の人類全てを好きでいられるか、と聞かれたらなかなかに難しい。
ローマ法王やナイチンゲールのように慈悲深い人なら全人類を愛せるかもしれないけど、私にはちょっと無理。
この世界にはいるじゃない。
どうしても合わない人。
っていうか、嫌いな人。
別に口に出して「私は!あの人が!嫌い!」って言わなくてもいいんだけど、自分の中だけでは「あの人嫌いだなあ」て思うことは許してあげたいなと思うのです。
というのも、私はなんとなく「あの人嫌い」って思っちゃいけないような気がしてたから。
もちろん嫌いな人(とか苦手な人)はいたんだけど、そういう人にも嫌われたくなくて、いい顔してご機嫌取って嫌われないように頑張ってた。
苦手な人に「今度ごはん食べにいきましょ!」とか言われると内心「うわー」って思うんだけど、誘ってもらえるってことは私に価値があるってことだと思ってたから(どんな精神構造だ)、全然行きたくなくても「ぜひぜひー!」と言って食事に行ってた。
で、へろへろに疲れてた。
今考えると、なんだかとても無駄な努力だったなあ…と思うんだけど、当時は「嫌われたくない」から派生して「嫌いって思っちゃだめ」って思ってた気がする。
だんだん年を重ねて、自分の気持ちに素直になろうとしたり、大切なのは「好きな人と過ごす時間だ」ということが分かってきて、気が乗らないなら誘いを断ってもいいんだし、「嫌いな人がいるのは当たり前だよね」って思えるようになれた。
私が誰かを好きでも嫌いでも自由。
相手が私のことを好きか嫌いかも、その人の自由。
好きな人に嫌われたら悲しいけど、それもしょうがないし、嫌いな人に嫌われたら…別にいいんじゃない?
この記事を書いて、『嫌われる勇気』の音声版(オーディブル)を途中まで聞いて放置しちゃってることを思い出した。
いつぞや、「初回30日無料体験」の時にダウンロードして聞いてたんだけど忘れてるや。
気候も穏やかになってきたし、散歩しながらでも聞いてみようかな。
この本は「青年」と「哲人」の会話形式だから、音声が合うのですよ。
もしオーディブル未経験の方なら、30日間は無料だから、一度ためしてみてもいいかも。
ていうか、今あらためて見てみたら、この『騎士団長殺し』は高橋一生さんが読んでるっていうじゃない!
村上春樹は苦手だけれども、ちょっと聞いてみたい…。
と、本題からだいぶずれてしまったけど(あるあるだよね)、自分の心に正直に生きていきましょう。
嫌いな人に心を配る暇があったら、自分が大切な人や自分自身に心を配りましょう。その方がきっと幸せ。間違いない。
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![オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44334987/profile_9614f67d6b0fc15a6d86efaeed4b0fe0.jpg?width=600&crop=1:1,smart)