見出し画像

「熱中しているもの」が見つからなくても、別にいいんだよなぁと思った話。

あなたは「いま、熱中しているものは何ですか?」と聞かれたら、どう答えるだろうか。


先日、とある文章講座を受講した。
その内容や感想はまた今度書くとして、今日はその講座内で行われた「ワーク」について書こうと思う。

それは、ある手法を使って作文を書くワークだったのだけど、議題が「いま、熱中していることについて」だった。

「最近自分が熱中していること、夢中になっていることについて書いてください」と言われ、15分ほど時間が与えられた。

私は考えた結果、最近ハマっている「編み物」について、あれやこれや書いた。


15分後、何人かがピックアップされ、自身が書いた文章を読み上げた。

登山、お菓子作り、ダンス、大河ドラマ、考古学…、それぞれが「いま、自分が熱中していること」について、上手にまとまった、時に面白い文章を発表した。

ところが、ある男性が予想外の言葉を放った。
それは「僕がいま、熱中していること。それは『ありません』。」だった。

会場のあちこちから、小さな「えっ」という驚きの声が漏れ(私もその中の一人だった)、先生も「ほぉ!」と声をあげた。

彼は「誰でも『熱中しているもの』があるように言われるけど、そんな情熱がない人だっている」的な話をしていて、「確かにそうだよなあ」と深く納得した。

私は今、たまたま編み物にハマっているから答えられた。
だけど普段こういう「夢中になっていることは?」や「時間を忘れて打ち込んじゃうことは?」系の質問をされると「なんだろう…時間なんて、ぼんやりインスタとかテレビ見てたら過ぎちゃうだよ…」とか思って、悩んだ結果「読書」とか「猫と遊ぶ」とか答える羽目になりがち。

でも実際は、そんなに読書に打ち込んでるわけでもないし、猫と遊ぶなんて日常であって夢中になっていることではない。

だけどなにか「夢中になっているもの」を探さなきゃと思うし、「あるはず」というか「あるべき」と思って探していた。

本当は、ない時もあるのに。
「ないです」と言ってはいけないと思っていた。

最近は「好きなことを仕事に」とか「人生、やりたいことをやろう!」とか声高に叫ばれてるけど、そもそも「好きなこと」や「やりたいこと」がちゃんとある人って、どれぐらいいるんだろう。

私自身、「やりたいこと」がずっと見つからなくて(厳密に言えば、見つかっても飽きるの繰り返し)、何度も「やりたいことを探そう」的な本を読んだりワークに取り組んだりした。

その都度、人生年表を作らされ「子供の頃、好きだったことを思い出せ。それが今のやりたいことの根源になっているはず」と言われるのだけど、特に思いつかないし、唯一思い出せることも、今やりたいとはかけらも思わないことだったりする。

他にも「寝食を忘れて打ち込んでしまうこと」や「気がついたらやってしまってきること」を聞かれるけど、そんなのない。
寝食は忘れないし、気づいたらやってるのなんて「ぼーっとスマホを見る」ぐらいなんだよ。(スマホ見るの好きだな私)

そういえば、つい最近読んだ本にも「絶対誰にでも『やりたいこと』はあるんです」と書いてあった。
それを見つけたら幸せになれるんだとか、人生が動き出すんだとか書いてあった気がする。

そう言われると余計に「やりたいことが見つからない私の人生なんて…」ってなるけどさ。

たぶん、ない人もいるんだと思う。

いや、あるかもしれないけど、講座の男性が言うように「そんな情熱がない人だっている」んだと思う。

私みたいに、見つかってもすぐ飽きちゃったり、すごく低い温度で「たまにやりたいけど」ぐらいの人もいるかもしれない。

でも、それでいいじゃないか。
誰でも彼でもそんなに情熱的じゃないんだよ。

「やりたいこと、特にないです」
「熱中していること、特にありません」

それでいいじゃないか。
誰でも彼でも、情熱的になれるわけじゃないんだ。

男性の発表が終わった時、私は盛大に拍手を送った。

ありがとう。
文章の書き方よりも、大きな気づきをもらえたよ。

いいなと思ったら応援しよう!

オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
いただいたサポートは猫たちの養育費に使わせていただきます。ありがとうございます。猫たちがいるから生きてます。