鑑賞*鐘の音の涼しき朝の善光寺
長谷川 信行
善光寺の宿坊に泊めていただいたことがあった。夜は精進料理いただいた後に、ご住職の法話があった。法話に参加したのは私だけだったので、宿坊のご住職とは、善光寺のこと、宿坊のこと、世間のこと、身の上のことなど夜も更けるのも忘れるくらい話をしていた。そのうちに段々に自分も観光客気分も抜けて見栄もなくなり、素直な心で話ができるようになり、最後には何故だか涙があふれてきてしまった。
翌朝は善光寺のお朝事に参拝した。昼間の参拝客のいない早朝、夏は五時ごろから、鐘の音を合図にお朝事が始まる。参拝者は参道に並んで膝まづいて待ち、善光寺ご住職が本堂に進むときに数珠で頭を順番に撫でてくださる「お数珠頂戴」の儀式で功徳を授かる。そのあと本堂に上がって内陣でお朝事の法要が行われる。
涼しさは、気温の変化だけでなく、視覚や聴覚によっても感じられる。風鈴がそのとおりだが、歳時記を読み進めると、さらに鐘涼しという傍題もある。
善光寺の鐘は、毎日、朝十時から四時まで時を告げるとのことだが、お朝事のときに聞いた鐘の音は、早朝の涼しさだけではない格別の響きだった。「朝の」は、時間の説明に終わらない働きを担っている。(岡田 耕)
(俳句雑誌『風友』平成二十七年十二月号)
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