歳時記を旅する 5 〔芋の葉の露〕
芋の葉の後生大事の露ひとつ
土生 重次
(昭和五十五年作、『歴巡』)
里芋は別名「露取草」ともいう。
室町時代の連歌用語辞書の『藻塩草』(宗碩著一五一三年頃)には、「露取り草とは、棚機(たなばた)の歌を書付るに、芋の葉の露にて書也」との記録が見える。後の『増補俳諧歳時記栞草』(曲亭馬琴編 一八五一年発行 岩波文庫)には「芋の葉の露」が独立した秋の季語として掲載されている。
ここでいう室町時代の棚機とは、宮中の行事として、旧暦七月七日の夜に庭に供え物をして、牽牛・織女の二星を祀り、梶の葉に歌を書いて供えていたというもの。
句の後生大事とは、もとは仏教で来世の安楽を願ってひたすら善行を積んで仏道に励むこという。はかない露であっても大切にされている。棚機のためであればなおのこと。
芋の葉の要かなめの露の玉 佐野 聰
(平成五年作、『春日』)
京都の北野天満宮では、祭神・菅原道真(八四五~九〇三)が「ひこ星の行あひをまつかささぎの渡せる橋をわれにかさなむ」と七夕を詠んだ故事に因んで御手洗祭が行われる。
神前には菅公の御遺愛と伝わる「松風の硯」を始め、角盟(つのだらい)・水差し・古くは短冊に使われた梶の葉、そして夏野菜・そうめん・みたらし団子が供えられる。
この神事に倣って、七夕の前夜に硯や机を洗い清めておいたり、七夕の朝に、芋の葉などの露をうけて墨をすり、牽牛・織女の二星に手向けるものを書くために硯を洗い清めておく。これを「硯洗ふ、机洗ふ」という。
句は七夕の朝の景。芋の葉の扇の要にあたるところに、墨をするための露の玉が一粒ずつ用意されている。
いもうとを先に嫁がせ星まつり 磯村 光生
(平成六年作、『花扇』)
現在の七夕の恋愛伝説の原型は、中国の六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』、「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」にあるとのこと。
句の主語は妹ではなく作者。七夕の伝説を思えば、喜びと安堵とともに、将来の不安もあろうというもの。
(俳句雑誌『風友』令和二年八月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)