見出し画像

おじょーと祈り

おじょーと教会に行ったことがある。
それはそれは立派な教会で、見るに相応しい教会だ。
夕木くんがおじょーを誘ったのだ。
当時、私は祈りたいなと思っていた時期で、
おじょーと祈りを捧げに教会へ出向いた。

私にとって祈りとは希望だ。
一人ではない。そう感じさせる行為だ。
祈りたいな、と感じる時は頻繁にある。
だが、教会へ出向く行為は敷居が高く感じていた。
神社や仏閣へ行くのは好きだ。
ただ、拝むのと祈るのは違うと思っている。
無宗教無宗派の私が偉く語るつもりは毛頭ない。
私がそう感じているだけだ。
この時は祈りを捧げたい、とひらめき、
おじょーを誘い、教会へ行くことにした。
今思えば、かなり無謀だったように思う。
女性を教会へ誘うのはなかなか難しい。
宗教は人により否定的な感情を持つことも多いからだ。
教会へ出向くことに臆する人もいることだろう。
しかもそれが初デートなら尚更だ。
それでも、おじょーはついて来てくれる気がした。
特に理由や確信があったわけではない。
運命めいたものを感じたのか、ただの勘だったのか、
結果的には当然のようについて来てくれた。
教会へ向かう道中で祈ることの意味合いを話した。
教会へ行くことへの意向も確認した。
おじょーには当時から光のようなものを感じていたのだと思う。
おじょーは何も否定せず話を聞いてくれた。
愛に溢れた人だと思った。

教会へ着くと、厳粛な雰囲気に包まれており、
祝式典の最中で、聖堂を見学することは叶わなかった。
祈りを捧げる行為もまた、残念ながら次回となった。

祈ることは実際にはどこでもできる。
それこそ今この瞬間でも可能だ。
それでも、誰と祈るか。
どこで祈るか。
それが重要に思えた1日だった。
おじょーと行くことに意味をもたらしたからだ。

初デートで訪れたこの教会は、私にとって忘れ得ぬ場所になった。
いつかこの場所でチャペルの音を鳴らしたい。
おじょーと共に歩む誓いを捧げたい。
そう思える地になった。
福音であることを願って。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?