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99人に嫌われても、1人に届けば良い。私がnoteを続ける理由と覚悟

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私は、労働を撲滅する運動に参加している人々に嫌われた経験がある。しかし、それが私を諦めさせることはない。むしろ、この経験は、どのようにすればより多くの人々に理解される文章を書くことができるかという挑戦意識を強くした。特に、相手が私の考えを理解できないと感じる場合、その背後にある原因は必ずしも相手の知能が低いからではなく、私自身の表現が適切でない場合もある。したがって、より多くの人に届く言葉を探し、書き続けることに決意した。労働撲滅運動に参加している人々は、労働そのものを否定し、自由な生活や自動化による新しい社会のあり方を求めている。しかし、私の視点からは、労働には多くの側面があり、そのすべてが悪ではないと考える。労働は人間の自己実現や社会貢献の手段でもあるため、その全否定には違和感を抱いていた。しかし、そのような対立した考え方を直球でぶつけても、相手に拒絶されるのは当然だと今では理解している。私の目指すべきは、対話と相互理解の道を探すことだ。


誰にでも分かりやすい文章を書くことは、単なる技術の問題ではない。それは、相手に対する敬意と共感の表現である。私が書く文章は、相手の考え方や背景に対して敬意を払いつつ、私自身の考えを丁寧に説明することが求められる。難しい言葉や専門用語を使わず、簡潔で具体的な例を用いることが大切だ。また、感情的な対立を避け、冷静に事実を伝えることが理解を促す一助となるだろう。さらに、相手の視点に立つことが不可欠だ。相手がどのような価値観や生活背景を持っているのかを理解し、その上で私の意見を提示することが重要だ。相手が何に困っているのか、何を求めているのかを考えることは、私の主張が無視されず、少しでも心に届くようにするための第一歩だ。99人に嫌われても、1人に届けば良い。これは、私が文章を書く上で心に刻んでいる信念だ。すべての人に理解され、共感されることは現実的ではないし、必ずしも目指すべきことではない。むしろ、何かを伝えようとすれば、必然的に反対する人や批判する人が現れる。それは、相手にとって価値観や前提が異なるからであり、相手の立場からすれば、私の主張が脅威や不快感を引き起こす場合もあるだろう。


1人に嫌われ、noteアカウントで一方的にブロックまでされたというのはピンチであり、チャンスだ。その1人が理解し、共感してくれることで、その人の考えや行動が変わるかもしれない。そして、その1人を通じて、その先に広がる世界も変わっていく可能性がある。世の中の大きな変化や革命は、必ずしも大多数の支持から始まるわけではない。むしろ、最初は少数派の意見が、徐々に広がりを見せて大きなうねりを作ることが多い。だからこそ、私は少数派でも、その1人を大切にする。そして、私の言葉がその1人の心に響く瞬間を信じて書き続ける。そのためには、正直であることが不可欠だ。自分の考えを曲げたり、迎合したりせず、誠実に自分の主張を伝え続けることで、その1人に届く言葉を探していく。多くの人に嫌われることは、決して楽ではない。批判や反発にさらされるたびに、自分の考えが間違っているのではないかと不安になることもある。しかし、自己の信念を貫き、他者に分かりやすく伝えることができれば、その少数の理解者が生まれる瞬間がやってくる。自分の信じる道を進み、言葉を磨き続けることで、私はその瞬間を待ち続けるのだ。


たとえ99人に嫌われても、1人に届くなら、その努力は無駄ではない。その1人が、私が目指している未来を共に描き、共鳴してくれる人だからだ。そして、私が言葉を届けた1人が、また次の1人に言葉を伝える。それが、やがて100人、1000人と繋がっていく可能性を信じている。


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