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学生時代の家庭教師バイトを今振り返ると…

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私は学生時代、国立医学部に通いながら家庭教師として活動していた。ネット掲示板で募集を行い、3年間で6名の生徒を指導した。面談や体験授業を含めると、10件以上の家庭を訪れたが、そこで目の当たりにしたのは、「教える」という行為の難しさと奥深さだった。



圧倒的な実績が頼り


私が家庭教師として雇われた理由は、偏差値の高い国立医学部に合格したという「実績」だった。親御さんの期待は高く、「この先生なら結果を出してくれる」という信頼のもとでの採用だった。確かに、私自身は勉強で苦労した経験がほとんどない。才能と環境に恵まれたおかげで、受験を通じて大きな壁に直面することなく合格を勝ち取った。しかし、この「自分にとって当たり前」の経験が、生徒にとっても当たり前だとは限らない。


指導の現場では、生徒が勉強という問題に立ち向かう際に感じる困難を、私自身が一度も体験したことがないことを痛感した。理解が早い私にとっては当然の解法や進め方が、生徒にとってはまるで霧の中を手探りで進むような難題だった。そこで私は、自分の「できること」を押し付けるのではなく、生徒の視点に立ち、彼らが持つ状況や能力に基づいて糸口を探す努力を始めた。



問題を「分解」して伝える


ある中学生の生徒は数学が苦手で、特に文章題を前にすると手が止まってしまうことが多かった。私は彼が苦手としているのは「数学」そのものではなく、問題をどのように読み解き、手順を組み立てるかという部分であることに気付いた。そこで、問題を細かいステップに分解し、それぞれの部分に対して丁寧に説明を加えた。また、「どこでつまずいたのか」を一緒に振り返る時間を設け、生徒自身が課題を客観的に見つめられるよう手助けをした。このアプローチは、私にとってはごく自然なものであったが、生徒にとっては新しい視点を提供するものだったようだ。彼は徐々に「わからない」から「やってみよう」に姿勢を変え、最終的には苦手意識を克服することができた。



能力だけでなく「環境」に寄り添う


一方で、ある高校生の生徒は学習意欲が低く、親からの強いプレッシャーに苛まれていた。私が見た限り、彼の成績は決して悪くなく、能力的には問題がないように思えたが、家庭内でのプレッシャーや失敗への恐怖が学習を阻害していることに気付いた。こうした場合、教えるべきは知識だけではなかった。彼にとって重要だったのは、「失敗してもいい」「自分のペースで進んでいい」と思えるような安心感を与えることだった。私は成績よりも「自分なりの目標」を設定することを提案し、短期的な達成感を積み重ねる形で自信を育てていった。



自分の無力さを知ること


家庭教師としての経験は、私に「教える」ことの難しさを何度も突きつけた。自分自身が学びに困難を感じなかったからこそ、相手の困難を理解するのに時間がかかった。私が信じていた「勉強すればできる」という価値観は、時に相手にとっては現実感のない言葉に過ぎなかった。それでも、私は生徒一人ひとりの状況を観察し、彼らが「できない理由」を解きほぐしていく中で、少しずつ「教える」という行為の本質に近づいていけたように思う。


教えることで得た視点


このように、家庭教師の仕事は、生徒とともに「学び」という問題を解き明かす共同作業だった。そして同時に、自分の当たり前を疑い、他者の視点に立つ力を養う機会でもあった。私にとって当たり前だった「努力は必ず報われる」という信念も、実際には多様な環境や能力が絡む中で成り立つ相対的なものに過ぎない。そのことを知ることができたのは、家庭教師という現場で生徒と向き合ったからこそである。


教育とは、相手の状況に応じて道筋を探し、ともに突破口を見つけていく作業だ。圧倒的な実績だけでは決して十分ではなく、相手を理解し、信頼を築くことが必要だと痛感した。この経験を通じて得た視点と学びは、私が今後どのような道を進むにしても必ず役立つと確信している。


中学3年生の段階で慶應義塾大学を目指す道を提案していた生徒が、最終的に東京大学に進学した例がある。その生徒は、語学や人文科学に優れた感性を持ち、数学や理科への関心は低かったため、個性や適性を重視し、自主性を育む環境として慶應が最適だと判断した。しかし、高校に進学してから彼は学業への関心を大きく高め、「もっと高いレベルで挑戦したい」と自ら進路を東京大学に変更した。


このように、生徒自身の成長や可能性は教師の予測を超える場合があり、進路は固定的ではなく柔軟に見直すべきだと学んだ。そして、「やってみないと分からない」という不確実性を伴う教育の中で、生徒とともに歩む経験が私にとっても貴重な成長の機会となった。この事例は、教育の本質を改めて考えさせるかけがえのない体験だった。








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