150年前の論文を読む「書ハ美術ナラズ」③-前編
「書ハ美術ナラズ」論文を読んでみる
150年ほど前の明治時代の論文。
「書は美術ならず」!? 小山正太郎vs岡倉天心
本記事は③-前編です。①②は下のリンクよりどうぞ↓↓
今回は小山正太郎氏「書ハ美術ナラス」の完結編の前編!
※読者の方々は、基本的には現代語訳の方を読めば良いと思いますが、これは筆者の意訳です。読みやすいように、句読点の追加、改行、()書きの追加、などを適宜しております。
間違いや異論等もあるかと思います。その場合はコメント欄にてそっとご指摘くださいませ。
書き起こし(カタカナ→ひらがな、旧字体→新字体)
進んて第二の探求即ち之か美術の作用ありや否を探求すへし夫れ書は他の美術の如く独立して作用ある者に非す必す文句の指揮に従ひ然後始て作用ある者なり若し文句の指図に従はす文字の形を記せしのみにては如何に巧に多数の文字を書するとも何の用をも為さヽるなり故に前数々述ふる如く其本文の作用即ち言語の符号として意を通するの外復た他に作用ある者に非す図画の其精妙奇功を以て或は暴逆なる或は惨忍なる或は慈仁なる等の千状万態を吾人か眼前に呈出し吾人をして覚へす恐怖せしめ憤怒せしめ尊敬せしむるの類に非す如何に能書なりとも看者をして泣かしめ笑はしめす故に人心を感動し教化を助くるとの作用はあらさるなり亦図画の春晩田家の景を写して看者の精神を鳥声花香の間に飛遊せしめ渺茫たる蒼海を画て看者の心神を開滌し泉下慈親の容貌を座右に置て敬慕の情念を保続せしめ臥して海外万里の名山勝地に漫遊せしめ座して千百年前の戦闘争乱を目撃せしめ遠隔の知友に対せしめ往時の英傑に謁せしめ昇平豊年の景況親族熟和状態を画て看者をして覚へす歓喜せしむるの類に非ずす如何に能書なりとも人の精神を快楽の別天地に誘ひ吾を忘れて歓喜せしむる等のことは為す能はす故に人心を愍め之に快楽を与ふとの作用も亦あらさるなり亦図画の古今の風俗を一日間に歴観せしめ各地の風景を一室内に集覧せしめ滄溟深淵の妖魚毒虫深山幽谷ノ猛獣怪禽を眼前に置て徐に観察せしめ其身寒風を凌かすして凛烈たる北地の氷山を探り其身危険を踏ますして獰悪なる蛮人の巣窟を窺はしめ万物至大の形象を尺寸に納め至細の幽微を方寸に充たしめ能く言語の及はさる所を表出し人をして一見釈然たらしむるの類に非す如何に能書なりとも唯其文意を看者に通するのみ書自身は一の意味をも有せす故に能書たりとも拙書たりとも同一なる一語を書すれは読者に同一なる意味を会得せしめす故に知識を開き学術を助くる等の作用も亦あらさるなり或は曰く本邦の書は別に仁目を慰むるの作用ありと是れ蓋し世論の迷霧に陥りし道路なり然とも細に熟察せは自ら其非なるを悟るへし凡そ物の精なる者功なる者粗なる者拙なる者に比すれは人の嗜好に適し多少心目を悦はしむる者なり故に書と雖とも亦巧なる者は多少人目を慰むへし是れ固より至当のことなり余も亦夙に書を好めり故に能書に遇へは多少目を悦はしむ然れとも若し一字を習はす一字を読まさる者に示さは則如何必す少しも其人を慰めさるへし故に能書の吾人の目を慰むるは是れ吾人か嘗て書を学ひしに由るなり蟹行文の巧に書せし者之を習ひし人の目を慰むると同一の理にして別に作用ありと云ふ程のことには固より非さるなり由此観之は其本文の功用即ち文句の指揮に従ひ言語の符号として意を通するの外又他の作用あらさること明白なり而して其本文の作用は蟹行文と同一なれは本邦の書は蟹行文と異にして独り美術の作用ありとは断して言ふへからす
以上述ふる如く書即ち一色を已定の形に塗るの術は其術其作用一点も美術と云ふへき部分を含有せす且諸君の美術ならすと称せらるヽ所の蟹行文と同一にして毫末も異なる所以を発見せす是れ則余か諸君の憐笑を顧みす独り美術ならすと断言する所以なり
以上の理由に由て書は普通教育の一科として勧奨すへく美術として勧奨すへからさる因て更に一歩を進て美術として勧奨するの利あらさるを一二略言せん抑ヽ書を美術として勧奨するは如何なる目的なるや想ふに書家の泰斗と仰き模範と為す所の義之なり真卿なり子昂なり元章なり徴明なり其昌なり其他有名なる大家の如き能書を輩出せんと欲するに過きさるへし然れとも此種の人才は唯書を勧奨するのみにては養成する能はす故に唯書を勧奨するの結果は必す此種の学力才識を具へすして唯文字形を記することのみ彼等に似たる者を出現すへし而して此文字を記するのみの徒か全国に充満したる時より即ち書を美術として勧奨するの目的を十分達したる時なるへけれ而して此の時に至らは果して如何なる利益あるや
現代語訳(意訳)
論を進めて、第二の探求、すなわち書の美術の作用があるや否やを探求したい。
そもそも書は他の美術と比べて独立した作用があるものではない。必ず文句(書く言葉)の指揮に従ってはじめて作用があるものである。もし文句の指図に従わず、文字の形を記すのみならば、いかに多数の文字を書いても何の用もなさない。
故に、前々にも多く述べた通り、その本分の作用、すなわち言語の記号としての意味を通すほかには作用のあるものではない。
絵画の精妙であり優れた功績は、あるいは暴逆と思わせ、あるいは惨忍に思わせ、あるいは慈仁に思わせるなどの千状万態を、鑑賞者の眼前に出し、鑑賞者に恐怖させ、憤怒させ、尊敬させる。書はそのような類のものではない。
いかに優れた書であっても、鑑賞者を泣かせ、笑わせない。だから、人の心を感動させ、教え導くことを助ける作用はないのである。
また、絵画において春の宵の田んぼにある家の風景を描いて鑑賞者の精神を鳥声花香の間に飛遊させ、渺茫たる蒼海を描いて鑑賞者の精神を開き、亡くなった慈しい親の顔を描いて座右に置いて敬慕の情念を保ち続け、寝っ転がって海外万里の景勝地に漫遊させ、座って千百年前の戦闘争乱を目撃させ、遠い旧友を思い出させ、昔の英傑に謁見させ、平和で景気が良く親族も仲の良い状態を描いて鑑賞者を思わず歓喜させる、書はそのような類のものではない。
如何に優れた書であっても、人の精神を快楽の別天地に誘い、我を忘れて歓喜させる等のことはできないのである。書は人の心を慰め、快楽を起こすとの作用もまたないのである。
また、絵画は、古今の風俗を一日の間に歴観させ、各地の風景を一室内に集覧させ、滄溟(青い海)深淵の妖魚毒虫深山幽谷の猛獣怪禽を眼前においておもむろに観察させ、その身に寒風を凌ぐことなく凛烈(寒さが厳しいさま)たる北地の氷山を探り、その身に危険を晒さずに獰悪な蛮人の巣窟を窺わせ、この上なく大きなものの形象を尺寸(わずかばかり)に納め、この上なく細かくて幽微なものを方寸(わずかばかり)に満たし、十分に言語の及ばないところを表し、人を一見して釈然とさせる、書はそのような類ではない。
いかに優れた書であっても、ただその文意を鑑賞者に通すのみであり、書自身は一つの意味をも持ってはいない。だから優れた書であっても拙な書であっても、同じ一語を書けば、読者に同じ意味を会得させ、少しも他の意味を会得させない。だから、知識を開き、学術を助ける等の作用もまたないのである。
ある者は日本の書は別に人の目を慰める作用があると言うが、これはもしかすると世論が迷霧に陥れた道である。しかし細かに熟察すれば、自らそうではないと悟るだろう。
ほかの精なるもの、巧なるもの、雑なるもの、拙なるものに比べれば、誰かの嗜好には適し、多少人の目を悦ばせるものである。だから書と言っても、また巧みなものは多少人の目を慰めるだろう。これは元から当たり前のことである。
小生もまたずっと前から書を好んでいるゆえに、優れた書に遇えば、多少目を悦ばせる。しかし、もし一字も習わず一字も読めない者に示すのならば、少しもその人を慰めることはないだろう。だから、優れた書が皆の目を慰めるのは、皆がかつて書を学んだからである。
このことは、(欧米の)横書き文で上手く書かれたものは、これを習った人の目を慰めるのと同一の理で、特別に作用があるというほどのことでは固よりないのである。
これらのことからすると、其の本分の功用、すなわち文句の指揮に従い言語の符号として意味を通すのほか、またその他の作用がないことは明白である。そして、その本分の作用は(欧米の)横書き文と同じならば、日本の書は(欧米の)横書き文と異なるというそれだけで美術の作用があるとは断じて言ってはならない。
以上述べたように、書すなわち一色を既定の形に塗るという術はその作用一点も美術と言うべき部分を含有しない。且つ、諸君が美術ではないと称する(欧米の)横書き文と同じであって、少しも異なる所以を発見できない。これが、小生が諸君の憫笑を顧みず、独り書が美術ではないと断言する理由である。
以上の理由によって、書は普通教育の一科として勧奨(功績を褒める)するべきで、美術として勧奨するべきではない。さらに一歩進んで、美術として勧奨することの利が無いことを、1つ2つ言おう。
控えめに書を美術として勧奨するのはいかなる目的があるか、思うに、書家の泰斗(泰山北斗の略。その道の大家)を仰ぎ、模範となす王羲之なり、顔真卿なり、趙子昂なり、米元章(米芾)なり、文徴明なり、董其昌なり、その他有名な大家のように優れた書を輩出しようとしたが、彼らを超えることはなかっただろう。
彼らのような才能は、ただ書を勧奨するだけでは養成することはできない。ただ書を勧奨したことの結果は、この種の学力才識を備えないでただ文字の形を記すことだけ。彼らに似た者が出現するだろう。そうして、文字を記すだけの徒が全国に充満したとなれば、書を美術として勧奨する目的に十分達しているということになるのでしょう。
しかし、こういった状況に至ったとして果たして何の利益があるのか。・・・
(次回フィナーレ!)
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ぐぬうううう。読めば読むほど書道家の筆者はちょっと辛いのですが(笑)
そして結論はもう十分・・・という気もしますが、最後まで読み進めてまいりたいと思います。
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