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お字書き道TALKS的【印刷の歴史】③「タイプライターの話」「ガラパゴス浮世絵」

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印刷の歴史について「お字書き道TALKS」的に気になった部分を分厚めに取り上げつつ古代から現代までざーっと追っておりまして、①は古代から活版印刷時代直前のあたりまで。②は活版印刷黎明期~発展期と、印刷による版の複製「My推し本」を広めたい話など。そして、今回③ではタイプライターの話から、デジタルの時代へ突入し、現在へいたるあたりを書いてみたいと思っていましたが・・・(ことの顛末は最後までお読みいただけますと幸い)

①の冒頭で触れた「フォント」3つの意味の変遷と言った伏線回収をしつつ完結編を目指します。

○未読の方は①「紙が高価だった時代編」②「活版印刷時代編」も併せてお読みくださいませ。

それでは③「タイプライター、そしてデジタルの時代へ」伏線回収完結編はじまり!

※このシリーズはタナカが書いております。



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前回②の末尾どうだったか

以下の線から次の線までが前回②の末尾。


1875 トーマス・エジソンが謄写版を発明(米国)
日本ではガリ版として知られる。

おお、ここでガリ版印刷が登場。エジソンの発明だったのね。ちびまる子ちゃんじゃないけど「エジソンは偉い人。そんなの常識。」のそんなの常識度がグッと上がります。活版印刷と並行してタイプライターも発展していくんだけど、日本を含め漢字圏では先述の通り文字数が多すぎてタイプライターがあまり普及しなかった。と言うことの影響があったのかどうかは分かりませんが、昭和末期~平成初期(1990年をまたぐ頃)でもガリ版印刷(ろうそくのロウ、ロウ板を鉄筆で削って、その上からインクを塗ることで印刷する。シルクスクリーン的なやつ。)は見たことある。学校のプリントはガリ版刷りでわら半紙に印刷されてたようなイメージがあるなあ。

https://conex-eco.co.jp/showa/56828/


1950 ゼロックスがコピー機を発売(米国)

ってことらしいので、10~20年遅れたとしても、1960~1970年代ころには日本でもコピーするって言うのは普及していただろうに1990年前後でもまだガリ版刷りしてたんですよ。タイプライターでもとの原稿を作って、それをコピーする方が学校のプリントとかだったら楽に感じるけど、それでもガリ版刷りは根強かったんですね。世界的にはどうだったんだろうか!?タイプライターが日本でも普及していたら違う様相だったのだろうか気になりますね。少しタイプライターの話を挟みましょうか。

・・・と、思ったのですが、少し長くなって来たので③へ続きます。


そんな感じで、今回③に続いておりました。タイプライターの話を書くんだった。そうだった。


タイプライターワードプロセッサーの話

タイプライター英語: typewriter)とは、文字盤を打鍵することで活字に打ち付け、文字を印字する機械。筆記業務の高速化、各種原稿の清書といった目的で使用され、カーボン紙を挟んで複数枚の紙に同時に印字することで文書の複写もできたことから、会社での事務や個人の文章作成など 幅広く使われた。
装置内部に打鍵した文字列が記録され、印字前に修正可能なものはワードプロセッサーとも呼ばれるが、区分は曖昧である。
Wikipedia:タイプライター
出典

メカ感がとてもカッコいい。しびれるね。

あと「カーボン紙を挟んで複数枚の紙に同時に印字することで文書の複写もできた」って言うのは知りませんでした。例えば数名の会議参加者に配るくらいの量は一気に印刷できたとしたら、重宝されただろうなあ。

タイプライターは一人の人によって一挙に実用レベルで発明されたわけではない。1700年代前半あたりから200年ほどもかけて、多くの発明家がそれぞれの着想で、素朴な(欠点だらけの)試作品を製作したり、先行する発明家とは独立的に他の発明家が全く別の方式のメカニズムを試みて特許を取得したり、あるいは先行する発明家の品をおおむね知りつつ改良のための試作品を作る、あるいは機能を追加するための追加的なメカニズムを発明する、などということが、世界各地で数十回以上も繰り返されるうちに、ようやく商業ベースの製造ができるレベルにたどりついた、という歴史を持つ。1700年代~1800年代前半ころまで呼称も定まっておらず、発明家ごとに様々な名前で呼ばれていた。
Wikipedia:タイプライター

見るからに複雑そうな機械ですからそうそう簡単に完成形にはたどり着かなかったのでしょうね。開発の歴史があったと。そして、1915年には日本でも和文タイプライターが発明されます。

1915年 杉本京太が和文タイプライターを発明(日本)
この功績によって1953年に藍綬褒章、1965年に勲四等旭日小綬章を受勲した。1985年に「日本の発明家十傑」にも選ばれている。

日本の発明家十傑と言うのが気になったので調べてみると以下の通り。

  1. 豊田佐吉 - [特許第1195号]木製人力織機(cf. 豊田式木製人力織機)。

  2. 御木本幸吉 - [特許第2670号]養殖真珠

  3. 高峰譲吉 - [特許第4785号]アドレナリン

  4. 池田菊苗 - [特許第14805号]グルタミン酸ナトリウム

  5. 鈴木梅太郎 - [特許第20785号]ビタミンB1

  6. 杉本京太 - [特許第27877号]邦文タイプライター

  7. 本多光太郎 - [特許第32234号]KS鋼

  8. 八木秀次 - [特許第69115号]八木アンテナ

  9. 丹羽保次郎 - [特許第84722号]写真電送方式(cf. ファクシミリ#歴史、NE式写真電送機)。

  10. 三島徳七 - [特許第96371号]MK磁石鋼

この中だと、グルタミン酸ナトリウム(うま味調味料)には日ごろお世話になっているなあ。

と、書いていると話がそれそうなので、まとめてしまおう。で、ようするに「日本を含め漢字圏では先述の通り文字数が多すぎてタイプライターがあまり普及しなかった」と言う話でした。先にご紹介した古めかしいメカ、タイプライターではなく日本製のタイプライター(BROTHER 'Young Elite' タイプライター(英字))もご紹介しておこう。

出典

こんな感じのものは昔の映画や、おじいちゃんの家にあったとか。お父さんが持っていたとか。そんな感じで見たことがあると思います。ですがこの画像を見てもわかる通りこれは英語のタイプライターです。では和文タイプライターとはどんなものだったかと言うと・・・

Wikipedia:和文タイプライター

キー数多すぎワロタwwと言う感想しか出て来ませんでした。これは正直見たことがありません。ただ単に筆者が見たことないだけで皆さんは「ああアレね。懐かしいなあ。一家に一台だったもんだよ。」とかそう言う可能性も捨てきれませんが、どうにもこれはマニアックに見えます。少なくとも特殊な仕事をしていなければあまり実機をマジマジと目にする機会は少ないものであることはおそらく間違いなかろうと。たぶん。

なにが言いたいかと言うと、見たことないってことはあまり普及しなかったと言うことなのであろうと。ようするに「日本を含め漢字圏では先述の通り文字数が多すぎてタイプライターがあまり普及しなかった」と言う話。



ガラパゴス「浮世絵の話」


和文タイプライターはあまり普及しなかったと言う話でしたが、少し時代をさかのぼると活版印刷と言うのも西洋にはかなり遅れを取りました。

と言うのはやはり漢字圏で文字数が多いからと言うことももちろんありましたが、江戸時代では主に草書(くずし字)が広く使われていたこともあって、活字を1文字ずつ並べていく活版印刷は文字がくずれて繋がった草書的表現にはまったく向いておりませんでした。

日本で活版印刷が定着していくのは幕末から明治にかけてでありまして、大政奉還が1867年11月9日と言うことなので、グーテンベルクが1450年に活版・プレス印刷の発明と言うところからかなーり遅れましたね。

ただこれは活版印刷が文字がくずれて繋がる草書的な表現と相性が悪かっただけのことで、世界の印刷技術の発展に日本がついていけなかったとかそう言うことではなく、たんに活版印刷が不要な江戸社会がそこにあったと言うだけのことでした。

江戸時代には浮世絵文化があった。これは世界が活版印刷技術を発展させていく中、日本は独自の木版印刷技術を鎖国もあいまってガラパゴス的に進化させていく中から生まれたものだと。

そう言うストーリーでガラパゴス「浮世絵の話」を見つめてみたい。

以下は印象派の画家として有名なゴッホが模写したことでも有名な歌川広重先生の作品「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」

歌川広重 名所江戸百景 大はしあたけの夕立

もの凄い精密さ。こんな細い雨の線が重なり合う様子がくっきりと繊細、精彩、精細に描かれている。しかも「印刷物として描かれている」ってとこがもうやべえな。と西洋の方も、ゴッホさんも思ったことでしょう。なにせ1枚ずつ手書きではなくて「印刷物」「複製物」が他にもあるしってことで。もう当時の感覚からしたらGAME BOYとSwitchくらいの性能差があった。

想定している印刷技術からしたら飛躍し過ぎた完成度だったことでしょう。


木版から活版印刷へと西洋が印刷技術を発展させていくなか、日本では独自のガラパゴス進化を遂げた木版印刷技術が異次元の領域に到達していたのでした。



「銀河鉄道の夜」ジョバンニ君の活字拾い~1978年7月2日ニューヨーク・タイムズが活版印刷を終了~そしてデジタルの時代へ・・・


「銀河鉄道の夜」ジョバンニ君の活字拾いの話について書いて、それから活版印刷の時代が幕を閉じる(活版印刷が行われなくなると言う意味ではなく)象徴的な1978年7月2日ニューヨーク・タイムズが活版印刷を終了し、翌日7月3日からコンピューターを使っての版作製が始まったそれ以降、そしてデジタルの時代へ・・・

と言うあたりを書こうと思ったのですが、またしても長くなって来たので、これはもう④へ続くと言うことにします。伏線回収完結編とはなりませんでしたが、次回こそは・・・(がんばります)次こそは①の冒頭で触れた「フォント」3つの意味の変遷と言った伏線回収をしつつ完結編を目指します。


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④「銀河鉄道の夜」ジョバンニ君の活字拾い。1978年7月2日New York Timesが活版印刷を終了。そしてデジタルの時代へ・・・「フォントとタイプフェイス」伏線回収完結編へ続く!


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