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お字書き道TALKS的【印刷の歴史】②印刷ってスゴイ - 「My推し本」を広めたい話【活版印刷時代編】

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印刷の歴史について「お字書き道TALKS」的に気になった部分を分厚めに取り上げつつ古代から現代までざーっと追っておりまして、前回は古代から活版印刷時代直前のあたりまでを見てきました。印刷技術の向上と言うこともあったけど、そもそも紙が高かったから紙の値段が下がらないことには大量印刷の技術があっても広まり方はゆっくりだったんじゃないかな(仮説)って話だったり。参考までに前回①から江戸後期の紙の値段を引用。

江戸時代(1600〜1868年)の紙の値段、について少し調べてみると。ざっくりですが江戸後期で半紙(24×35cm)が12~20文程度だそう。1両を13万円とした場合で1文が32.5円程度。これは1両を幾らとするかで変わるみたいで1文=12円程度と言う計算もあるみたいですから、一概には言えませんが間を取って「1文=20円」として半紙の値段を「15文」と仮にすると、1枚300円することになります。江戸後期(1750頃~1850頃)でこの値段、しかも和紙と言うのはリサイクル性に優れていたため他国より安価だったそうですから、仮にグーテンベルクが活版印刷技術を発明した1450年のドイツ、ましてや1040年に中国で陶器の活版印刷が発明された頃なんかだと数倍以上の値段がしてもおかしくありません。

○詳しくは前回①「紙が高価だった時代編」をお読みください。

それでは②「活版印刷時代編」はじまり!

※このシリーズはタナカが書いております。



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活版印刷「黎明期」

「日付が確認できる世界最古の印刷物」(木版)「金剛般若経」(868年)

敦煌で発見された金剛般若経、咸通9年(868年)刊刻。

大英図書館は「日付が確認できる世界最古の印刷物」とみなしている

出典:Wikipedia(金剛般若経)

から150年くらい経つと、陶器だったり、木製の活版印刷技術だったりが生まれてきます。

  • 紀元1040年頃に畢昇(ひっしょう:北宋の発明家)によって陶器の活版印刷技術が発明。

  • 1298~1313頃 活版印刷の登場:中国の農学者 王禎(おうてい)が木版印刷を改良して農書を作成したとされる。


この王禎さんについてはもう少し詳しくWikipedia。

王 禎(おう てい、生没年不詳)は、中国元代の農学者。字は伯善。東平府須城県の人。

農業技術に精通しており、みずから農具を設計・製作して普及に努めた。北から南まで中国全土を網羅した総合的な農業技術書を初めて編纂した。

官歴と『農書』の編纂
旌徳県令や永豊県令を務めて治績を挙げた。1313年(皇慶2年)に刊行した『農書』22巻(36巻とも)を著す。そこには、同時代に至る過去の農業技術の集大成ともいえる、農作業・栽培法・農具に関する詳細な記録を273幅もの図録とともに紹介している。

印刷技術
『農書』の中で、木活字を使用してみずからの著書を印刷したことを述べている。この『農書』の中で特に注目されるのは、活字を配列する回転活字台に言及していることである。
Wikipedia:王禎

回転活字台とかなんかすごそう。そして、この100年ちょっと後にはかの有名な、人類史における最大の発明のひとつと言われる「活版印刷」が発明されます。

1450年ヨハネス・グーテンベルク(ドイツ)
「活版・プレス印刷の発明」

前回や本記事冒頭にも書いたけど、このように活版印刷技術が発展していく中でも紙はとても高価で、前回①でのザックリ計算でしたがおそらく聖書1冊100万円からと言うような世界観だったのではないだろうかと。でも高級車を買えちゃうくらいのアッパークラスな人なら聖書に限らず面白そうな本が出たら「お!新刊出た!ポチ。」ってくらいの感じでバンバン買う人は買ってたのかも。



印刷ってスゴイ - 「My推し本」を広めたい話


この印刷ってのがスゴイんだよね。と思う訳で、何がスゴイかって、木版印刷でも活版印刷でも、この「印刷」って全く同じものが複製されるわけじゃないですか。

すげええ!エモー!!やばー!!!ってなる本があったら、もう2冊買っちゃうよね。それで友達の高橋(仮名)に無理やり貸す。「もうオレのことは嫌いになってもいいからこの金剛般若経は絶対マストで読んで欲しいんだ・・・」とかそんな感じで「My推し本」を広めたりしたくなる。

日本で最も古い木版印刷とされているのは法隆寺に残る「百万塔陀羅尼」と言われています(※諸説あります)。時代は770年頃(奈良時代)のものとされています。

奈良時代に日本に仏教が入って来て、中国僧侶の「推し本」である仏教の経典や木版印刷の技術とかも一緒にやってくる。もちろん推したいのは本そのものではなくて本の内容「仏教」だったことは言うまでも無いんだけど、この本ってのは木版印刷より前だと「手書きで書き写したもの」だったのが「印刷物」として広まる部分が出て来たってのは大きな変化だと思うんだよね。

1990年代くらいまでは一般的にも自分の好きな曲を詰め合わせた「Myベスト」みたいなカセットテープを作って、名刺代わりと言うか「オレってこういう音楽好きな人なんだよね」みたいな感じで、やっぱり無理やり友達の高橋(仮名)に貸したり、カーステレオで掛けたりして「へぇアンタいいセンスしてるじゃん☆」とかやってたわけですよ。音楽をダビング「複製」してそんな遊びを楽しんでいた。もうダビングも死語か・・・うは。

これが「複製」ではなくて、本で言うところの「手書きで書き写したもの」的なことだったと想像すると、ちょっと様子が変わって来るよね。

もう自分の好きな曲をラジカセのマイクに向かって自ら歌って録音したり、そうでなくても同じくラジカセのマイクををテレビに向けて好きなドラマ主題歌を生音で録音して、お母さんの「ごはんヨー!」とか言う声も一緒に入っちゃったりして、でも週に一回しかこの録音のチャンスはないから仕方なく「母の声入り主題歌」を繰り返し聞いたり。複製でなければこんな感じのことになってしまうわけ。

オレの生声歌唱、「母の声入り主題歌」これを名刺代わりと言うか「オレってこういう音楽好きな人なんだよね」みたいな感じで扱ったり、友達の高橋(仮名)に貸したり、カーステレオで掛けたりしたら「うわwキモっ!」となるに決まってるわけでね。そりゃ「へぇアンタいいセンスしてるじゃん☆」とかなりようが無い。「ごはんヨー!」

印刷物なら「推し本」、音楽なら「推し曲」それらを「複製」したものなら広めたくなる気持ちが強くなると思うんです。

広めたいのって、自分のすげええ!エモー!!やばー!!!ってなるものについて、自分が太鼓判押して信じられる内容がそこにあるもの。だから昔も今もだろうけど、宗教とかスゴイ伝えたくなるんだろうなあって思います。伝えたみがスゴイあるんだろうなあと。筆者タナカは無宗教なのでよくわかりませんが、それでも心を鷲掴みにされるような本とかレコード(音楽)があったらやっぱり人に勧めたくなる。推したくなるのはよくわかります。

奈良時代に日本へ仏教を伝えた僧侶たちの伝えたみもまたとても強いものだっただろうし、それが口伝や、手書きで書き写したものではない「印刷物」として広めることが出来るようになっていたと言うのは、推す力をさらに強めたんではないかなと思います。

あと、印刷物「複製物」であれば、行替えや挿絵の位置までまったく同じなわけですから、友達の高橋(仮名)に貸したあと、あの「○○ページの仏陀の言葉やべえよな!」みたいな盛り上がり方もできる。

帝が部下に「この本読んどきなさい」って言ったら全く同じものを帝も部下も目にするわけで、手書きで書き写したものみたいに部分的に端折っていたり、書き写しそびれてる箇所もないのですから、もし部下が内容を覚えてなかったりしたら帝も「ああコイツは何かダメな奴だ」とか判断にも使えたりする。

とにかく「この印刷ってのがスゴイんだよね。」と思う訳です。



印刷技術「発展期」


はなしは戻りまして。1450年ヨハネス・グーテンベルク(ドイツ)「活版・プレス印刷の発明」であります。それより前にも陶器や木製の活版印刷技術が中国で生まれていたり、中国では明王朝の時期に日ごろ馴染みのある「明朝体」が完成(14-15世紀ころ)したりしてました。

西洋ドイツではグーテンベルクが大活躍し、東洋中国では「明朝体」が生まれたり人類の印刷技術は発展期を迎える訳ですが、ここで気になるのはそれぞれの言語で使われる文字数であります。

アルファベットは現在では26文字、これが少し文字数の多いロシア語なんかでも33文字だそうで、漢字は何千何万と言った文字数があろうことが想像できますが、活字を作ろうとしたときの手間が西洋と東洋で桁違い!

グーテンベルクが偉かったのは間違いないのですが、どちらかと言うと西洋で活版印刷技術が発明されたと言うことの方が影響でかかっただろうなと。

アルファベット大文字/小文字・数字・記号を合わせても基本的には100文字もないでしょうから、文字サイズ違いの活字を大見出し・小見出し・本文と3パターン作ったとしても活字300個くらいがあればひとまずこと足りそうです。もちろん、漢字圏だとそうはいかないわけですから、西洋(アルファベット圏)の方がそもそも活版印刷と相性がよく目覚ましく発展していくことになる訳です。


19世紀(1800年代)には印刷技術さらに目覚ましく発展しました。紙の価格が下がってくる時期でもあったんだろうなあと推測されます。

1800以前 スタンホープ伯爵がスタンホープ印刷機を発明(英国)
第3代スタンホープ伯爵 チャールズ・スタンホープによって印刷効率が大幅に改善された。
 
1806 ラルフ・ウェッジウッドがカーボン紙を発明(英国)
 
1810 ケーニヒが蒸気印刷機を発明(ドイツ)
ドイツの印刷工 フリードリヒ・ケーニヒによって1810年に特許取得後実用化。平圧印刷機。
 
1813 コロンビアン印刷機(金属プレス印刷機)の登場
 
1843 リチャード・マーチ・ホーが輪転印刷機を発明(英国)
湾曲した版を鋳造して回転させることで効率化し、1日に何百万ページもの部数を印刷可能にした。
 
1875 トーマス・エジソンが謄写版を発明(米国)
日本ではガリ版として知られる。

おお、ここでガリ版印刷が登場。エジソンの発明だったのね。ちびまる子ちゃんじゃないけど「エジソンは偉い人。そんなの常識。」のそんなの常識度がグッと上がります。活版印刷と並行してタイプライターも発展していくんだけど、日本を含め漢字圏では先述の通り文字数が多すぎてタイプライターがあまり普及しなかった。と言うことの影響があったのかどうかは分かりませんが、昭和末期~平成初期(1990年をまたぐ頃)でもガリ版印刷(ろうそくのロウ、ロウ板を鉄筆で削って、その上からインクを塗ることで印刷する。シルクスクリーン的なやつ。)は見たことある。学校のプリントはガリ版刷りでわら半紙に印刷されてたようなイメージがあるなあ。

https://conex-eco.co.jp/showa/56828/


1950 ゼロックスがコピー機を発売(米国)

ってことらしいので、10~20年遅れたとしても、1960~1970年代ころには日本でもコピーするって言うのは普及していただろうに1990年前後でもまだガリ版刷りしてたんですよ。タイプライターでもとの原稿を作って、それをコピーする方が学校のプリントとかだったら楽に感じるけど、それでもガリ版刷りは根強かったんですね。世界的にはどうだったんだろうか!?タイプライターが日本でも普及していたら違う様相だったのだろうか気になりますね。少しタイプライターの話を挟みましょうか。



・・・と、思ったのですが、少し長くなって来たので③へ続きます。

次回③ではタイプライターの話から、デジタルの時代へ突入し、現在へいたるあたりを書いてみたいと思います。①の冒頭で触れた「フォント」3つの意味の変遷と言った伏線回収をしつつ完結編を目指します。


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