☆#199『カラーパープル』アリス・ウォーカー

 読み終わって、泣いた。確か20年前に読み終わった時も、本を胸に当てて涙を流した気がする。いわゆる「感動したから」ではない。言うのが難しいが「浄化されたから」という感じ。しかも読んだことによって自分が浄化されたからではなく、登場人物たちが浄化された、そのことに深く心が震えるのである。
 まだ公然と黒人が差別されていた時代のアメリカにおいて、黒人同士の間でも破壊的な人間関係が繰り返されていた。近親相姦、家庭内暴力、離婚再婚、不倫、同性愛、家出、出戻り、居座り、収監、子殺し、とにかく、碌でもないことが次々と起こっていく。今、誰が誰の親で、子なのか、たびたび分からなくなるし、男女関係も乱れすぎて頭がおかしくなりそう。日本人の標準的な感覚からすると(まあ私もかなり標準的とは言えないが、この本の登場人物たちに比べたら「凡」の一字である)、かなり目が回る。
 この作品に登場する人物の大半は「まっとうな人」ではない。暴力を振るう人に、振るわれる人、嘘を付く人、欲情に振り回される人。そして主人公のモノローグはひたすら苦しみに満ちている。
 だからこそ、なのだがその破滅と混乱に満ちた物語が最後に浄化される時、諸人が許されたような感覚を受けるのである。
 著者はこの本を霊感に従って書いた、と序文に自ら記しているように、自分で物語を組み立てたのではなく、物語が自分の前で組み上がっていったのである。そういう独りでに事が為された風格と静けさが、この作品には満ちている。社会的にも精神的にも弱き者が逆境の中で立ち上がっていく。その時、たった一人の人物が過去に見切りを付けて立ち去る、達観する、または復讐する、というのではなく、最も憎しみを向けていた人物さえもが同じ流れの中で精神の浄化を進めていくのである。そしてそれはご都合主義的な改心では全く無い。
 この作品はほぼ同じ全編、神への語りかけを通して綴られる。著者の深い信仰、人間に対する愛と希望、同じくらいの人間に対する悲しみと諦め、それらが少しも隠さず誇張もせず、ありのままに書かれている。
 このような真摯な作品は日本では生まれ得ないだろう。だからって、別に日本が劣っている、と言いたい訳ではないのだけれど、多くの日本人は「この本は精霊たちの囁きによって書かれた」と同じ日本人が序文に書いたとしたら何と思うだろう。宗教?と思うだろう。それで何という宗教に嵌っているのか詮索を始めるかもしれない。
 私たちは実際には精霊たちに取り囲まれている。でもそういうことを忘れ去ってもう真面目には考えられなくなっている日本人は、本書に描かれたような真の苦しみと救済を体験することもまた、出来ないだろう。なぜなら人間同士の醜いぶつかり合いの向こうに神を信じ続けた主人公だからこそ、この物語を辿り得たのだから。
 本書は喩えて言うならば、ガラクタの寄せ集めによって紡ぎ出された神秘の音楽なのである。そこに使用された楽器はストラディバリウスではない。正直、読んでいて苦しい部分、訳の分からん部分は数多い。にもかかわらず読み終わった時には堰を切ったように涙が心に溢れ出す。
 このような作品は滅多に書かれるものではない。

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