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#62『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス

 何と言ったら良いのか、非常に深い作品だった。なかなか言葉が見つからない。それで、読後に深く思いに耽った。長編小説を読むこと自体久しぶりだったのだけれど、ここまでの感覚は久しぶりである。
 この物語について反芻してみようと思うと、自然と瞑想的な状態に入る。深い読書体験が潜在意識にまで入り込んでいるから、それを感じるには集中的で分析的な思考より、没入して心の中に目を向ける方が何かを得られる気がする。

 作品を明るい/暗い、喜劇的/悲劇的で分類するのは単純すぎるように思えるけれど、実際には多くの作品はこの二種に分類できるし、それが物語の色調を決定している。例えばアゴタ・クリストフの三部作などと思い返すと、それは暗い物語で、そして暗い作家が(失礼)、暗い心象風景を描いたものだから、読むと確実にこちらも暗くなる。これは音楽でも起きる現象だし、むしろそうなるのが普通と言える。
 しかし本書は読後感として明るさと暗さ、救いの有り無しが二層になって絶妙に棲み分けされた形で残している。だからある視点から見ると暗く、絶望と不条理に満ちているが、別の視点から見ると、明るさと希望と優しさが確かに宿っている。

 知恵遅れのチャーリーは脳外科手術を受け、一転して天才になった。そして効用のピークを過ぎて再び知恵遅れに戻っていく。
 話の進行自体はひたすら悲愴的で絶望的である。知恵を得たチャーリーは高慢になり人を見下すようになる。知恵を失っていく過程では恐怖に駆られ、幼少期のトラウマを何度も脳裏に再生し、他人に対して辛辣になり、唯一自分を心から愛してくれる人さえも傷つけ、遠ざけようとする。最後に彼は完全な孤独に退行し、そして知恵も記憶も失う。しかしその最後の喪失の過程と共に、彼の中に優しさや楽観が戻ってくる。長い旅を終えた鳥が古巣に戻ってくるような感慨を抱く。
 知恵遅れのチャーリーは賢くなりたかった。そうすれば人から馬鹿にされないし、友達ができる。それでチャーリーは実験的な手術を受け入れた。知恵を得るとどうなるのか、その栄光と挫折を彼は体験した。知恵を得たことによって、彼は自分の人生がどうしてこうなっているのかということについても理解を深めた。女性と愛し合うことも出来た。人類最高の知性に達することが出来た。
 しかしそれはあまりにも過酷な空の旅だった。翼は擦り切れて休息を求めた。鳥はまだ地上に降りたくない、もっと飛んでいたいと願い、飛べない鳥に戻ることを恐れる。しかし意に反して体はどんどん高度を下げていく。彼の恐怖は高まる。しかし降り立つ頃には彼は実は巣の中にずっといて、自分は勇敢な鷲になった夢を見ていた、小さな弱い鳥であったこと思い出す――
 今、物語を思い出しながらこんな風景を比喩としてみたのだが、この作品は、こういう見方も出来るかもしれない。

 物語の大半は知恵を得たチャーリーのモノローグであるため、彼が知恵を失う過程は恐怖そのものであり、痛ましい。しかしそのチャーリーのすぐ隣にはいつも知恵遅れのチャーリーが寄り添っていて、チャーリーは本当の自分、知恵遅れの自分に、この命を帰さないといけないと思うようになる。夢を見ながら、自分は夢の世界の仮初めの、時限的な存在なのだということを確かに自覚していた。しかしそれは分かっていても、自分の存在の実感を手放すことは恐ろしいことだった。

 これは生と死の比喩とも言える。死ぬ時になって、自分が長い夢の主人公ような存在だったことに気付く。死を恐れ、そこから逃げたいと思う。しかし死んでみると一転して、気分は明るさと温かさに包まれ、生前のあの苦しみや痛みが遠い彼方にぼやけていく。これは#44『前世療法』#49『プルーフ・オブ・ヘブン』などで書かれていることでもある。
 ダニエル・キイスはこの物語を書きながら、ほとんど臨死体験したのだろうと思う。だからこの物語の結末は、知恵を得たチャーリーの悲痛な叫びで終わるのではなく、徐々に主役の座に戻っていく知恵遅れのチャーリーの安らぎで幕を閉じる。肉体は死んでも魂には死後の平安が待っていることを、この極端な物語の中でチャーリーは短期間の内に暗示している。

 ダニエル・キイスの底知れない幻視と表現の力に脱帽した。力強く、説得力があり、チャーリーが他の誰にも理解されることのない彼だけの悲しみ、怒り、孤独に突き進んでいく時、さながら光の傍らを同じ速度で併走する光のように、著者の目と言葉は追い駆けていく。そこに一切の無駄はないし誇張もない。ただそのままに見て、聞いて、書いている。
 読んでいる間、特に後半は辛かった。人によっては辛いまま、喪失感の内に読み終えるかもしれない。しかし私は最後に、良かった、チャーリーはこれで良かったのだ、と思い、知恵を得たチャーリーのために追悼し、元の知恵遅れに戻ったチャーリーの幸せを祈るために、しばし本を閉じて立ち止まった。

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