優しい嘘をつくなら、覚悟を持って
「俺は、あいつが無断欠勤したとは、思ってないぜ」
これは、私がアドバイザー的な立場で関わっている会社の経理部門のA部長が、彼の部下であるB君について、人事部の聞き取り調査に対して言い放った台詞である。
B君がある年の年末に、数日欠勤が続いているのを人事部が発見した。欠勤自体は珍しくはないが、繁忙期に連続して休んだことを不審に思ったという。B君は直属の上司であるA部長はおろか、同僚や先輩の誰にも欠勤の連絡を入れていなかった。これを無断欠勤と呼ばずして何と呼ぼう?
人事部は、普段一緒に仕事をしている私に相談する前に動き出していた。A部長がB君に連絡が取れないと白状した通り、人事からのメールも電話もB君に繋がらない。すぐに遠方に住む家族に連絡を入れ、両親が一人暮らしのB君のマンションに警察を伴って入った。B君はそこで不眠と食欲不振で衰弱した状態で発見され、すぐに救急搬送されたという。
私は、その後B君と面談を行った。うつ病などのメンタル疾患が疑われた。面談時にはすでに精神科医師による診察が行われ、その後も継続して見てもらえるということで、安堵した。最後に、メンタル疾患疑いの方には必ずする質問をした。
「休んでいる間、この世からいなくなりたいとは、考えませんでしたか?」
これは希死念慮と言って、自分の人生を終えることを考えたり反芻したりすることだ。その質問に当てはまると自殺のリスクが高かったことを意味する。B君は正直に「はい」と答えていた。
今回の騒動の原因としては、人間関係、過重労働、本人の性質など様々な要因があるが、悪化させた要因は、A部長が無断欠勤を放擲し、人事部にも知らせることなく、かといって、個人でも動くこともしなかったことにある。それなのに冒頭の台詞で、自分は部下を庇った英雄のような表情をしていたと、人事部の方は呆れていた。
彼が問題を隠蔽し嘘までついた帰結は、部下の生命を危険にさらし、会社を安全配慮義務違反に問われかねない事態へと陥れている事となった。なお、A部長は反省の色が全くなく、無能で無責任な善意は悪意よりも質が悪いことを思い知らされた。
この事件で、私は幼い頃に見たドラマのワンシーンを思い出した。善良な一般市民が、やむなく罪を犯す。しかし、権力者である将軍、奉行、国王などは「俺は何も見ていない」といって、罪人を見逃すのだ。
幼い時には、これを単純に美談でいつかやってみたいと思っていたが、世の中でこのようなことを実行するのは慎重にしなければならなければ、却って自体は悪くなる、今ではそう思う。ドラマは映画での「見逃し」は、その罪人の人生と社会の両方に責任を負える能力と覚悟があってこそ成立する話なのだ。将軍や奉行ならは腹を切る、国王ならばギロチンにかけられる、そういったリスクと引き換えの行動なのだ。管理職の真似事をしているだけの人が、ヒーローぶっても無様なだけだ。
人より給料を貰って、事務仕事ができるだけの人を私は管理職と呼ばない。部下のパフォーマンス、仕事への適正、集中力、業務量、メンタリティに気を配ってこその管理職だ。それができずに困ったならば、すぐに人事や上層部に相談を持ち掛け、問題をオープンにして知恵を借りるべきであった。A部長は残念ながら、狭い視野で事態を隠蔽し、自己陶酔に浸っていただけだった。
この事態の収拾がついた頃、この社内の別の部署でニュースが持ち上がった。壮健の男性社員が突然亡くなったのだ。問題は、死因を社内上層部の一部だけで保持し、社内には一切知らされていない事だった。社内では「自殺ではないか?」と噂が独り歩きし、動揺が出ている。それでも、何も発表しない。亡くなった社員のご家族の意向もあるだろうが、問題が生じて蓋をすることは悪手だと思う。
「問題が生じたら、できるだけ多くの人と問題を共有した方が会社も個人もダメージが少ない」とは私が常日頃アドバイスしている事である。これを、今回も実行してもらえなかったことに苦々しい思いでいる。しかし、問題の当事者には、そこから逃れたい想い、誰かを庇いたい気持ちで一杯なのだろう。そこに寄り添いながらも、長期的な視野に立つ大切さがいつか伝わることを祈るばかりである。