らしさ、らしくなさは明文化されていないことが多い。
山口さんは美意識の本でも「システムが追いつかない世の中では、明文化されたルールだけに頼らずに、自分なりの哲学や美意識を持つことが大切」と説かれてました。
「らしさ」を持った個人が集まり、会社の中でチームとして働く上で、ルールや規律と同じくらい(それ以上に)大切なのが「おたがいの価値観や判断基準を共有しあうこと」だと思っています。
(※最近CDDでもこのテーマで合宿をしました!詳細は後日アップ)
会社やチームにおける価値観の共有
明文化されたルールや仕組みを「形式知」、明文化されていない個人のもつスキルや価値観のことを「暗黙知」と言います。
組織が少人数のうちはなんとなく上手くいっていても、組織が大きくなるにつれてだんだんズレが生じてくる。そんな時に、多くの企業がいろんな方法で「ナレッジ化」の作業を行うと思います。
ナレッジ化というと、言語化やマニュアルの整備的なイメージが強いですが、その過程で暗黙知に存在したニュアンスや文脈が失われてしまうこともあります。また、マニュアルや規定などの表面上の形式知だけを頼りにすることで、その裏に暗黙知的にあった経緯や理由までに思考が及ばず、思考停止状態に陥る可能性もあります。
与え過ぎは奪う
わたしは以前、「塚田農場」という居酒屋を運営する会社で働いていたのですが、そこに「与え過ぎは奪う」という”暗黙知を大切にする形式知”(?)がありました。
ラウンドアバウトって知ってますか?
(出典:ラウンドアバウトは右側が優先!交差点のルールと注意点について)
↑こんな感じの、海外などでよく見る信号のない丸い交差点です。信号もなければ減速・一時停止・ウィンカーも必要なし。決められているルールは「右側優先」だけです。
一見めちゃくちゃ事故が起こりそうですが、細かいルールがないからこそ、注意を払ったり譲り合ったり「自ら考えて」運転するため、事故どころか渋滞すら解消してしまう…という魔法の交差点なのだそう。
上記の「与え過ぎは奪う」は、形式知というよりも、その裏にある暗黙知的な価値観や判断基準を共有するための”合言葉”でした。
価値観や判断基準は、ルールや仕組みと比べてワードだけでは形式知化しにくい部分だと思います。「与え過ぎは奪う」という合言葉は、ラウンドアバウトの他にもいろんなストーリーや事例・体験談を交えて、会議や研修の場で何度も何度も価値観を擦りあわせ、判断基準の共有を行い、組織の「らしさ」を培っていました。
らしさや価値観を共有する
暗黙知と形式知のナレッジマネジメントにおいて、一橋大学の野中郁次郎教授が提唱した「SECI(セキ)モデル」というものがあるそうです。
知識が、異なる知とくに暗黙知と形式知の社会的相互作用をつうじて創造されるという前提に基づけば、四つの知識変換モ ードが考えられる。
すなわち 、
( 1 )個人の暗黙知からグル ープの暗黙知を創造する 「共同化 」
( 2 )暗黙知から形式知を創造する 「表出化 」
( 3 )個別の形式知から体系的な形式知を創造する 「連結化 」
( 4 )形式知から暗黙知を創造する 「内面化 」
である。
(中略)組織的知識創造とは 、暗黙知と形式知が四つの知識変換のモ ードをつうじて 、絶え間なくダイナミックに相互循環するプロセスである 。(「知識創造企業」 野中郁次郎 竹内弘高 より)
この4象限をぐるぐるぐるぐると回して、組織としての知識を生み出していきましょう!というものです。
『知識創造企業』では、この4つのうち「共同化」「連結化」「内面化」はこれまでの組織の中でも論じられてきているが、「表出化」についてはあまり重視されてこなかった、と書かれています。
詳しくは別途で読書メモを書こうと思っているのですが、能力やスキルだけでなく、価値観や判断基準など「らしさ」を共有することが重要になってきている時代において、この「表出化」フェーズを慎重に大切に、おろそかにしてはいけないのかなと思ってます。
形式知と暗黙知をバランスよく使いこなしながら、コミュニケーションをとり続ける事が、良いチームづくりをしていくためには大切なのかなと思います。
余談:暗黙知領域が擦りあっていると酒が美味いんだ。