阿久根大島について
大石酒造の古いラベルにたびたび描かれる阿久根大島は、阿久根市新港にある渡船場からフェリーで約10分のところにある、環境省選定の快水浴場100選にも選ばれた美しい小島です。
海水浴場やキャンプ場、松林などがあり、100前後の野生鹿が生息していることでも知られています。
こちらのサイトからドローンで撮影した4K動画がご覧になれます。
トップの画像は、港から眺めた夕日と阿久根大島のシルエットです。
大石酒造創業時から続く代表銘柄「鶴見」の古いラベルには、このシルエットが度々描かれています。
上のラベル画像の中央下部分、波と鹿の間にあるものが阿久根大島のシルエットです。
阿久根大島の鹿について
現在の阿久根大島は、美しい砂浜や松林とともに、野生の鹿と触れ合える自然豊かな海水浴場として賑わっています。
阿久根大島の鹿は、万治年間(1658~1660年)時の薩摩藩藩主島津光久によって放たれたつがいの鹿が始まりとされています。
その後鹿は次第に繁殖して数百頭に達したとされますが、1978年(明治10年)西南の役(西南戦争)に阿久根港に碇泊した官軍のために捕獲されたり、開墾などの目的で農民が捕らえたりしたため、明治37年ごろにはすっかり跡を絶っていました。
大正10年には、当時の村長白浜八次郎の指揮の下、大島を一台公園として活用すべく、奈良の春日社の神鹿を払い下げ放ったこともありましたが、その後消失しました。
そのためやはり島には島育ちの鹿がいいのではということで、種子島の馬毛島から野生鹿を連れてきて、大正14年、15年の2回にわたって6つがい放育しました。
それらの鹿は順調に繁殖し、数百頭にまで増えました。
その後また、戦争のため数が20、30頭にまで減少しますが、戦後、地域の人々の手厚い保護活動により100頭前後まで繁殖します。現在元気な鹿たちと触れ合えるのは、そのようなたくさんの人の努力の賜物だと言えるでしょう。
昔から阿久根の人々にとって、この鹿はとても思い入れのある、まさに阿久根のシンボルであったことが伺えます。
「鶴見」五合瓶のラベルの絵柄は、昭和20年代の始めにこの絵柄が制作されて以来少しずつ変化しつつも今に至るまで同じ絵柄が受け継がれてきました。そのため、このラベルは復刻ラベルではなく昭和20年のころから続いてきた定番ラベルです。
代表銘柄「鶴見」五合瓶はこちらから
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