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バスキアと「視覚の政治学」(1)

"アートシーンがバスキアに対して行った作業は、バスキアの作品を、その背後の複雑さを「黒人的なもの」として単純化し、いわば「西欧中心的(ユーロセントリック)」で「白人=男性中心的」な美術史の内部に再編し、植民地化することだった"(『美術手帖No.735』毛利嘉孝)

1997年、すなわち22年前には、バスキア受容に対するこのような一種の警鐘がテキスト化され、『美術手帖』の特集の一番前に掲載されていた(因みに、この号には、端的に間違いだらけの論考も載っており、それがまた時代を感じさせる)。

2019年現在、当時はまだ大きな問題として議論の対象となっていた有色人種と白人という二項対立は、大きく変化したように思える。映画・音楽産業にはたくさんの黒人スターが活躍し、2009年にはアメリカ合衆国で初の黒人大統領が誕生した。もちろん、美術界における黒人アーティストの立ち位置も、当時と今とでは大きく変化している。バスキアの評価もまた、この間に大きく躍進した。日本で行われた最新の展覧会の図録には、こう書かれている。

"死後30年経過し、バスキアの作品はこれまでにない注目を浴びている。彼の作品は、作家の芸術実践や紛れもない美学にスポットを当てる美術史家の注目の的であるというだけでなく、芸術貿易とオークションで記録的な価格をたたき出してもいる。"(『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』ディーター・ブッフハート)

しかし、バスキア再評の機運の高まりに乗じて、このテキストにあるような「植民地化」の危険が、再び生じてきてはいないだろうか。今度は、”黒人的なもの”の単純化ではなく、複雑化という逆のプロセスを通して…。

1997年の『美術手帖』のバスキア特集号のテキストには、こう書かれている。

"「バスキアは本物ではない」「バスキアは詐欺師だった」…こうした評価は、バスキアの死後、あるアートシーンにおいて定着しつつあるようにさえみえる。"(『美術手帖No.735』毛利嘉孝)

このようなバスキア評は、今となってはまるで遠い昔のもののように思える。
この頃のバスキアの作品を取り巻いていた一般的な評価は、脱構築され、あるいは止揚され、もしくは完全に忘れ去られて、今ではすっかり変わった。それは、バスキアの作品が「正当に」評価されつつあるということであろうか。しかし、「正当」とは何のことか?かつてバスキアの作品に対して批判的だった美術界の潮流が、積極的にそれを自らの内側に取り入れ始めたということだろうか。

"バスキア没後、彼の芸術をこのように評価して美術史的に分析して位置づけしようとする研究は、すでに何度か試みられてきた。前述のホイットニー美術館のカタログでのリチャード・マーシャルの先駆的な論文に始まり、2005年のブルックリン美術館でのバスキア展のカタログでのマーク・メイヤーの論文がそれに続き、2014年に出版されたジョルダナ・ムーア・サジェーセがさらに詳細に論じた。"(『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』宮下規久朗)

マジョリティはマイノリティを取り入れながら拡大する。かつて疎外されていた被差別者は、いつのまにか気がつくと、しっかりと自分の椅子に座っている。あたかも、彼らのための席は、初めからそこに用意されていたかのように(そして、そこから漏れたマイノリティは、ますますマイノリティになっていく)。

バスキアはついに理解された。彼の作品は、美術界に己のあるべき居場所を与えられたのだ、ということだろうか。バスキアのファンである我々は、それを知って喜ぶべきだろうか。
わたしの目には、バスキアの作品は、初めて目にし、そして一目惚れしたときから、何も変わっていないように見える。バスキアの作品は、美術批評家のベル・フックスの言う「視覚の政治学」において、勝利を収めたのだ。しかし、それは決してバスキア自身の勝利ではない。彼は作品を制作し、この世から立ち去った。バスキアの作品が獲得した「政治」的な勝利は、どうやら彼の作品に関わる別の人間の勝利のようである。
1996年に制作・公開された映画『バスキア』は、彼の生涯の最期が惨めなものだったことを、相も変わらず伝え続けている(バスキアと同時代を生きたジュリアン・シュナーベルによるこの映画もまた、やはり「視覚の政治学」を背景に持っている。自らの過去の盟友を肥やしに使ったこの映画で監督デビューを果たしたシュナーベルは、この約10年後、カンヌ映画祭で監督賞を受賞している。わたしたち鑑賞者は、何を基準に作品を見れば良いのか)。

"知性は利害的関心[情念]を反射させる[反省する(reflection)]"(ジル・ドゥルーズ 『経験論と主体性』)

バスキアの作品には様々な意味が、様々なメッセージが表現されている、と批評家たちは言う。本当か?

"バスキアのあらゆる言葉とイメージが、無数のことを暗示し、重なり合い、繰り返され、あるいは孤立し、混乱すると同時に一つのものになるのが明らかになるのである"(リチャード・D・マーシャル『ジャン=ミシェル・バスキアの絵画』)

わたしの目にはむしろ、バスキアの作品は、意味やメッセージを拒絶しているように見える。いや、彼の内側に、そういったものに似た何かがあったことは確かだろう。彼は誰もがそうであるように不完全な人間で、また、白人だらけの美術界に単身乗り込んだ黒人アーティストという難しい立場でもあり、その上薬物に溺れていた。彼の残した痕跡から彼の苦痛の声を聞き取るのは容易い。そこには、彼の無意識的な抵抗が、彼の身体に行き渡る血が、彼の作品を超越論的に導いている何かが、見出され得るだろう。しかし、わたしには、彼の作品を見る限り、それらはどれも、意味にもメッセージにも至らない、曖昧な印象(impression)を、わずかばかり投げかけているだけに思える。
バスキアの描いたものは、どれも明確な形相(エイドス/eidos)を持っていない。これは、彼の作品が抽象的だという意味ではない。むしろ、彼の作品は全く抽象的ではないのだ。抽象は、具象の後にあるものだが、彼の作品は具象に先立っている。可能態(デュナミス/dunamis)が、まだ言葉を知らぬ幼児が物を捉えるように、キャンパスの上に書き殴られている。それが彼の作品だ。彼の描く線は、形相を表象=再現前化するための同一性を前提していない。
そのことは、彼の描いた人物を見れば一目瞭然ではなかろうか。マイルス・デイヴィスを、アンディ・ウォーホルを、スーパーマンを、ザ・フラッシュを見れば。彼らは本当にあんな顔をしているのだろうか。あれは、マイルスであって、マイルスではない。ウォーホルであって、ウォーホルではない。バスキアはある特定の固有的な人物を描きながら、同時にその人物を描いていない。彼らは、彼らの名前を持つ自己同一的な人物の手前で止まっている。強いて言うならば、あれはマイルスではなくマイルスの絵なのだ。すなわち、バスキアの受け取ったマイルスの印象(impression)の写しなのである。それは、決してマイルスであることはなく、他の人物も同様である。バスキアがキャンパスに描く言葉もまたそうだ。それらは共時的な価値の世界を自由に出入りし、通時性の波をサーフィンする。彼の「描く」言葉は、ブラジル人ファイターがこめかみに刺青する漢字のようであり、また、寝起きの大学生のツイッターの呟きのようでもある。子供たちが喋れもしない外国語を真似するようなものだ。

"バスキアの画面に記された大量の文字は意味をもたらすシニフィエだけでなく、シニフィアンのままとどまっており、図や記号と同じように画面の構成要素となっている。""(『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』宮下規久朗)

この評はある程度は的を射ている。シニフィエとシニフィアンの分離。形骸として配置されるシニフィアン。バスキアにおいては、シニフィエとシニフィアンの一致そのものが、そもそも前提されていないのだ。

"画面のほとんどは、こうした主題や物語性(ナラティブ)、つまり統一的な意味や明確なメッセージを発するものではなく、個々の言葉や記号もいわばシンボル以前のシンボルに留まっており、複数の主題や意味を重層的に提示するものであった"(同上)

"シンボル以前のシンボル"。ラカンであれば、象徴界に対立する想像界の言語、と言うだろうか。
しかし、バスキアの言語は、意味の重層性を構築するというよりは、反省される以前の印象がただ谺し、多重に共鳴すると同時に、シニフィアンの交わらぬ個体性を保持しながら、キャンバスに描き殴られている。それは、描き込まれる前から、バラバラに切り離(cut-up)されている。
シニフィエとシニフィアンは、「初めから」自由そのものであり、「何にでもなれる」。他ならぬバスキア自身が、この言語の現実的な実践者であった。グラフィティアーティストから美術界のスーパースターに。黒人から白人に。
ウィリアム・バロウズの言語実験を、バスキアは公用語の一つのように使ってみせる。(※1)

バスキアの作品には意味がない。彼は決して思考せず、また、いかにして思考せずに済ますかについて思考する。彼は意味を排除するのではない。意味と対象の同一性は、彼の作品では初めから実を結ばないのだ。
バスキアは、意味の場(field of sense)が開くことを拒む。
それゆえに彼は、ただ一度の反省(reflection)のみをキャンバスに描く。彼は、何度も反復(repetition)しない。反省は内的に行われるのではなく、キャンバスに向かうときに初めて行われる。決して二度目はない。彼が上塗りするときには、全く新しい印象が、その前の印象を塗り替えてしまう。

そのことについて、ちょっと考えてみよう。
バスキアという画家は、幾つもの側面を持っており、わたしが論じた部分がすべてではないことは認めよう。彼はときに具象的であり、またときに抽象的であったことを認めよう。彼はときとして盛りのついた男根中心主義者のように、またときとして年老いてすべてを悟った賢者のように制作したであろうことを認めよう。
彼はときに自作が持つであろう意味に自覚的だったし、また非常に打算的でもあった。しかし、わたしはバスキアという画家を、わたしが愛した画家として表象したい、表象=再現前化し続けたい。バスキアという画家は31年前に死に、もうこの世にはいない。これは、わたしの「視覚の政治学」の問題である。


1

バスキアの作品の意味(sense)を考えることに意義はあるだろうか。換言するならば、バスキアの作品の印象(impression)を、何らかの意味を持つ表現(expression)として読解することで、両者を区別する「意味の場(field of sense)」を見出すことは、本当にできるのだろうか。
多くの研究者が彼の作品の意味の読解に躍起になる一方で、バスキアの活動期間の早くから彼を評価していた評論家のジェフリー・ダイチは、バスキアの作品をこう説明する。

"鑑賞者の文化的な背景やアートの知識の有無にかかわらず人々を惹きつける"

"バスキアは余計なフィルターを通さずに自分の中にあるものを直接画布や紙に出せるよう、自らをトレーニングしたアーティストだった"(『pen』No.482)

ここでのダイチのバスキア評は、他の多くの批評家のそれと対立しているようにも思える。
周知の通り、バスキアの作品は、表現主義(expressionism)の流れを汲む新表現主義(neo-expressionism)の代表格として位置付けられている。芸術史において、表現主義(expressionism)は、印象派(impressionism)と対立するものとして登場した。しかし、それに反し、バスキアの作品の表現(expression)は、印象(impression)の集積によって出来ているように思われる。ダイチはそのことを言おうとしているのだ。

"バスキアの活動期間は、ヒップホップが誕生し進化した時期と重なっている。バスキア自身もミュージシャンとして活動したし、異なる要素をサンプリングし、ミックスする手法を絵画でも用いた"

"解剖学の本、レオナルド・ダ・ヴィンチら巨匠の画集など、何度も繰り返し見て自分のものにしてしまう"(同上)

バスキアの表現においては、印象(impression)と表現(expression)は対立していない。バスキアの表現(expression)は、印象(impression)と不可分なのだ。それゆえ、バスキアの作品はダイチに「分類できない」という感想を抱かせたのである。

印象(impression)という用語は、イギリス経験論の代表者であるディヴィット・ヒュームの哲学において重要な意味を持つ。ヒュームは、印象を、全ての意識、精神的なるものの始原であると考えた。ヒュームによれば、人間の精神活動は、すべて印象から始まる。

"きわめて勢いよく、激しく入り込む知覚を印象と名づけてもさしつかえなかろう。そして私は、心に初めて現れるときの感覚、情念、感動のすべてをこの名称で包括することにする"(D・ヒューム『人性論』)

人間の精神のすべては印象から始まり、どのような意識であっても遡ればいずれこの印象に辿りつく。しかし、人間の精神はそれに留まるわけではない。精神には印象の他に、その写しとしての観念(idea)がある。

"また、観念という言葉で、思考や推論の際の勢いのないこれらの心象を示すことにする。たとえばこの論文を読んでひき起こされる知覚は、見ることと触れることから生じるものだけは別として、またあるいは呼び起こされるかもしれぬ直接的な快、不快は別として、あとはすべてそうした観念なのである。"(同上)

観念は、所与としての印象の(正確な、または不正確な)写しとして、偶然的なものである。したがって、観念もまた所与である。しかし、観念は反射の際に、必ず知覚者の情念を連れ帰る。一見、鏡の単純な反射のようである観念は、その実、印象と同じではない。人は大抵、己が保持している観念と印象の同一性を信じ、他者が保持する観念もまたそれと同じものとして対話を行う。しかし、実際には、それは両者互いに別々のものについて語り合っているのである。「何が好きか」あるいは「何が嫌いか」について語るとき、人はこの"観念(idea)"について語っている。喩えるならば、精神の鏡には、いつも色味がついているのである。
情念は、印象を知覚した人間が、色のついた観念をいかに配置するかを指示する。すなわち、それは一般に知性と呼ばれるものへと変容する。

"知性の理論は、その問題の起源として、情念を想定している。人間がさまざまな情念を有するがゆえに、人間は諸観念を連合するのだ。"(ジル・ドゥルーズ/アンドレ・クレソン『ヒューム』)

"ヒューム自身はわたしたちに次のように語っているー知性の真の意味は、まさしく情念を社交的なものにし、利害的関心を社会的なものにするところにある、と。"(『経験論と主体性』ジル・ドゥルーズ )

情念。この色味が、人間の志向性を決定している。要するに、観念(idea)は必ず情念によって染められているのである。人は、印象に色を塗ることによって、観念を描くのだ。これはまさに、絵画の起源のさらにその前の起源と言えるだろう。

何かを語るとき、何かを表現(expression)するときに、人がこういった傾向を持つことは、よく「フィルターを通す」と喩えられる。上のジェフリー・ダイチのように。

活動初期からバスキアの制作を見守っていたダイチの目に、バスキアの作品制作は「フィルターを通さない」ことを信条としているように映っていた。これは、ダイチの素直な感想だろう。しかし、それは言葉で言うほど簡単なことではない。なぜなら、フィルターを通すまいとする意思そのものが、フィルターとして作用するからだ。これは、ニーチェが行なった(そして、狂気に陥った)思考実験と同じではないか。
ヒュームの論説に従うならば、「フィルターを通さない」ことは不可能である。印象から観念への変容は、段階的に明確な区別があるわけではない。なぜなら、人間が印象を受容できるのは、それが己に反射する(reflect/仏réfléchir)からであり、それは反省(reflection/仏réflexion)の作用と区別できない。印象から観念へと至る意識は、ひとつなぎに持続(duration )している。印象は即観念へと変容するのだ。

ダイチの言う、「自分の中にあるもの」とは、もちろん観念のことである。バスキアももちろんこの観念を描く画家だった。
「フィルターを通さない」ことが不可能であり、観念を描くことが、すべての画家に共通することであるとしたら、ダイチによるバスキア評は、バスキアが凡庸な制作過程を持つ画家であったことを伝えているに過ぎない。ヒュームの言う通り、己が刺激として受け取るものがすべて「印象」で、己の中に保持するものがすべて観念であるならば、それ以外に何を描けるというのだろうか。

しかし、実際には、画家の描くものは、己の観念、己の企み、そして制作のプロセスが渾然一体となっており、観念が直接画布や紙に描かれることはない。例えば、アクションペインティングであれば、画布に描かれたものは画家の企みと制作のプロセスがその要素の大半を占めるだろう。
もしくは、シュルレアリスム。"理性による一切の統制を取り除き、美学的または道徳的などんな気遣いからも離れた思考の口述筆記。"、"観念の人工的な配列、危険予防の手摺、これらすべてに充てられた時間よ、さらばだ!"(アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』)と宣言したはずのシュルレアリストたちであっても、その作品は企みとプロセスに多くの場所を割いていた。彼らの多くは、普遍的と考えられる人間科学にコミットしており、彼らのオリジナリティといえば、単にその配列を奇妙に組み替えることだけだった。

バスキアは、印象を出来る限りそれを受けたそのままの形で保持する。それは観念であるが、しかし、変容することは許されない。彼の観念(idea)は印象(impression)のままで持続(duration)する。それは、西洋哲学がイデアと呼んできたものに至らないのだ。
画家としてのバスキアは、ただ印象を刻印されるだけの可塑的な基体であり、観念を連合し、想像する主体ではなかった。そして、彼は決して普遍性にコミットしない。すなわち、彼の絵画は存在論を持たないのである。

印象派(impressionism)と呼ばれた一連の芸術運動家たちの作品は、西洋的な美的感覚に貫かれていた。その美的感覚には、理想的な形相(エイドス/eidos)を知覚することが含まれていたように思える。それは明確に理性的な営みであり、徹頭徹尾、西洋的な存在論の基盤の上に立っている。それもまたやはり、バスキアのそれとは明らかに異なるのである。

※1=バスキアはウィリアム・バロウズに対し、崇拝に近い感情を抱いていたと言われている。バスキアに限らず、多くの同時代人にとってバロウズはそういった存在だった。バロウズのインタビューから、カット・アップについて言及した部分を下に抜粋する。
"どんな物語の一節でも、いくつかの変形が可能です。その全てが、それ自身の立場で興味深く、妥当なものなのです。カット・アップされ、アレンジしなおされたランボーの一ページは、まったく新しいイメージを与えるでしょう。それはランボーのイメージ、リアルなランボーのイメージです。けれども、これまでにはなかったものとなるでしょう"
"あれか–これかという思考は、まったくもって的確な思考ではないのです。それは物事が生起する仕方ではないし、私はアリストテレス的構築は西洋文明の大きな構築の一つだと感じています。カット・アップはこれを取り壊そうとする一つの運動なのです。(『フィクションの未来像/バロウズ・インタビュー』銀星倶楽部07所収)



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