伝える事の大切さ
2024年12月24日(火曜)
つまりクリスマスイヴにnoteを更新するという、暇人の呟きにお付き合いくださる皆様に御礼申し上げます。
ビジネス英語
少し毒を吐く感じになるのだけど、私は常日頃からビジネス英語を使う人たちに嫌悪感というか、危うさを感じている。
アジェンダだのアサインだのリソースだの…
まぁこういうビジネスシーンで使われる単語は次から次へと生まれていく。
グローバルに…だとかなんとか言うが、わかりにくいったらない。
そもそもグローバルを語るなら全て英語で話すべきだし、そもそも日本のビジネス英語は海外で通用するのかと言えば、甚だ胡散臭い。
確かに「やってる感」はある。洗練された感もあるだろうし、恐らく大半はそう言う感覚に酔ってるのではないかと私は感じる。
少なくとも賢い判断ではないなと思うのだ。
なぜなら、人によってはちゃんと理解できてない場合もあるからだ。会議などの場で最も大切なことは、参加者全員が正確に共有できるかどうかである。
日本語が公用語の場で、全ての人が認識してないかも知れない危うさを孕む言葉を使うのはデメリットしかないと思うのだ。
会社というチームで内容をしっかり共有できない危険を負ってまで使うべきではないと思う。
知ってて当然でしょ?というのはあくまで人それぞれの主観的判断であり、ルールではない。
ルールではない以上「知ってるという前提」で進めるのは暴論である。
母の気持ち
先日、我が子が参加しているバスケットボールのクラブチームで事件が起こった。
練習も皆勤で出席しており、その努力する姿勢は誰が見てもわかる子がいた。
しかしながらスポーツの世界のこと。いかんせんやはり努力=能力とはならず、スタメンには選ばれていない。
バスケットボールの4クォーター(6分×4クォーター)のうち、2回出られるかどうかという位置に甘んじていた。
過日、県大会での試合にその子は1クォーターしか出してもらえなかったのだが、それに憤慨した親御さんが監督に噛み付いた。
「うちの子はこんなに努力して、練習も休まずに参加してるのにおかしい!」
思わず漏れてしまった言葉なのだろう。
ただ、それを見ていた他の父兄の目は冷ややかだった。
クラブチームというのは「勝つこと」を目標にしている。
全員が楽しくバスケットボールに親しむ事が目的ではないと、他の父兄は思っているからだ。
監督はその場その場で勝つための選択をし、結果、1クォーターしかその子を参加させなかった。
これに対して「努力してるのに!」と物申すのは筋が違うと全員が思ったはずだ。
それはその通りだと私も思ったのだが、大切なのはここからだ。
あとから、その親御さんがいない場で父兄が「発言」について「あれはないわ」などと、まぁ中傷というか悪口というか…そんな感じになった。
子供が聞こえる場で。
それはいけない。子供達の間で必ずそれは広まり、結果としてチームの空気は100%悪くなるからだ。
伝わるのだ。
だから「お気持ちはとてもわかります。ただ、そのことを皆で共有したり、子どもに聞こえる場で話す理由はないと理解してほしい」と伝えた。
「一人一人が思うことは自由だけど、あの方のやったこと全てが間違いではないです。単に勝つという観点から見ると間違いであったというだけです。」
「子どもの立場から見れば、自分の親は私のために怒ってくれた、私の努力を肯定してくれたと必ず思います。人の育成や親子関係としては良い判断でもあります。」
伝える事というのはとても大切で、しかしとても難しい事だと私は思っている。
見る立場、言う立場が変われば善悪がガラッと変わってしまう事も多々あるのだから。
私自身、これまで沢山失敗したし、誤解もしてきた。
今もっても、まだまだダメだなと毎日のように思うのだ。
伝える事の大切さを一緒に考えていきたいものです。