24回目の献杯
5月25日 土曜日。
夜明けは日に日に早くなり、夜7時でも薄明るくなってきた。
昼間は太陽がジリっと照りつけてきて、耳をすませば蝉の声が聴こえてきそうなこの頃。
「ちょっとは人見知りしたらどう?」
身内にそんな風に言われてしまう私は、いつでも何処でも人に声をかける事に躊躇がない。
今でも仕事柄、多くの人の前で講義をすることがあるが緊張のカケラもない。
はたから見れば、コミュニケーションの塊のように見えるらしいのだが、実は違う。
心の奥の本音の部分を完全に開放できる人は本当に少ない。
物心ついてから、悩んだり迷った時も誰にも相談しないできた。進学はもとより結婚や離婚、家の購入についても一度たりとて人に相談した事がない。
ただ唯一、親友の一人を除いては。
性格も行動もまるで真反対の人間だったが、何故かウマがあった。私は落ちこぼれの陽キャ、彼は文武両道の人見知り。
唯一、女性の好みだけはピッタリだった(笑)
自分が友達の前で涙を見せたのは後にも先にも彼の前だけだ。
ずっと共に老いてゆくのだと思っていたが、24年前に彼は病に倒れ夭逝してしまった。
弔辞を読む時も出棺の時も、現実感がなく霧の中のような気持ちだった。
火葬場の蓋が閉められて炎が点火する音が聞こえた時、もう会えないのだと痛いほど実感し、腰から砕けて泣き崩れてしまった。
もう5年か… もう10年か… 今年は13回忌か…
そんな事を毎年思い、気がつけば24年経っていた。
親御さんや兄弟、ご家族の方々の悲しみとは次元が違うのだろうが、やはり今でも思い出すと寂しくなる。
冗談のつもりで言ったのだろうが、彼の最期の言葉
「お前と友達になれたのは誇りだ」
それは今でもズルいほど胸を締め付ける。
そんな言葉を遺して去るのはやっぱりズルい。
毎年毎年、その事を思いだしては「馬鹿たれがよ…」と思うのである。
彼も私も酒を飲まないので日本酒で…とはいかないが、彼の好きだった激甘のジョージア「café au lait」で献杯。
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