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キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる(佐々木俊尚著) - 徹底的な読書レビュー

キュレーションの時代: キュレーターがインフルエンサーとしてネット配信を動かす時代が、さらに加速する転換点が再びおとずれる理由とは?

インターネットとソーシャルメディアの登場で、情報の流通は大きく変貌しました。特に、ソーシャルメディアとスマホの登場は、情報と人のつながりをそれまでのマスメディアからの大移動として受け入れました。この大転換の中で、「キュレーター」と呼ばれる人たちが重要な役割を果たすようになりました。

本書では、キュレーターの登場によって変わり始めようとしていた時代の転換期について深く掘り下げています。その背景とは、そして実際に起こった大転換とは一体どのようなものだったのでしょうか?

2010年の作品ですが、その10年後である現在の姿を見事に予想していました。当時の状況と、その後からの結果的な動向を振り返り、そこから見えてくる今後のインターネット上の情報配信について深く掘り下げていきます。

キュレーションの時代: その概要

佐々木俊尚氏は、本書「キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる」で2010年に、キュレーターという役割のコンセプトを日本にはじめて紹介しました。これは、これまでの日本のメディアの歴史の問題点や当時起こりつつあった変革の登場を予告したものとして、衝撃的な影響力を及ぼす話題作となるものでした。その後、まとめサイトやキュレーションが流行となりました。

2000年代に世界中でソーシャルメディアが急速に普及する中、「コンテンツが王の時代は終わった」と言われました。そこに登場したのがキュレーターという役割です。これは爆発する情報の大海から、自分だけが持つ世界観に沿った意味を持つコンテンツを選別して意味をを付与することによって、新たな価値を生み出すという存在です。

もともとは博物館のイベントなどを企画する役割の意味で使われていましたが、ウェブコンテンツを選別して情報というものの価値を180度転回させる、画期的なパラダイムの転換として注目されたのです。

本書が出版された2010年当時、大きな転換期にあったのは確かです。その直前にはスマホやタブレットが登場し、Facebookやツイッターなどのソーシャルメディアが登場しました。また、この直後にはディープラーニング(深層学習)にブレイクスルーが起こり、 ビックデータの解析などで情報の流れは大きく変わっていきます。

佐々木氏は、本書で新しい生態系の誕生を見事に解説しました。そしてキュレーターと言う新しい役割が、情報流通の未来を変えていくと予言をしました。そして、10年後には全てが変化していて メディア広告の店私たち消費者の、全く違う新世界の風景の中で暮らしているとしていました。

そして今、その10年後を迎えました。一体その現時点での状況はどうなっているのか、そしてその先の10年とはどうなるのかを展望したいと思います。

キュレーションの時代: そのメッセージとは

インターネットとソーシャルメディアの登場で情報量が爆発した中、無数の情報生態系が生まれた。それらに接続しユニークな世界観を提供するのがキュレーターという人たち。そして彼らにチェックインして情報を得るフォロワーたち。この全く新しいキュレーターと言う役割が情報の流通を大きく変えていく。

佐々木俊尚: 筆者について

ジャーナリスト・作家。早稲田大学 政治経済学部政治学科中退後、毎日新聞社に入社し警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。小渕恵三内閣発足の日、自民党の大講堂で取材中に右耳が聞こえなくなり、脳腫瘍と診察される。退院後、張り詰めていた糸が切れたようになり、退職を決める。その後、株式会社アスキーの月刊アスキーの編集デスクやASCII24編集を経てフリーランスとなる。『電子書籍の衝撃 -本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』で2010年度大川出版賞を受賞した。著書多数。

誰がこの本を読むべきか(ターゲット層)

  • キュレーターとしての役割の真髄を学び、ソーシャルメディアでフォロワーの関係を再構築あるいは強化したいと考えている人

  • 自分自身の世界観を持ち、それを常に発展させていこうとするコンテンツ・クリエーター

  • 音楽、芸術、広告、映画、出版などのメディアとテクノロジーの進歩の関係における歴史的変遷を展望したい読者、など

キュレターの時代: なぜ、この本を読むべきか、そのメリット、その理由は?

キュレーションという言葉は単にウェブコンテンツをトピックや問題解決方法などの目的のために「まとめ」ることと勘違いしている人が多いようです。しかし、キュレーションの意味を本当に理解すれば、ウェブから自分が今必要としている情報を得るだけではなく、これまで自分が思いもよらなかったような、全く新しい発見や視点を得ることができます。

また、ウェブに自分のコンテンツを発信しようとするとき、本書が指摘するインターネットやソーシャルメディア上に無数に生まれてきた生態系とのつながり方を理解し、キュレーターとしての役割とフォロワーとしての情報吸収の新しい関係性が見えてきます。ここから、これまでとは全く違った「つながり」を拡大していくことができます。

キュレーションの時代 読書レビュー: 本書の重要なコンセプトと構成

本書はまず、「作る人」と「見いだす人」という観点から始まります。その例として、黒人画家のジョセフ・ヨアキムとシカゴ大学でカフェを経営していたジョン・ホップグッドの関係が取り上げられます。

ホップグッドは、ある時、古びたアパートの前を通りかかった時に当時全くの無名の画家であったヨアキムの作品が窓の外に洗濯バサミで吊り下げられているのを見て、「これは大変な発見をしたかもしれない」と感じました。

その作品に、「プレコロンビアン」と呼ばれる芸術性に似た要素があると感じたからです。彼は、すぐにヨセアムの作品22点を購入して持ち帰りました。そして彼のカフェで個展を開くと次々と作品が売れていきました。

その後、ヨアキムはわずか10年ほどの短い間に2,000点もの作品を残し、ニューヨークの著名美術館であるホイットニー美術館で遺作展が開催されるまでになりました。気がつけば、圧倒的な名声を誇る芸術家として歴史に名を残すまでになっていました。

第一章 無数のビオトープが生まれている

そしてもう一つは、ブラジル生まれの先鋭的な音楽家エグベルト・ジスモンチと日本のフリー音楽プロモーターの田村直子さんの関係です。

ジスモンチは超絶テクニックの深遠な音楽性で根強いファン層を持つミュージシャンですが、ブラジル帰国後は積極的な活動から離れていました。あるとき活動の再開を聞きつけた田村さんが「日本にジスモンチを呼べないかな」と考えます。まだ駆け出しだった田村さんですが、ジスモンチが行ったカナダでのコンサートに出向きます。そして本人の人間性を確認してから日本で講演できないか交渉を始めます。

2007年に講演が決まるのですが、それからが大変です。なぜならば音楽プロモーターとしてチケットを販売し成功させなければならないからです。ジスモンチが最後に日本で講演をしたのは1991年、チケットをどの客層に 売り込んでいけば良いのか試行錯誤の連続でした。日系ブラジル人いや日本在住のブラジル人が見込み客とは限りません。昔ならば、単なる国民性と言うだけで、音楽の嗜好が決まらないからです。

当時の田村さんはプロモーターとしてはまだ駆け出しで、プロモーションに費用をかけることはできません。コツコツとジスモンチのコンサートに駆けつけてくれるであろう、潜在的な顧客を探し当てる必要がありました。まず、コンサート会場の規模を集められるであろう客の数を推定することから始めます。同じようなブラジル人アーティストの客層から手繰り寄せていきます。

また、ジスモンチは多弦ギターの高度な演奏者であことから、ギターファン層をギター雑誌やクラシックギターの専門楽器店に求めます。客層は40代から60代の比較的高所得者層などなど…。そういった場所にチラシで探りを入れ、ネット上にメール登録用のWebページを設置して登録者を少しずつ増やしていきます。

こうして、2007年8月のコンサートでは、二会場で1200人以上を集める盛況なものとなり大成功しました。

このように「圏域」は小さいけれども、「情報流通は濃密」というコミュニティの関係性は、インターネットでは高い親和性を持ちます。SNSのコミュニティには数千人単位の濃密なファンが控えています。彼女は、このような小さな水源をたどっていき、ついに鉱脈を探り当てます。チケットは、まず第一回目の700人が即日完売。追加講演の販売もすぐに完売するという人気でした。

これらは、小さな成功のように思えるかもしれません。ビッグビジネスではないのは確かです。しかし、これは本書の出版当時以前から起こっている情報流通の大きな変革の本質を代表するような出来事であったと佐々木氏は言うのです。

佐々木氏は、「情報を求める人が存在している場所」をビオトープと呼んでいます。この言葉は「生物」が生息する「場所」という意味です。インターネットの登場以来、爆発的に増え続ける情報量によって、この生息場所はすっかり拡散してしまいました。

爆発的に増え続けるビオトープ

必要とされる情報をどのように探し当てていくのか、リーチしたい顧客層や対話の相手とどうつながっていくのか、それまでの常識が全く通用しない世界が登場していたのです。その中で、このような人たちは、全くの無名な芸術家を見出して芸術界の本流へ紹介していくのです。

あるいは、全く別の国のミュージシャンを日本国内の奥深くの場所に生存している濃密なファン素を見つけてつなげていく。こういった役割がインターネット上に登場してきたと言う、これが本書の「キュレーター」とは何なのかを解説するのが目的です。

第二章 背伸び記号消費の終焉

90年代から2000年代にかけて、音楽と映画の世界は驚くほどにシンクロしながらコンテンツバブルを引き起こし、その後衰退していきます。これは出版も同様です。技術革新で紙の本の印刷は大幅にバブル的に増加しますが、2000年頃を境にインターネットのコンテンツ配信に読者を奪われていくことになります。

この結果、出版業界の売上は右肩下がりとなり、それがつい数年前まで継続していました。これが、 2020年頃を境にマンガを代表する電子書籍やメディアミックスで、 デジタルコンテンツとして息を吹き返してきています。

佐々木氏は、インターネットの登場によりコンテンツはますますアンビエント化しているといいます。このアンビエント化とは、音楽、動画、書籍などのコンテンツが全てオープンに流動化し、いつでもどこでも手に入るような形であたり一面にただよっている状態のことを指します。テクノロジーの進化によって、コンテンツが徐々にアンビエントへと進んでいきます。

アンビエント化する環境では、情報の流通ばかりでなく、我々の消費の形態も大きく変容していきます。その代表的な例が記号消費の消滅です。

記号消費というのは、商品そのものではなく、商品が持っている社会的価値(記号)を消費するということです。例えば、メルセデス・ベンツなどの高級車には「高い車に乗っているセレブ」という社会的な意味が加えられています。またベンツを買う人の多くは、車としてのベンツを買い求めているのではなく、社会的ステータスとしてのベンツを購入するのです。

これまではマスメディアを利用した画一的な大量販売と大量消費が主流でした。「他の人も買っているみたいだから自分も買っておかなきゃ」という、自分もミドルクラスに含まれるためという背伸び的な記号消費です。

しかしその消費社会は、90年代に終焉を迎えます。90年代後半以降、右肩上がりの成長は終わりを告げました。消費が自分と社会的ステータスや関係性の確認のためのツールであるとすれば、アンビエント化によって消費が承認と接続の表象としての形が大きく変わっていきました。

ここに存在するのは、消費が与えてくれる社会的ステータスの承認と帰属という社会的表象です。そこにあるのは「共鳴」と「共感」というつながりの存在です。

その承認と接続は、お互いが共鳴できるという土台があってこそ成り立ちます。この「共鳴できる」「共感できる」という土台こそが、実はコンテキストに他なりません。消費する対象としての商品や情報やサービス。そうした消費を取り巻くコンテキスト。

これが、「クラウド」や「シェア」といったものに代表されるテクノロジーの進化により、シンプルな「機能消費」と新しい「つながり消費」へと変化していきます。

これまでのマスメディアのあおり的な宣伝広告による大量消費から、つながりによる消費へと移行しているのです。

第三章「視座にチェックインする」という新たなパラダイム

視座にチェックインするというパラダイム

佐々木氏は、本書の出版当時に、情報の流通が歴史的な転換点を迎えていたと述べています。そしてそこには、これまでにはなかった全く新しい「行い」がありました。

この章で佐々木氏は、どのように消費者や情報の収集者が目的とする「モノ」や「情報」に「つながって」いくのかという観点を展開していきます。

ここでのポイントは、「チェックインする」というコンセプトです。

佐々木氏は、フォースクエアという場所とコミュミニティをつなげるソーシャルメディアを紹介しています。このサイトでは、地図と連携してある場所にいることを「チェックイン」で自分から意思表示して、自ら公開していくことができます。

この「場所」とは実際のお店や施設と連携していて、その場所の評価や口コミ、「おすすめ情報」となってあたかも自分自身のガイドブックのようにコミュニティに広めることができます。これにより、「場所」と「情報」を結びつけることになります。その結びつきによって、個人と個人の間に新たな回路が開きます。そしてそこにエンゲージメントが形成されていきます。

その機能を利用するためには「チェックイン」という「行い」が必要になります。 チェックインすることにより、「場所」「情報」「人(フォロワー)」がつながることができるのです。

ここから佐々木氏は、さらに二組の対象的なコンセプトを紹介していきます。まず第一は、「視点」と「視座」です。もう一つは、「暗黙」と「明示」というものです。

視点と視座という考え方

佐々木氏は、 チェックインとは情報収集するとき、インターネットにあふれかえる情報の大海にブイを指すようなものだ、と言います。ここを基点として、例えばキーワード検索のように関連する情報を集めていく。しかし、このアプローチには、「視点が固定されてしまう」という弱点があります。

自分自身の発想からスタートして、検索エンジンや関連情報をたどっていくには限界があります。これがタコツボ化です。自分とは全く別の価値観と視点からみた世界観と景色はどのようなものかを知ることができないのです。

例えば、検索キーワードという視点から見た世界は、その検索キーワードの周囲をぐるぐると回るだけで、その外側に広がっている世界を表してくれません。そこには、「タコツボ化」という危険性が潜んでいるのです。

これに対して佐々木氏は、「視座」と言う考え方を提唱しています。

これは、別の人の世界観と視点から物事を見ると言う枠組みのことです。英語で言えば、パースペクティブ。

佐々木氏は、これを「マルコビッチの穴」という映画の主人公の頭の中に入って、その人物の頭の中と目を通して世の中を15分だけのぞき見ることができるというストーリーで例えています。

信頼のできる人の目を通して見ることで、全く自分が知らない、経験のしたことのない世界、考え方や人々とのつながりがその先に広がっている。そして、その人の考え方をのぞき見ることができる。これは、その人の書いた本やブログ記事など、何年ものタイムラインを一気に見渡すことができる、自分自身の視野を拡大していくもう一つの方法と言えます。

また、自分自身の世界観との違いが必ず発生していきます。そこには少なからずのノイズ(「ズレ」)をもたらします。佐々木氏は、そこから宝物を発見するようなセレンディピティが起こると言います。

セレンディピティというのは「偶然幸運とぶつかる力」という意味の英単語で、ネット世界では「自分が探していたわけではないけれども、すごく良い情報を偶然見つけてしまう」というようなニュアンスで使われています。セレンディピティの反対語が「タコツボ化」です。

このように明示的に自分自身からチェックイン(フォローする)という積極的な参加をすることにより、ライフログのようなプライバシー問題を回避しながら、フィルタリングの労力を大幅に下げることができるのです。

そしてその先には、その人にしか持ち得ないような「人の考え」がある。世界観のゆらぎがある微妙な差異があって、その差異がゆらぎを生じさせる。そこに、思わぬ偶然性によってセレンディピティが起こるわけです。

エンゲージメントの重要性

佐々木氏は、エンゲージメントとは「情報を流す側」「情報を受け取る側」と言う固定された関係性ではなく、主客一体となってお互いに情報を交換する関係性を作っていくことだと言います。

これを日本の茶の湯や生花の考え方に共通する部分がある、と佐々木氏は説明しています。茶の湯では、 「主客一体」という考え方があります。これは、禅に由来する言葉で、客のおもてなしというのは招く主(あるじ)が一方的に行うものではない。招く側(ホスト)と招かれる側(ゲスト)が協力し、ともに一体となって作り上げるものであるという意味です。

また、華道では生花を共に楽しむ人たちです。花の生け方は人それぞれで、同じものが出来上がることは決してない。でもそうやって異なる生き方をされた花を、お互いに理解しあうことができるということです。

このような、日本文化が育んできた、主客一体の相互コミニケーションが、インターネットの場でも成立すると言います。

そこには、お互いの間に同じ価値観を共有しているという信頼関係がある。そして、その場に集まった人々が同じ世界観を持ち、ある種の決まりを共有し、お互いが表現者であり、鑑賞者であると言う立場であるからこそ、成り立つ世界であるといえます。

このような関係性をソーシャルメディアの環境で作っていくのが、「エンゲージメント」と呼ばれる状態です。佐々木氏は、チェックイン(フォロー)することにより、お互いにエンゲージメントによってつながることができると言います。

しかし、そこにエンゲージメントをもたらすのは人格です。そこには、「企業か個人か」といった「誰が主体なのか」というのではなく、どちらも一つの独立したキャラクターとして人格を持って語らなければ、エンゲージメントを生み出すことはできないと言います。

これは、ただひたすらフォロワーやいいね!の数字にだけ執着するようなこととは無縁です。それでは、誰ともエンゲージメントすることはできません。ただひたすら数字にだけ執着する無機質な存在です。だから個人で多くのフォロワーを獲得したとしても、彼らは誰ともエンゲージメントしていないのです。

これに対して、コンテキストを共有している人たちの間では、たがいが共鳴によってつながり、そこにエンゲージメントが生み出されることになります。そこに人間らしさがあるか、自分の言葉で語っているかということが、エンゲージメントを形成してお互いにリスペクトを感じるために絶対に必要です。

そのためには、コンテキストが共有されるような場をつくっていくことが必要です。消費者の側が一定の積極性を持ってそこに参加し、そこで発信者に対してエンゲージメントを求めるという「行い」が必要となってきます。

この解決策となる方法が、「視座」にチェックインするという行為なのです。

「暗黙」と「明示」という問題

消費者が欲しい商品を見つけようとするとき、あるいは情報を収集しようとするときには、自らが求めて積極的に見つけていく方法(明示)と、広告のように自分の意思にかかわらず押し付けられるもの(暗黙)の2つがあります。

暗黙と言うのは「知らず知らずのうちに」。明示はその逆で、「そこにあることを明白に見せながら」と言う意味です。

暗黙の情報収集

多くのネット広告が「勝手に客の情報を収集し、勝手に客に情報を送りつける」という形態を取ります。その最も強い方向性が、ライフログ広告です。

ライフログは生活行動記録を収集することで、人々が持っている無意識を可視化し、データベース化します。ユーザーの行動記録を収集し、そこからそのユーザーが「何を求めているか」を推測し、的確な情報提供を行うというものです。

ウェブ検索で一つのキーワードを検索すると、そのキーワードに関連したバナー広告がそのあとから閲覧するウェブページに表示されます。あるいは、ニュースアプリで特定のウェブページを閲覧したあとに、同じようなコンテンツのタイトルが多数表示されるようになったという経験はあるでしょうか。これがまさしくライフログというものです。広告用語では、ターゲティング広告とも呼ばれます。

暗黙ライフログでは、「知らず知らずのうちに」であるがゆえに「自分のあずかり知らないところで自分の情報を奪われている」と言うプライバシー不安がどうしても残ります。

このように、重要な問題がライフログには潜んでいます。それは「プライバシー侵害」の問題です。ライフログでは、プライバシーの不安からはのがれられません。

ライフログは無意識的に蓄積されているけれども、その蓄積されたデータが自分の目の前にかたちとして存在し、その存在をユーザの側が意識しながら、第三者に引き渡していくような「明示」の仕組みが必要です。

「明示」の情報収集

ライフログ広告などの暗黙の情報履歴管理というプライバシーの問題を回避しながら、自分にとって価値の高い情報を集めていく。そして、単なる「視点」という立ち位置ではなく、人の世界観や価値観ともつながる「視座」ともつながっていく

それが「チェックイン」という行いです。

蓄積されたデータが自分の目の前に形した上して存在し、その存在をユーザの側が意識しながら、第三者に引き渡していくような「明示」の仕組みです。

フォースクエアのチェックインやツイッターのフォローなどでは、明示的なアプローチによって、プライバシー不安を満たさない強固なアーキテクチャを構築することが可能になっています。

第四章 キュレーションの時代

キュレーションからの視座

インターネットと ソーシャルネットワークの登場により、 多種多様なコンテンツが細分化され無数のビオトープがそこかしこに生まれている状況となりました。

私たちは人格を持った人間という視座につながる(チェックイン)することによって、情報のノイズの海から的確に情報を拾いあげることができます。

佐々木氏は、2010年代の消費の本質は、「商品の機能+人と人とのつながり」であり、情報もまた、「情報収集+人と人とのつながり」の時代となると予想していました。であるからこそ、共鳴と共感を生み出すためのコンテキストの空間が絶対不可欠だと言います。

この(視座= 人=コンテキスト)という状態にチェックインすることによって、その人のコンテキストという窓から世界を見ることができます。これを提供するのが「キュレーター」であり、「キュレーション」とはこの「視座」を提供する行為です。

キュレーターはアウトサイダーアートを見いだす

このキュレーターの役割について、佐々木氏はいくつかの典型的な例を用いて解説しています。その第一が、有名な画家シャガールです。

日本ではシャガールと言うと幻想的な絵画で有名です。 しかし、キュレーターであるアンゲラ・ランプさんは全く違うシャガールの一面を照らして、ロシア時代で過ごしたときのアバンギャルドの暗い一面を展覧会で日本にファンに見せつけました。

ロシア革命の中で、ユダヤ人の芸術家として反骨心を持った作品は暗いものでした。私たちが今現在目にする多くは、最愛の妻がなくなり、アメリカへ亡命した後、一人引きこもった悲哀の中で幻想的な作品として作られたものです。

これは有名な芸術家の一面を見出したものですが、キュレーターは世の中から全く外側にあるアウトサイダーも度々見出してくる役割も果たします。プロローグで登場したジョゼフ・ヨアキムもその一人です。

これ以外にも、シカゴの病院で清掃人として働いていたヘンリー・ダーガーが、死後に大家であり写真家であったネイサン・ラーナーによって芸術性を認められることで、美術史に残ることになりました。彼の絵画や幻想的な小説の数々は、このキュレーターの役割なしには、多くの人の目に触れることは全くなかったでしょう。

このように、これまでの 情報の流れでは全く見えてこなかったようなカテゴリにいる情報源を、キュレーターは見いだす能力を持っています。 これ以外にも、精神病患者が孤独に書き上げた絵画が精神病院の医師によって見出されたケースや、アウトサイダーアートに衝撃を受けて自らもキュレーターとなった小出由紀子さんの例などを挙げています。

佐々木氏は、インサイダーアートもアウトサイダーアートによってその境界が曖昧になってきており、そこに「ゆらぎ」が発生しているといいます。 キュレーターは、このように美術理論の定義さえも書き換えてしまうほどの役割を持っているようです。

コンテンツと、 キュレーターがもたらすコンテキスト。その両方の要素があってこそ、私たちはコンテンツをさらに深く感じることができます。コンテンツとコンテキストとの関係は、ほぼ同じ強さを持って併存する相互補完関係にあるのです。

つまりキュレーターとは、情報のノイズの海の中から、特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出すという存在です。

一次情報を発信するよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の力が重要性を増してきているのです。

佐々木氏は、情報爆発が進み膨大な情報が私たちの周りをアンビエントに取り囲む状況では、キュレーションとは、情報というものの価値を180度転回させる画期的なパラダイムの転換となるものだとしています。

セマンティックボーダー(意味の壁)

世界の複雑さは無限で、その無限にあるコンテンツを全て自分の世界に取り込むことはできません。ノイズの海と私たちが直接向き合うことは、到底不可能です。ですから人間はその障壁の内側に自分だけのルールを保っています。

このようにして、外のノイズから自分のルールに則っている情報だけを取り込む情報のフィルタリングシステムが存在します。ここには、すべての情報を取り込むことができないのであって、自分自身の価値観に基づいた情報の整理が求められます。

この自分自身が設定した自分が欲しい(意味を持つ)情報を発見したり、作ったりするための拘束条件は「セマンティックボーダー」と呼ばれます。佐々木氏は、このシマンテックボーダーこそがコンテキストの源泉だといいます。

ソーシャルメディアの世界では、セマンティックボーダーはキュレーターによって絶え間なく組み替えられていきます。そこでは小さなビオトープの領域が作られ、そこに法則性が生まれ、このコンテキストに沿ったシマンテックボーダーによって情報は外部から取り入れていきます。

コンテンツとコンテキスト。そしてコンテキストを生み出すキュレーターの視座、その下にチェックインする人々。そういう構造があって、セマンティックボーダーは不安定化しその「ゆらぎ」の発生によって、セレンディピティーの源泉となっていきます。

キュレーションがノイズの中から情報を取り出し、その情報にコンテキストを付与しているということは、すなわち「これは今まではアウトサイダーの情報だったけど、この意味を与えればインサイダーになるよ」というようにセマンティックボーダーを再設定することで そこに価値を与えているということなのです。

佐々木氏はこれをツイッターにで実験しています。 日頃フィードに登録しているサイト数700位あるうち、総計で1000から1500位の記事が流れてきます。それら全てのタイトルに目を通し、その中から数十の記事については本文を読んでいます。ここからフォロワーに 役に立ちそうな記事を選び、このブックマークを多くの人々と共有したのです。「なぜその記事を重要だと思ったのか」というコメント付きでツイッターで提供しました。

実際にスタートしてみると大変に好評でした。当初10,000人位だったフォロワーに対して十数本の記事をツイッターでコメント付きで紹介すると、数百のリプライが返ってきました。そしてその後1年余りで、100,000人近くまでフォロワーが増えたのです。

ここからも、佐々木氏がすでにソーシャルメディア上の強力なキュレーターとして存在しているということが理解できます。そして同時に、佐々木氏は自分の専門分野以外である音楽や映画、文学、現代アートなどは、自分自身がフォロワーとなってキュレーターにチェックインしています。

つまり、ある分野で人に影響を与えるインフルエンサーであり、ある分野では人から影響を受けるフォロワーとなるということです。キュレーターという人と役割をとおして「つながり」が生まれ、「情報(影響力)」が流れていくのです。

インフルエンサーとしてのキュレーターとフォロワーの関係性は多層構造になっており、「関係性の立体感」が生まれ一体感を持ち始めていきます。そこでは、常に情報に「ゆらぎ」が生じ、多心円的なオープン社会へと踏み込みつつあります。

当初は「つながり」と「情報」がバラバラに別のサービスとしてあったものが、ソーシャルメディアの進化によって大統合されていきます。 その背景には、消費や情報の流通の向こう側に人と人の接続と承認があるという消費社会の変容という背景放射があるのは間違いありません。

このつながり消費社会と言う背景放射は私たちの社会を広く薄く覆い尽くしつつあって、その中では、情報と消費のつながり全てが融解し、一体化して1つの構造へと変わっていきました。

その認識のスタート地点となったのが、 本書「キュレーションの時代」だったのです。

第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく

佐々木氏は、文化はアンビエント化して国境を越えるといいます。これまでの、ヨーロッパ主導的な普遍性はすでに、イスラム、アジア等の普遍性は同じであるとは限らないことが明白となりました。さらには、アンビエント化によって普遍性はより薄れ細分化して閉鎖的になる一方で、インターネットによってアンビエント化し、開放的になっていきます。

そして、これまでの情報発信の権力がパワーを失います。

今までは、プロフェッショナルが作った少数のコンテンツが、映画外車や出版社やメジャーレーベルや新聞社を経由して配信されるだけだったものが、今やYouTubeやブログや音楽SNSなどを通じて膨大な良質コンテンツによって満たされています。

しかし、新たなインターネットプラットフォームのパワーのなかで、良いコンテンツがきちんと良い消費者のもとへ送り込めないようなミスマッチが起きてしまう傾向があります。このミスマッチは、キュレーターという視座の存在によって解消されていくことになります。キュレーターとのチェックインとその視座によって、情報は縦横無尽に伝播されていくのです。

広告のクリエイティブディレクターとして世界的に有名なアレクサンダー・ゲルマンは「ポストグローバル(グローバル以降)」というコンセプトを提唱しています。

グローバル化したシステムでは、情報の伝達は今までよりもずっと容易になります。だからこそ、ローカルなカルチャーの重要性がいっそう高まっていくのです。そして、グローバルプラットフォーム上で情報が流れるということは、多様性がそこに内包され、自立・共存・発展するローカル文化の集合体を生み出していきます。

そしてこれは、多様性を許容するインターネットとソーシャルメディアのプラットフォーム上において、多様性を保ったまま、他の文化と融合して新たな文化を生み出していくこともできます。この中で、キュレーターは重要な役割を果たすことになるのです。

そして佐々木氏は最後に、今われわれは、このようなグローバルなプラットフォームで情報が流れる新世界のとば口に立っている。今後数十年の間に私たちを取り巻くメディア環境は想像もつかないほどに変化しているだろうと締めくくっています。

キュレーションの時代: 結論と将来の展望へ

キュレーションの未来

佐々木氏は本書の「あとがき」で、「全てが変化していて、10年後には全く違う世界が私たちの前に見えているでしょう」として本書を閉じています。今まさに、その10年後の未来に私たちはいるわけです。

本書で登場するいくつかのトピックでは、すでにその姿が大きく変わっているものが少なからずあります。それを列挙すると以下のようになります。

1. その後、ライフログとしてのテクノロジーは飛躍的に進歩している

本書で佐々木氏は、ライフログは今後10年以上はブレイクしないだろうとしています。しかし、本書の直後にブレークスルーが起こり、ディープラーニング(深層学習)とビックデータによって「ライフログ」に関わるテクノロジーは飛躍的に進歩しました。高度なデータ分析により、ターゲティング広告や高度なデジタルマーケティングが可能となっています。

ウェブページやソーシャルメディアの閲覧履歴、Amazonを始めオンラインでの決済やポイントなどの購買履歴、ニュースアプリの閲覧履歴など、私たちのオンライン上の行動は正確に把握されています。無料アプリサービスと引き換えに、半自動的に自分の思考や行動をプラットフォーム企業に自ら提供しているわけです。

2. DX化の急速な進展

前項1. とも関連しますが、ここ数年でDX化が進んでいます。これは、コロナ禍の期間でさらに加速しています。リモート会議やリモートワークなど、単なるコミュニケーションだけではなく働き方までもが大きく変化してきています。これは、高度化した動画配信やコンテンツ制作をも可能にしています。

3. グローバルに共有される問題

コロナ禍や脱炭素問題など、解決しなければならない問題がグローバルなレベルで共有されるようになりました。毎日、世界中の感染やワクチンの接種状況が報道され、ネット上でも検索やソーシャルメディアで共有されるようになりました。そのような中、フェイクニュースや拡散希望などの真偽が問われる情報も大量に配信されています。信頼のおけるキュレーターの役割は増しているといえるのでしょう。

2010年当時といえば、スマホやタブレットが急速に普及し始め、肌身離さず持ち歩く端末からソーシャルメディアへとつながる大きな転換点であったのは確かです。本書でも取り上げられている「クラウド」や「シェア」といった新しいサービスが登場した時期でもありました。消費や情報の流れが、インターネットで変化しつつあったものが、一気に加速していきました。

本書によって、キュレーターによるコンテンツにコンテキストの付加価値を加えたキュレーションが大きく注目されるようになったといえます。広告がネットとソーシャルメディアに大移動すると同時に、あふれかえる情報の重要な交通整理人としてのキュレーター、あるいはインフルエンサーという役割が大きくクローズアップされました。

今や、私たちは好むとこの好まざるとに関わらず、このあらゆるサービスを提供するプラットフォームの上で仕事をし生活をしています。仕事や消費に検索エンジンを使う、ソーシャルメディアで家族や友人とつながる、そういった時に、無意識のうちにも、ある時はコンテンツのキュレーターとなり、またある時はフォロワーとなって情報を集め、判断の基準とするようになってきています

本書が予言したとおり、コンテンツのアンビエント化はさらに進み、グローバルに散らばったビオトープというコンテンツとユーザの生態系とキュレーターを介してつながる世界が現実となっています。

今その未来に生きているとすれば、そのキュレーターとしての役割はどう変わるべきなのでしょうか?ここからどうするのかという議論が必要だと思うのです。

例えば、

  • エンゲージメントによってつながった、その後に何が起こるのか

  • 集めてきた知識をどのように展開していくのか

  • そのためのツールや方法はどのようにするのか。具体的なものは?

  • コンテキストの共有による「共鳴」と「共感」から始まる、その次の段階とは?

そこには、次のような仮説を立てることが可能かもしれません。

  1. 誰でもがキュレーターとなりフォロワーとなっている

  2. つながりは常に生まれて、セレンディピティはいつでも起こりうる

  3. 容易に使える専門的なプラットフォームが次々と登場している

  4. 一方で、情報や知識を収集して発信までの強力なプロセスとノウハウが必要

  5. 必要なのは新しい進化したキュレーターの姿形(コンテンツ力と新しい付加価値)

本書の論点の核心である「人と人とのつながり」は、集めた情報を知識を新しい解決策やイノベーションへと展開していきます。そこからさらに、多くの人をつなげていく。ここで付加されるのは、新しい意味、ストーリー、WHYなど、新しい目的といったコンテキストです。

技術の進歩により顕在化してきているコロナ禍、職場の変化、脱炭素化など、身近な問題を解決するのは、行動を起こそうという意志と人と人とのつながりです。

佐々木氏が述べたキュレーターの役割は、ここ10年間でさらに進歩した技術で次の段階へと進みます。テクノロジーによる変化を受け入れ、変化を起こす必要性があるのです。

キュレーターとフォロワー、キュレーターとキュレーターがつながり、コンテンツとコンテキストをつなげる役割、そしてそこからのコンテンツ力の重要度はさらに増しているといえるのではないでしょうか。


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この記事を書いた人: 

大山賢太郎 著者 デジタル読書のすすめ


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ナレッジワーカー

パーソナル・ナレッジマネジメント(PKM)

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